本日の定時を過ぎました。
本日を持って長年勤務していた日本アイビーエム株式会社を定年退職となりました。これは早期退職に応じたものです。退職の手続きにあたっては1stラインの方、2ndラインの方、産業医の先生、人事の方から多大な御支援をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。
(うちの会社は50歳以上の中途退社は定年退職として扱われます。)
思えば27年間になりますが、今日まで毎日頑張りました。

私は元々新卒で96年にロータス株式会社のR&Dに就職して、2001年にIBMの現東京研究所に転籍となりました。常駐期間を除いて最初から最後まで外資系企業のラボに勤務していました。
ロータスに就職した当初はコンピュータやプログラミングの知識やスキルがない上に、片耳のためか英語がうまく聞き取れず苦労しましたが、何とか定年退職まで勤めることが出来ました。
途中何度か中途退社を考えたこともあったのですが、自分はプログラミングと同じくらい特許取得に関心があり、特許制度が充実しているIBMに勤務出来ることに喜びと誇りを持っていました。最終的に15件の特許が取得できて十分満足しています。これも皆様のお世話になったおかげかと思っております。
中でも特に特許を取得したい発明が10年前から2件あったのですが、どちらも特許を取得することができました。発明の内容は当時社会問題になり始めていたSNS上の心無いヘイトスピーチに関する社会心理学の理論を用いた分析手法でした。特にハイダーのバランス理論とケリーのANOVA(分散分析モデル)はスノーボールサンプリングなどとともに大変参考になりました。
個人的な経緯は、当時一部の心無い日本人が「在日韓国人は日本から出ていけ」といった発言をし始めていて、母親が在日韓国人2世である私は毎日胸を痛めていました。当時母は高血圧と糖尿病で非常に容態が悪かったのですが、何とかこの母が生きているうちにヘイトスピーチを分析する手法で特許をとって、会社から盾と賞金をいただき両親に届けたかった。
しかしようやく特許が成立し盾と賞金をいただいたときには母は心臓の内壁に穴が開き、入院中で手遅れの状態でした。
入院1年目と2年目の年末年始にそれぞれ盾を1枚贈り、賞金でタラバガニなどを買って牛すじのカレーを作り家族で一緒に食べました。これが両親との最後の食事になりました。
その3ヶ月後に母は亡くなってしまいましたが、何とか最高の親孝行ができたと思っています。小学生のときに父がそうしたいと思っていたように私も特許を取りたいと思って30年間。母の生前に間に合ってよかったです。タイムリミットまであと3ヶ月だったんですね。
その後、10年前に数年間人間関係に悩まされて引き起こした鬱病や不眠症による寝酒のアルコール依存症がエスカレートして今年になって重度の肝硬変を引き起こしてしまったのは残念ですが、明日からも生きていられる限り何かやりがいのあることを見つけて生きていきたいと思っています。
皆様ありがとうございました。深く感謝しています。