めったに更新しないブログですが
今回は読んだ本の話などです
 
プ女子と書いてみましたが
(使っていい年齢かは さておき!)
どうか生温か〜〜い目でみてください。
 
\ ネタバレありますのでご注意を /
 
 
 
さて「2011年の棚橋弘至と中邑真輔」を
読ませていただきました。
{5F121D0F-97EC-4C58-BB85-AF27BE58F117}

 
購入直前に
ちょうど読み返していた棚橋さんの著書「オレはプロレスラー」と
{2F6D7490-841B-4F17-B27C-B1F4CD21D3FD}
新日本プロレス公式スマホサイトの選手日記「棚橋のHIGH」
これら一連のことがリンクしてものすごく頭に入ってきました。
 
 
プロレスの黄金時代を経て
ストロングスタイルのイデオロギーに翻弄され、
総合格闘技の煽りを受けながら時代を進んできた新日本プロレス。
 
 
破産寸前の低迷期…
そんなことになっていたなんて
当時の私には知る由もありません。
 
 
正直、前半を読んで 猪木ヒドイよっっっ
(これがプ女子発想かも…すみません)
 
ホントにもがき苦しむっつーーの!!!
よくぞ腐らずお2人とも
やってきたものだな…。
もちろん、お2人以外の永田さん中西さん
真壁さんもなんですけどね。
 
 
入門してプロレスラーとしてデビュー。
棚橋さんと中邑さんはそれぞれに
乗り越えなくてはならない大きな出来事に直面します。
 
この世界で生きていく、という覚悟は
どれほどだったんだろう。
 
 
 
神は神だから何をしてもいいのか…
プロレスを愛していたんじゃないのか…
理不尽な制裁を受けながら
心が冷えていった中邑さんを想像すると
泣きそうになりました。
この辺りの中邑さんは総合格闘技にも
出なきゃいけなくて、その試合でダメージを受け
顔面にヒビが入ったまま年明けの1.4で試合…
その時
「もう俺には命しか懸けるものがない」と思ったそうです。
 
とても痛々しい姿
{5DD948B0-63B9-4EE5-8EFA-3EF3273A1F10}
(プロレス青春グラフィティより)
 

 
 
2005年東京ドームを託された2人。
24歳と28歳の若者。
 
当時のワールドプロレスリングでは、
ほとんど自分たちの試合はカットされ
代わりに過去の名勝負が使われたそうです。
会社に託されながら
世間とプロレスを繋ぐメディアには
期待されない…。
 
 
それでも棚橋さんは自分の強い信念を
曲げることは一切ありませんでした。
 
 

2人の激闘
◯2005.1.4東京ドームIWGP U-30無差別級選手権試合
◯2006.12.10愛知県体育館IWGPヘビー級選手権試合
◯2008.1.4東京ドームIWGPヘビー級選手権試合
◯2009.11.8両国国技館IWGPヘビー級選手権試合
 
↑動画には上記の試合が入っているので
ご覧になってない方はどうぞ!
 
 
 
2006年7月17日札幌・月寒大会で
IWGPヘビー級王者ブロック・レスナー選手に
挑戦が決まっていた棚橋さん。
それが2日前にドタキャンで来日中止に…
一報を聞いた棚橋さんは、
怒りがこみ上げてきても
第一に考えたのは、
楽しみにしていたお客さんのこと。
 
 
【プロレスの神様がいるなら
   一度でいいから助けてください】
【これもプロレスです、そう解釈しました】
 
来日が中止になったため、急遽
王座決定トーナメントに変更。
そうしてデビューから7年、
棚橋さんがIWGPヘビー級王者に輝く。
 
 
著者である柳澤健さんの文章を
引用させていただきます
 
チャンピオンベルトはレスナーとともに
アメリカにあったために、
以前使っていた古いベルトが
棚橋の腰に巻かれた。
あまりにも寂しい戴冠劇だったが、
それでも棚橋がバーナードに勝った瞬間には
観客たちが大勢リングサイドに
集まってきてくれた。
新日本プロレスはいま、最悪の状況にある。
それでも、自分を応援してくれる人は、
まだこんなにたくさんいたのだ。
マイクを手にした棚橋は、
自分の思いをそのまま言葉にした。
「今日集まってくれたファンの皆さん、
   愛してます。そして、やっぱり俺は、
   新日本プロレスを愛してます。
   今日はありがとうございました」
 
これまでこのシーンを見たことはあるけど
文字であらためて読むと泣けてきました。
そしてプロレスと正反対にあるような
愛してますという言葉。
 
 
 
↑上記の動画にもある
2008年東京ドームのメインイベントで
棚橋さんを破った中邑さん。
 
「自分を信じて、プロレスを信じて
   本当によかったです。プロレスには
   夢と希望がいっぱいつまってると思います
   一番凄えのはプロレスなんだよ!」
 
のちに名言となった最後のフレーズ。
中邑さんが信じたプロレスで
ようやく報われたような気がします。
 
 
たどる道は違えど
新日本プロレスをなんとか盛り上げたい。
 
タイトルにもある2011年に何が起きたのか、
なんの変化があったのか、
ぜひこの本を手に取って読んでほしいです。
 
 
 
私は2015年の夏、
G1クライマックスシリーズからハマって
観るようになりました。
{C5D593FF-3099-4C7C-B76C-EDA7DE5130FC}
(宝物のNumber、出会わせてくれてありがとう!)
 
{D459BCF1-DD2D-43F5-B72F-969DDE5C5414}
キッカケになったNumberを見ても
中邑さんは ないって思いました(おい!!)
 
 
でも!!!ここが大事で。
 
その年の優勝決定戦はこの2人
もう釘付けになりました!!
まだ短いファン歴ですがこの試合は
何度観てるかわかりません!!!
現在の新日本の試合のトレンドとは違って、
そこが最高にいいというか
 
このあと中邑さんはWWE行きを
決めたんだと思うんですが、
生観戦して中邑さんを見たのは一度だけ
 
 
G1クライマックスの優勝決定戦もそうで
当時の私は、
棚橋さんの対角線上にいた選手には
とても感情移入ができました。
それは中邑さん、オカダさん、ともに。
 
 
2016年1月中邑さんの退団が発表。
↑このVTRも大好きで
最後の壮行試合が行われた時も
泣けて泣けてしょうがなかった。
 
 
 
 
棚橋さん、中邑さん
それぞれの物語は現在進行形で
まだまだ続いていくわけで、
これからも2人の背中を追いかけたいですね。
 
 
 
プロレスを見たことのない方は
本の厚さも考えると読みにくいかもしれませんが、
昔は新日本見てたなぁとか、
バラエティで棚橋さん見たことある!
という方々にも手に取っていただきたいです。
 
 
 
 
〈 おまけ1〉
この本の連載がスタートしたのが
「別冊ゴング」でした。
{464D57CB-8FCD-4CE2-A9FC-F805E8F229B8}
棚橋さんが大学2年、
両国にG1クライマックスを見に行った話。
 
お金のない棚橋さんは両国の会場で
隣に座った女の子に、
「京都から来たんだけど、今晩泊まる
   ところがないから泊めてくれない?」
と声をかけたというあのくだり(笑)
そしてチェ・ゲバラのポスター…
おもしろくて笑ってしまったゲラゲラ音譜
 
さすが逸材!!!!!
 
 
 
〈 おまけ2 〉
{E4BDCAD2-D234-4BFA-8578-FD5819CC64E5}
(プロレス青春グラフィティより)
 
 
 
長くなりましたがここまで読んでいただき、ありがとうございました