役割を役割だと自覚する痛み
「不吉な雲が太陽を暗くし、稲妻が空を突き刺しました。耳を劈く雷が鳴り響きました。月がゆっくりと地球と太陽の間に入り込み、太陽の光を奪いました」
昨日紹介した本
久しぶりに残りのページを読もうと昨日読み進め
今日続きを開くと最後の晩餐〜とユダが自身に課せられた裏切りの実行なくしてはこの計画は成功しないことを、マリアもイエスも現実的に同意していて、
むしろユダの役割を励ましているように見える。
愛する人を売るという永遠に恨まれる役を引き受けること、
そこまで自覚しながらやり通さなければならないシナリオに同意してきた魂、、、
このことについて深いところへ降りて感じることを私は拒否している。
良いも悪いもないという境地に意識を保つには、
人間には感情がありすぎる。
自分にとって一番嫌いな人間は、私のためにその役割をしてくれている。
そんなふうに想像することはあるが、
そうだとしても嫌だと反応する自分は消せないだろうと何度も思ったことがある。
今日は新月・皆既日食に開いたページはシンクロしていて、
冒頭に書いた日食の日にイエスが磔になる様子が書かれていた。
残虐行為の中で幻想を見抜く覚悟、永遠の生命を体現すること、
色々強烈すぎて読み進めれられない。
幻想、全ては幻想
夢の中で夢だと気づいた時は、空を飛べたり意のままに動かせることがある。目覚めた場所が現実。
裏切りのユダという裏切りが代名詞になったユダは、
イエスの目的を成就させるために最後まで忠実であるために裏切りを買ってでるという、
誰からも理解されないということまで引き受けている。
ニュースや世界の政治家を見て、
役割を演じているだけだと口にしてみよう。
反応が薄らぐことはあっても消えることはない。
それでいいのだ。できないことを追い詰めない。
今日は血圧が高めなのでさっさと寝ます。