もし私達が肉体のみの存在で、死ねば全てが消滅するので有れば、私は死刑制度に賛成していたかもしれません。
だけど、私達は肉体という神殿に、賜りしヒを宿すヒトなのです。
少なくとも私は生まれてから今までの人生で、一度も魂の存在を疑った事がありません。
ヒトと同様万物には魂が宿っていると思います。
花には当たり前にフェアリーがいて、
悲しい時、辛い時はいつも風と木霊が慰めてくれました。
死んだら「あちら」に帰ると、どこか深いところで確信していました。
人は死んでも終わりじゃ無い。
ただ、肉体を脱ぐだけなのだとしたら、死刑には何の意味も無いと私は思います。
たまにニュースで、捕まった殺人犯の映像を見ると、かなりの割合で同じような波動を持つ霊の憑依を感じます。
つまり、心の底から改心することなく、死刑になったり、何らかの理由で肉体を失った霊体は、また同じような波動の人に憑りつき、同じ罪を犯しているのではないかと推測しています。
だとしたら、死刑に意味は有るのでしょうか?
罪を犯した人は、賜りしヒの続く限り生き抜き、心の底から反省して欲しい。
そしてできる限り身を削ぎ、少しでも魂の純度を取り戻してあちらに帰ることが、大きな貢献なのだと思います。(これは殺人を犯したヒトだけに言えることではなく、皆んなに当てはまることだと思うけれど)
そして魂は独立した存在でも無いと思います。
魂は幾層にもなる多重構造で、必ず他の魂と繋がっているのではないかと感じています。
もしそうならば、全くの他人ごとなんて存在するのでしょうか?
罪悪感を持てと言っているのでは無いのです。
ただ、何事も我が事ととらえ、自分から変えていこうという意識を皆んなで共有できたなら、きっと地球は更にスピードを上げて恒久平和の星に進化すると思っているのです。
誰かに罰を与える為に肉体を奪っても、意味がないのです。
むしろ、肉体を無くした分、思考や感情もストップしたまま、フラフラと彷徨い、あるいはその場に執着し、皆の足を引っ張る存在を増やしていくだけのように私には見えます。
みんな繋がっているんだよ。だから少しずつでも魂の純度を上げていこう。
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