長らくお休みして、失礼しました。
早く続きを書きたかったんですが、私と長男がインフルAになってしまい、PCに向かうどころか、もうふらふらで…。
長男はさすがに若いので(1歳半)回復も早かったのですが、私はもう、ええ歳なのでなかなか熱も下がらずでした。健康は宝です(笑)
あ、もう元気です。後は、外出禁止令が解かれるのを待つのみです。

さてさて。
生まれてからすくすく、伸び伸び成長する長女。おいしいおっぱいをあげる指導とマッサージをして下さる桶谷式のおっぱいマッサージに通いながら、育児サークルに首突っ込んだり、お散歩行ったり、それはそれは毎日楽しみながら(私が)育児に奮闘していました。
とにかく活発な子で、いたずら満開!人見知り一切なし!
偶然電車の中で一緒になった、松竹の関係の方に「この子はエンターティナーだね」なんて、太鼓判を押される始末…。
喜んでいいんやんなぁ。これ。
お歌が大好き!ダンスも大好き!特にお歌は、七つの子が大好きで、これを歌うとねんねしてくれたものでした。
生後9ヶ月の頃、風邪気味で病院でお薬を頂いて様子を見ていました。
しかし、ハナも咳もなかなか治らない。11月半ばを過ぎていたので、冬の入り口ってこともあり、気温が下がってきてるからかなぁなんて、暢気に構えていた私でした。
実家にて、夜、彼女を寝かしつけようと授乳していました。
ゆっくり寝て、早くよくなるんだよーなんて思いながら抱っこして、ゆらゆら揺れてた時、おめめぱっちりで豆電球を凝視している。身体がなんだか硬直してるみたいに固い。小刻みに震えてる。「?」と思いながら様子見てたら、びっくりするくらいの勢いで、おっぱいをわあああっと吐き出したのでした。
それは天井に届くんちゃうかと思うくらいの勢いで、びっくりしてあわてて長女を抱いて、リビングへ。
「おっぱい吐いた!様子おかしい!」と、救急情報センターに問い合わせの電話をしました。
命に関わるほどのことではないと思ったので、一番近くて夜でも見てくれる救急病院を教えてもらって、連れて行くつもりでした。
電話に出て下さった方に長女の状態を伝えると、「すぐに救急車をまわします」はい?そんな大変なことなん?
でも、人間不思議なもので救急車が来るとなると、待ち時間が異様に長く感じられるんですね。
まだ来ない、まだ来ないと、長女を毛布やおくるみやでくるくる包んで、外に出て待っていました。
外に出るときにさすが年の功?!母は、冷静でした。
「あんたも温ぅしときや」「お金持った?」「保険証確認しときや」はい、全て揃えました。
母がいてくれたおかげで冷静さを取り戻せたような気がします。ありがとう。お母さん。
夜遅いのにも関わらず、まだ学生やった妹も付き添ってくれて救急車へ。
救急車って、脇目もふらずぶっ飛ばしていくイメージやったんですが、交差点へ侵入する度に徐行しはる。こっちは慌ててるから、「救急車のくせに遅い!」なんて思ってましたが、事故があってはいけないですから、当然のことだったんですね。

中央急病診療所に着くって時に、がたがたがたっと大きなけいれんがあって、何が起こってるんかもう、訳が分からない。
それで救急隊員の方々もびっくりしはって、今、診療を受けかけてた子を押しのけて、えらいこっちゃとばかりに飛び込んだのでした。
事務の方は、「お母さん、ここ記入して」って言わはるから、長女を母と妹に預けて用紙に記入。
こんなん書いてる場合ちゃうのに。長女に付いてたいのに。
先生も一目見て、こりゃいかんと思わはったみたいで、「○○○に搬送します!」もう、キャパいっぱいいっぱいで、まるでドラマを見てるかのような状態。さっきまで元気やった子が意識もないし、誰に何を言われてるんかもよう解らん。○○○ってどこやねん。
普通は救急車は1カ所行ったらそれで帰ってしまわれるそうなのですが、搬送先まで同じ救急車で運んで頂けることになりました。その上、中央急病診療所で看て下さった先生も、一緒に来てくれはるとは。ほんとにラッキーやったと思います。
そのまま大きい病院へ。
そこは、NICUも完備された立派な病院でした。
長女は病院に着いたとたんどっか解らんけど、ストレッチャーに乗せられて、たったかたーっと連れて行かれちゃったのでした。
先生やったか看護士さんやったかはもはや、記憶の彼方。「ご家族はここでお待ち下さい。」とにかく待合室で待つことに。
中央から来てくれはった先生と、病院にいらっしゃった先生とが話がすんで、中央から来てくれはった先生が、「今晩が山ですから」って仰った。
何言ってんの?この人。意味が分からない。
「山ってことは、助からない可能性もあるってことですかっ!」って、思わず訊いたら「お母さん!そんなことは言わないで下さい!スタッフもお嬢ちゃんも戦ってるんです!」と叱られました。今思えばそりゃそうやわ。怒られるわ。
母と妹と長い長い間、廊下の長椅子で座って待っていました。
無事に戻ってきますように。あのまんまる笑顔がまた、見れますように。神様、お願い。私から長女を連れてかないで。
長い長い時間が過ぎたように感じました。主治医の先生から「お母さん、こちらへ」と、お部屋に通されました。
そこで、「今回のことはてんかんの始まりか、脳炎、脳症の疑いがあります。CTで撮った脳の写真が浮腫してますと。発作を発症してから処置までの時間がかかっているので、障害が残ると思われます。命は助かりました。」と、言われました。
命は助かったんや。よかったと思うのと同時に、障害って?何?この子どうなるん?と言う不安もいっぱいでした。
部屋の外で待っててくれた母と、妹に「なんか、えらいことみたい」って伝えるのが精一杯。
処置の済んだ長女は、集中治療室にいました。
小さな身体に管だらけ。両手両足がいっぱいの管につながれてました。
両手を力一杯握っている長女、先生曰く「今はボクシングの試合の後みたいなものなんです」
力の抜きどころも解らなくなってるんかなぁ。
お部屋は十分に温かかったんですが、おなかのところにタオルをかけて頂いてました。
はがれそうになってたので、かけ直してやると、「いら~ん」とばかりにキックする長女。
「へ?」やや、力が抜ける私。いやいやいやと、もう一度タオルをかけてやると、やっぱり「いら~ん」とキック。暑いんかな。
そこの病院は完全看護のため、付き添いのお泊まりは出来ないのでした。
くれぐれもお願いして、明日の朝来ますと病院を後にしたときにはすでに明日になってたのでした。
朝5時の街にポンと外に出てしまって、ここがどこかもよう解らすタクシーにて母と妹と実家に戻ったのでした。