人間はそもそも欲望を持っているもの。欲望を満たすために動き回り、人と争うこともあります。だからこそ、礼儀礼節を身につけ、分別を持った行動をするように心がけなければなりません。身分相応の生活を心がけ、社会規範の中でどう行動するかを判断する。そうして人が欲望をコントロールすることで、秩序ある社会ができあがります。


礼をわきまえた人間になるためには、バランスの良い食事と、快適な住居と、規則正しい生活と、余暇の楽しみが必要です。これらを得て、身に付けることで、礼を学び欲望をコントロールできるようになります。





人の人生は、ただぼーっとして生きているだけでは罪です。何事かに取り組み、成果を出す努力が必要。しかし、利益ばかりを考えてケチケチすると損害を被ります。「どう生きるか」をしっかりと考え、生きることが「誠実に生きる」ということであり、結果として安定した人生が送れるようになるでしょう。

人間が生まれた時から持っている性質というのは、実は大したものではなく、後天的な努力によって人間を善くすることができます。自然本来のまま、素晴らしいということはやい。生まれ持ったものと、後天的な努力があってこそ、初めて「人間」になります。

とにかく礼儀を身につけ、常に正しい生き方を心がけていけばら外的にも内的にも「正しく」生きられるようになる。君子は人から善く思われたいがために善い行いをするということはありません。真心から人に接していきます。そして自分が誤ったことに気づいたら、例え相手の身分が下であっても、恥じて謝罪できるでしょう。




自分が生きていられるのは、天地の自然と、先祖と、社会があるから。それらを大切にせず、人の人生は成り立ちません。



死者を思うのは人として当然のこと。喪の期間は自分を大切にしてくれた人に対する礼儀として必要です。

しかし、いつまでも悲しんでいるわけにはいきません。悲しむ期間をはっきりと定め生きていかなければなりません。死者への礼儀も大切ですが、生きている人に対する礼儀として、悲しみの期間を決めましょう。