こんにちは、tonoです。
最近の日本では、災害が続いています。
大阪北部地震、平成30年7月豪雨、千葉で震度5。
被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
今までもですが、これからも、常に何があってもいいように、備えておくのが良さそうですね。
自然災害はなかなか回避できるものではありませんが、自然の凄さや、自然に生かされているという事を学びますよね。
"水"も豪雨から災害になったりすると、悲しい陰の部分もありますが、でも、私達の身体は60%〜70%が水分であったり、水がないと、人も動物も植物も生きていけないものであったり、"水"に生命の源という陽の部分を感じると、やっぱり生かされてる事に、感謝だなと感じます。
でも、あの頃の私。。。
いつまでも病人ヅラしてんじゃねえ!と言われた頃の私は、正直、生きた屍でした。
いつも、いつも、
楽に死ねたら、
早く楽になりたい、
そんなことばかり考えてました。
感謝なんて、心のどこにも持てなかった。
そんな時もありました。
あの頃は、体調の不調の原因が全く分からず、薬も効かないので、大学病院で色々と検査をしたりしました。
胃カメラ、大腸内視鏡、MRI、婦人科系の診察もよく行きました。
胃カメラ、大腸内視鏡は異常なし。
唯一MRI検査で分かったのは、傍卵巣膿腫という、水の溜まった袋がある事でした。
先生の話によると
コレは通常は問題の無いもので、取る必要は無いと思うし、もし取ったとしても、身体の不調が治るとは限らないよ。
ただコレが捻転と言って捻れた時は、もうこの上ない痛みだよ!
という話でした。
捻転⁉︎怖い!!
と思ったけれど、取らなくても良いなら、手術なんてしたくなかったし、直接の原因ではないなら、捻転して痛くなるまで手術はしないで良いや!と、思ってました。
でも、カズノコさんはそんな考えではありませんでした。
見つかったなら
取ってもらった方が良い。
それで、解決!
男の人は、こういうものなのでしょうか?
自分が不調の時は、微熱でもこの世の終わりのように、シンドイ。。を繰り返し言い、病院行ってきたら?と言っても、全然聞きもしません。
でも私の事になると、何故こうも簡単に手術を勧められるのか。。。
そしてそこに、私の気持ちや、意見の入る隙間が見当たらない。
凄い威圧感の様なものが、常にそこにはありました。
この時は気がつきませんでしたが、今思うと、
モラハラ
だった様に思います。
私の母も、カズノコさんのこういう性格の事は、よく分かってました。
だから、いつまでも病人ヅラするな!と言われ相談した時に、母はこう言いました。
もう、tonoちゃん手術してみたら?
しないと、あの人(カズノコさん)は納得しないだろう。
と。。。
私もそう思いました。手術しないまま、いつまでも病人ヅラしてると、又何かひどい事を言われるに違いない。
もう、精神的にも参って来てました。
だから私は、今度痛みがやって来たら、手術しよう!と決めたのです。
そして、背中や腰が痛くなったある日、先生にお願いして、その日の午後にすぐ手術をしてもらいました。
腹腔鏡による傍卵巣膿腫を取る手術でした。
先生から、取っても痛みは治らないかもしれないとは言われてはいましたが、案の定、手術退院後も痛みは続きました。
でもその辛さを、私はもう口に出せなくなっていました。
だって、カズノコさんに
手術したんだから、治ったんでしょう!
と、先手を打つように言われたから。
きっともう、何を言っても届かない。
なら、もう言わないでおこう。
結局原因は分からないまま、手術から半年が経った頃、私はバンコクの地へ来る事になりました。
聖書の学びはやめたものの、以前のまま家族はついていくものと考えていた私は、自分の荷物だけで、先にバンコクへ向かったカズノコさんの元へ、1人で海外引っ越しをさばいて、身も心も疲れ切ってバンコクへ旅立ちました。
本当はもうこの頃の私に、カズノコさんと話し合う気力は全くありませんでした。
誰も知る人のいない異国の地で、頼るあてもなく、私はただ子供達の為に、仕方なく生きてる。そんな感じでした。
でも表面上は、幸せな家族を装う為に、頑張ってました。
ご近所付き合いも、それなりにと思いますし、色々と旅行に行ったり、習い事をしたりと、充実したバンコクライフを送っているかのように、頑張ってました。
習い事では、タイ語検定5級に合格、タイ料理教室を修了、人気のタイ人の先生のマクラメ教室に入り、アクセサリー作りの技術を一通り学び、デコパージュをやり、アイシングクッキーの先生の資格を取りました。
旅行もサムイ、クラビ、プーケット、カオヤイ、カンチャナブリ、アンパワー、バンコク市内、バリ、シンガポール、カンボジア、モルディブなどなど、色んな所へ行きました。
でも何を習っても、修了するまでやり尽くしても。コレだ!と思うものに出会えませんでしたし、心の底からの楽しさを感じる事はありませんでした。
そして旅行は毎回カズノコさんが怒ったりして、正直楽しくない旅行ばかりでした。
幸せな家族を装う。
いつのまにか、この無理のはけ口が、守りたかった子供達へと向かって行き始めました。
私は言葉で、子供を傷つけ始めました。
そして、バンコクでも時々起こる、背中、腰の痛み。
1人洗濯機の前でしゃがみ込み、
今日も1人で子育て頑張れるのかなぁ
楽に死ねたら
もう苦しまなくて良いのかな
私が死んだら
アヤさんがウチにやって来るのかな
早く楽になりたいな
子供は悲しむかな
それより両親に申し訳ないな
そしてよみがえる聖書の教え
自分で自分の命を絶ってはならない
…じゃあ死ねないなぁ…
未来に夢も希望も持てないまま
闇の中を歩き続けました
私はこの先どうなるのだろう
どうして
こんな人生になってしまったのだろう
未来に希望を持てず
過去に後悔をし
そう
この頃の私は
今を生きてなかった