日本語で「人聞きの悪い」という言い方がある。

例えば、AさんとBさんが正反対の議論をしていてAさんがBさんを快く思っていないとする。

そのときAさんは素直に言うことを言えばいいものを、聞き手のBさんが実際以上にネガティブな印象を受ける”人聞きの悪い”言い方をする。

要するにただの印象操作だが、言われたBさんは身に覚えのない負の利息を一方的に押し付けられてしまう。大抵の場合、それを不愉快に思ったBさんは負けじとそれ以上にAさんが不愉快に感じる表現で言い返す。つまり利息に利息をつけて押し返すわけだ。


気がつくと両者の間で人聞きの悪さが雪だるま式に膨れ上がり、それの押し付け合いになってしまっている。気がつくと両者の本来の主張は人聞きの悪さを相手に押し付けるための建前に過ぎなくなってしまっている。その結果、本来の議論自体がいつの間にか形骸化して何の議論か分からなくなってしまっている。

上のような状況をTwitterでよく見かける。


例えば、その議題が差別問題の場合、差別問題そっちのけで差別支持者と反差別主義者の両者が「人聞きの悪い雪だるま」の転がし合いをしてしまい、気がつけば両者の共同事業になってしまっている。

ここであえて反差別主義者に対して「人聞きの悪いこと」を言えば、彼らは差別に反対しておきながら、かえって差別主義者と一緒になって差別問題をネガティブな感情で煽る盛り上げ役に一役買ってしまっている。これは矛盾ではないか。


差別に反対するのは正当だと私も思うし、素直に考えれば差別反対に賛成だ。しかし私はそれを主張する際の言い方には気をつけたい。たとえ相手がどんなに人聞きの悪い言い方でこちらを非難してきても、私はそれに対して人聞きの悪い言い方で返さない。その方が本来のこちらの目的に叶うからだ。

いわゆる「嫌味」「皮肉」「当て擦り」は「本来の主張」に「人聞きの悪さ」を付け加えたものだ。その手の言い合いは健全な議論を中身のない人聞きに悪さの押し付け合いにすり替えてしまう。これでは無理筋を押し通そうとする者の思う壺だ。

例えるならば、人聞きの悪い言い方とは、ボクシングで言えば「クリンチ」であり、たとえそれが反則ではなく、その場凌ぎの有効な作戦であるにしても、それはその試合で不利な人間がやることだ。
そんなクリンチに対してあなたがクリンチで返してしまうのは、本来ならばあなたにとって有利だったはずの大義ある「有利な試合」を「泥試合」にしてしまうだけだ。逆に相手からすれば本来の「負け試合」を「泥試合」に持ち込むことで「引き分け」にすることに成功しているのだ。
だから相手がそういった言い回しをしてきたときにはそれを空回りさせることで「相手が余計な付け足しをして誤魔化していること」と「相手の方が不利な状況にあること」を明白にしてやることだ。そのために最善なのはボクシングと同様に素直で冷静な返し方をすることで格の違いを見せつけてやることだ。
やってみれば分かるが、そうすれば相手は言い返しようがなくなって自然に自滅する。

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