私という人間を言葉で表現すると…
石橋を、叩いて叩いて確認したあと、やっぱり不安だからとルートを変えて隣の木造の橋を渡り、真ん中あたりで板を踏み抜き
「あっぶねー!…いや、助かった~!落っこちなくてラッキー」
とかやっているような性格です。
なんというか、自分ではものすごく慎重な性格だと思っているんですが、どうも最後の詰めが抜けているんですよね。
実際、京都の比叡山延暦寺に行った時も…。「次に京都行く時は延暦寺に行こうね!」と言って一年前から比叡山行きのバスを調べ、バス乗り場を調べ、一日一本しかない時刻も調べ、延暦寺の地図まで用意して行ったのに…
降りる場所を間違えました。
そうです。
頂上まで行ってしまったんです。
雪の降る中、休園になった遊園地の前で呆然と立ち竦む私たち…。帰りのバスは4時間後(笑)
「雪に埋もれて道は全く見えないが、ここに延暦寺方面と書いたハイキングコースがある!(みたい)よし!歩こう」
(つか、こんなところで4時間も待っていたら死ぬ!)
そして、膝まで雪に埋まりながら歩き始めた私たち(アホ3人)
「…ねえ、本当にこの道でいいの?つーか、道ないよ…」
「き…きっと春になれば新緑の爽やかな小道が現れるのよ!」
「…今冬だよ~」
「と、とにかく!下って行けばいつかは延暦寺に着くはずよ!」
「このまま下って行って、気がついたらまた延暦寺通り越して、ふもとに着いちゃったなんてのはイヤだよ!」
「まあ、そうなったらそうなったってことで!」
「大体。途中でバスの乗客が全員降りた時、おかしいと思ったんだよね!」
「私、おかしいとも思わなかったよ…」
「…ところで…私たち、今道に迷ってない?」
「迷っているのかどうかも分かんないな…」
「もしかして、私たち今、遭難してるんじゃない?」
「雪の比叡山で遭難? わーカッコイイ!」
こんなバカなことを言って互いに励ましあいながら(?)歩いていると、後ろから、カンジキはいたおじちゃんが、エッホエッホとやって来るじゃありませんか!
助かった~!人に会えた~!
「君たちどこから来たの~?」
「東京と埼玉からです。あの、この道、延暦寺に行きますか?」
「あはは、道はこの一本だけだよ~。ま、頑張ってね~」
エッホエッホ
って、おい!
助けてくれるんじゃなかったのか!?
「私たち、どう見ても遭難してるよね?」
「いつまでも降りてこなければ救助隊が来てくれるかな?」
「登山届け出してねーだろ!」
そして、私たちは何度も足を滑らせ山から転げ落ちそうになりながらも、何とか延暦寺の端っこにある西塔に辿り着きました。
そして、西塔のお坊さんに言われました。
「よく西塔まで来ましたねえ。大体観光客の皆さんは、根本中堂を見て帰られるんですよ」
ええ、私たちも、ここまで来るとは思っていませんでしたとも!
そしてその数ヶ月後の鎌倉。
どのお寺をどのルートで見て回るか綿密に計画を立ててバスに乗ったのに、気がついたら終点の墓地の前で呆然としている私たちがいました。
「詰めが甘い」の詰めって何のことですか?(笑)
そんな詰めの抜けてる私ですから、誤字や脱字があってはいかんと、松田さんに手紙を書くときは必ずワープロで下書きをし、それを便せんに書きうつしていました。
完璧に書き写し、封をして表に宛名を書く…
その一番大事な松田さんの
名前を間違えていました!
2年間も気がつかなかったんです!
もう、気がついた時は、心臓が鼻から飛び出すくらい驚きました!
そうです!私は毎回、癖の強い字で
「松田覧二様」
と書いていたのです!
(言い訳させてください!一覧表という字を日常に書き慣れ過ぎているんです!明らかに職業病です!)
しかし、なんて読むんでしょうね?
まつだ、らんじ…?
…
…
…
…
ぷっ
ああっ!ごめんなさい、ごめんなさーい