最近ふと、「今年やった仕事の中で印象に残っているものは何か?」と考えたんですよ。

 

もちろん、色々な仕事がとても印象深く残っているのですが、その中でも特に印象深かったものって、元旦早々1月5日にリクナビさんの方から声を掛けて頂いた「新卒の人達が集まる就職セミナーで、質疑応答にお答えするお仕事」だったのです。リクナビの方からお声掛け頂いた時に、すごく受けたいと思ったのです。

 

僕は、自分が大人になって、どの年代と話をするのが一番難しいかというと、それは多分14歳ぐらいの人だと思っています。ただ、仕事的にもそこまで多くの思春期を迎えた方達と話をするような機会はないので、その次が18歳から22歳ぐらいまでの、いわゆる「大人の世界に一歩足を踏み入れた人達」なのです。

 

18-22歳までの、「大人の世界に一歩足を踏み入れた人達」と話をするのって、常にこちらが真剣にならなきゃいけない。どうしてかというと、彼らなり彼女らというのは「大人に対する失望の練習」もかなり本格的にしてきているからなのです。

 

大人は、大人の嘘に付き合ってくれることが多い。「この場面ではこの程度の話をしておけばOK」という、そういうこちら側の事情に関しても「まぁ、そうですよね」と受け止めてくれる。その場さえ済んでしまえば、もう会うことがなかったり、次回から壁を作って接すれば良いだけの話だから。

 

でも、まだちゃんと「子ども」の成分が残っている人達だと、その嘘が一瞬でバレる。そして、ちゃんと失望をされる。

 

たとえば、こちらが「いやぁ、俺がさ、君たちぐらいの年齢の時はさ、そりゃもう苦労をしたよ?ずっと挨拶をやらされてさ。ガハハ」って言うと、もうはじめの2秒ぐらいで「あ、この人はこういうことを言う人なんだな」と気づかれる。そして、その人達の貴重な時間を浪費させて、愛想笑いをさせてしまう。

 

大人になるって、色々な場面で気づかされることが多いのですが、

 

「あ、この人ってこういう話をする人なんだな」

 

と、誰かから聞いたコピーのような話を聞かされた時も、その人だけが気持ち良くて満足気な表情で話していることにも、そして、「あんまりこっちに関心がないんだな」という形で話している人に対しても、あんまり失望もしなくなることなのかも知れないです。

 

それは別に達観をしたわけじゃなくて、それぞれの人が背負っているものの価値についても気づかされることが多くなってくるから。

 

大人になると、子どもの頃にあった「敏感さ」を失ってしまうとか、そういうつまらない話をしたいわけではなくて、大人になって鋭敏になるもの、敏感になるものもたくさんあります。

 

ただ、個人的な感想なのかも知れないけど、若者の前に立って鍛えられるのは常に大人の方だと思っています。彼らや彼女らの前で、「ヌルさ」は通用しないから。「まぁ、しょうがないっすよね」って言ってくれるかも知れないけど、その前にちゃんと失望もされる。

 

ひとつ隣に失望がある空気感の中で、ちゃんと自分の言葉で喋りたいって、いつもすごくあります。