仕事納めが済んだと同時に風邪を引いてしまい、何日かずっと寝ていました。ゴホゴホ。

 

今日ようやく体調も良くなってきて、そろそろ今年を振り返っています。今年は比較的気温が高いせいか、今までで一番「年末感」を感じないです。僕の周りの人達も年末感をあんまり感じないと言っていました。なんでだろう。

 

新年が明けて、テンションが上がる前に来年にやりたいことをなんとなくここに書いておきたいと思いました。

 

来年は、人に会って話をしていきたいです。

 

どうしてこんな基本的なことを「やってみたい」と思ったのか。これは僕の感覚なのですが、僕がこれまで約40年生きてきた時間の流れの中で、昨今ほど「世界が情報によって開かれ過ぎている」と感じたことはなかったからです。

 

自分のすぐ目の前、そして隣に情報がある。

 

その人の現状の行動量に見合わない情報は、人間を委縮させていってしまうところはあると僕は思うのです。

 

超人的な行動量なり、行動力を持つ人は、「強靭な胃袋を持つ」かのように、多くの情報を消化できるけど、やっぱり全員がそういうタイプの人ではなかったりもするし。

 

便利に入ってくる情報には必ず良し悪しがあって、「自分にはどうにもならないぐらいのスケールの情報」というものも、日々隣に出てきてしまうし、これは今の時代に生きている人の定めなのかも知れないのですが

 

「情報のスケール感と、ひとりの人が行動できる範囲があまりにも乖離し過ぎている」

 

という現象はもう起きているんじゃないか。

 

占いをやってきて、お客さんに会って思うのが、何かを成し遂げた人達の全員が「情報通」なわけじゃなかったのです。

 

ひとりの人が何かをやり遂げる偉業の影には、「あんまりよく世界や情報を知らなかった」という感覚が実はあったと思うのです。「よくわからないけど、歩き続けたらここまできちゃった」という感覚。

 

情報ではなくて、その人が歩いて感じてきた価値を知りたい。

 

映像や画像や文字としてプリントされた情報だけではなくて、その情報に伴うきちんとした匂いとか、汚れとか、味とか、価値。そういうのを改めて知りたいと思いました。

 

もちろん、情報も楽しいんですけどね。