先日久しぶりに人間ドッグに行ってきて、それがもう20年ぶりに行ったから、当時測った身長よりも2cm背が伸びていました。

 

幸い、どこも体に悪いところはありませんでした。

 

「健康」について語るってすごく大変なことで、というのは、「〇〇をしていたから私は健康でいられる」という自慢話とか、その逆に「〇〇をすると病気になる」とか、そういう話って、喫茶店とか酒場でするなら面白いんだけど(「やっぱりネギ食うのが一番だよ」等)、あんまり大きな声でしゃべり続けると他人に対する確実な暴言とか暴力になったり、もしくは「狂信」に近い形になっていっちゃう。

 

話戻って、なんとなく自分がこれまで奇跡的に健康を維持してきたのは「無理しない」というのを大きな価値観で置いてきたからかなぁとぼんやり思いました。しつこいけど、「君も無理するな!」とか、無理しない教みたいなものを押し売りしたいわけではありません。

 

僕ももう40歳が近くて、それぐらいの年齢になると周りから聞こえてくるのが「無理が効かなくなった」という話のオンパレードなのです。酒が朝まで飲めなくなったとか、徹夜ができなくなったとか、体力落ちたとか、昔だったらこれぐらいできたのにとか。

 

でも、僕は10代からまったく体力がなくて、自分が使う言葉のベスト10に必ず「無理です」とか「あー、それは難しいです」とか「やりたくないです」というのが入っていたので、たとえば、今も昔も「夜遅くまで頑張りたくない」ってずっとあります。

 

それで、なんとなく思ったことって

 

「あと少しでできたのに」

 

という台詞に代表される

 

「本来の自分のフルパワーならできたのに」

 

という悔しさって、もしかしたら結構健康を害するんじゃないかって。

 

だって、ずっと覚え続けているでしょう。「昔だったらこれぐらいの酒で酔う俺じゃなかった」って、いや、もう今酔ってんだからしょうがないじゃんって。笑

 

「出来なかったことは、別にそれは実力という問題でよろしいのではないでしょうか」っていう、体力がなかった人間だからこそたどり着けてきた自説に、自分が今のところ健康体でいるのも、そういう自分なりのパターンはあったのかぁって。

 

これ、下手に僕に体力があったら「いや!あと少しの頑張りでできたはずだ!あと1日あれば!」って、その悔しかった結果を諦めきれないで粘っちゃうことって多かったと思います。

 

「無理しないように頑張ります!」って言う台詞にもう「無理」が入っているわけで、「無理しない」の塩梅って難しいけど、自分なりの「無理をしない」は、自分が付き合う範囲の人間関係の3割ぐらいに嫌われたり、「あの人は変わり者だよ」と言われる可能性があるぐらいの「無理しない」がちょうど良いんじゃないかと思います。これ、詳しく聞きたいという所望があったらまた書きたいです。