勧誘されるということは | ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

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真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

ネットで会社の上司や懇意にしてくれていた人から勧誘されたという情報が流れています。
勧誘するのは信教の自由ですし、勧誘されて行ってみるのも信教の自由でしょう。
それで済まないのが新興宗教の勧誘だと思います。勧誘する信者にとっても、新興宗教への勧誘によって社会的地位を脅かされるかもしれません。また、人間関係が崩れるかも知れません。
それでも信者はこの教えの修行の中で、この教えに繋ぐことが人を救うことであり、人を救うことで自分も救われると思わされています。世間との感覚のずれが、教えの世界を上にみて、世間を下に見ることで深まっていきます。
教えの世界の中だけで、満足できる内は良いですが、霊因縁の恐怖が深まって、最高の取り組みである勧誘をしなければならないほど追い詰められたときに、信者は社会的信用を失う間際で、あるいは社会的信用を失ってでも、勧誘しなければならなくなります。
勧誘されたとき、軽い気持ちで考えず、この教えにのめり込んでしまうと同様に勧誘をしなければならないことを想像すべきです。信者の気持ちを察しながら、自分が教えの救いについて多くを語ることができないまま、半ば強引に教団施設に行くことを勧めなければならない状況になることを想像すべきです。
そして、教えを否定すると信者との関係が悪くなることも見越して、静かに距離を取って関わらないことが、被害を最小限に抑えることにもなります。