昔個人鑑定をやっていた頃に(※ この前置きも毎回しつこくてごめんなさい。今はやれていないのです)、色々な人が色々な人を紹介してくれました。

 

僕の場合は口コミで仕事をやっていたのですが、そういう口コミとか紹介制のお仕事って面白くて、なんかこう、すごく良い方で、若干お節介の「元締め」みたいな人が出現してくれることが僕の場合は多かったのです。「ほら、あなたしいたけさんとこ行ってきなさいよ」とか。

 

それはすごく有難かったのですが、ちょっと今でも忘れられない場面があって、それは、そういう方が誰かを紹介してくださって、そして一緒についてきてくださることがあって

 

「この人にはガツンと言ってやってください」

 

と言われることだったのです。

 

親御さんがお子さんを連れてきて「この子には厳しく言ってあげてください」と言うケースもけっこうありました。

 

僕はある場面に出合った時にものすごい頑固な性質を発揮してしまうことがあって、そういうことを言われた場合には即座に「嫌です」と答えました。そして、その場面のセッションではお金をもらいませんでした。

 

「この子には厳しく言ってあげてください」と目の前で言われた人って、もう「言われ慣れた表情」をしています。もういちいち、こういう過激な言葉に対して反応をしなくなっている。だから、目の前の人にこういう説明をしました。

 

「僕は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて判断したいのです。だから、どんなに有能な人からも『この人にはこう言ってください』と、僕自身の判断を決めつけられたり、誘導されたりするのが、ごめんなさい。死ぬ程嫌なんです。僕が今から〇〇さんとお話ししてみて、『この人はもうちょっと頑張れるんじゃないか』と思ったら、その理由を説明してきちんと自分の口で伝えます。だから、今日はなんか変なところに連れてこられたちょっと不幸な日だと思って少しだけこの変な人間に付き合ってください」

 

「この子にガツンと言ってやってください」

 

それを言ってしまう人。やはり、親切で面倒見が良い人なのだと思います。やさしさと人情も人一倍ある。そして、ご本人もやっぱり若い頃からの苦労があって、努力家で、そしてすごく周りの人たちからも慕われている。

 

でも多分、そういう方々って属性として「強い人」なのです。

 

元々は弱かったのかも知れないけど、色々な修羅場に巡り合って、乗り越えていくうちに鋼鉄の心臓を持つに至った。

 

判断が速い。決断が速い。成功率が高い。窮地もなんとかしてきた経験がある。

 

そういう素敵な経験と実行力、そしてお節介が周りの人を救うこともすごくあります。

 

強い人間は、強い人間を救うことができる。

 

でも、たまにそういう「強い側」のお節介って、弱い側の人間には地獄に感じられてしまうことがある。

 

だから、切ないのです。強い側の人間もただ100%強いわけじゃない。そうしないと生きてこられない理由があったから、強くなろうとしてきた。そして、命を賭けて守ろうとしてきた大切な存在があり、それらを守るために「強く」あらざるを得なかった。

 

僕はおそらく「弱い側」の人間であり、そういう人間からしてしまうと、相手が強さを受け容れられる前の段階では、救おうとする気持ちは単なる自己満足だと腹に置いといています。それはどんな時でも肝に銘じています。

 

誰かと一緒に素敵なレストランでおいしいご飯を食べた。そして、「今日はご飯おいしかったから、デザートも食べよう」という話になった。デザートのメニューを見ているときに「ここ、チョコレートケーキおいしいから絶対食べた方がいいよ」と言う人がいる。それはおそらく真実なのです。そして、絶対的な経験値なのです。実際に、そこのレストランでチョコレートケーキのデザートを頼んだら間違いはない。

 

でも、言葉を出さずにちょっと待って、「迷うことができる幸せ」をたまには味わうのもありなんじゃないか。

 

それがないと、人は強くなり過ぎてしまう。何か「次」を決めていないと不安を強く感じ過ぎるようになってしまう。

 

強い言葉、強い意思で色々な困難を解決してきた人の悲しみとやるせなさって、多分まだ僕程度の人生観ではまったくわかっていないと思います。

 

今回、すごく見当違いなことも書いた気がします。でも、なぜかブログという形でこの文章は残しておきたかったのです。