みなさんキラキラ今日も一日お疲れ様です!


暖かくなったとおもいきや今日はまた少し冷えております


夕方には突然雷が鳴って驚いてしまいました



今日はお友達と一緒に喫茶店にいたのですが


最近の近況報告ということで久しぶりにたくさんお話ししました



自分自身が旧家の生まれで、生まれた土地との関わりも深くて 先祖代々由緒ある家柄のそのお友達は


全て 一般であるところの『立派な生き方』しかゆるされない家で育ちました


そしてまた 結婚して嫁いだ先のおうちも旧家で 先祖代々『先生』と言われる一族でした


『~ねばならない』という拘束された、かたく真面目を絵に書いたような環境で今まで生きてきましたが


最近それにすごく『違和感』を感じてきているとのことで 、『自分を生きている』実感がなく


またその『~ねばならない』と拘束した生き方を 自分の子供達にも 押し付けてきたが 子供達がだんだんいうことを聞かなくなってきていて


とうとう自分の長男さんが一族の反対を押しきって家を出て『一人暮らし』をするとのことで


またそれも関西を出て東京にいき『美容師さん』になりたいらしく


なぜ関西でなく東京なのかというと


とにかく一族のしがらみから離れたい


自分らしく生きて行きたいから 邪魔してくれるなと


友人もかなり悩みノイローゼになりかけたのだそうです


というのも


子供がそうなったのは、すべて嫁である友人の責任で


長男は先祖代々 墓守り家守りの宿命があり


それをほってまで自分の好き勝手に生きるなど どんな育て方をしたんだと 身内一族から、怒涛のごとくに責められたそうなのです(泣)


こんなことを言っては 叱られてしまいそうですが


時代錯誤もいいところです(泣)


でも


ずっとずっと そういう環境で 育って また そういう家に嫁いでしまうと


『常識の基準』というものは その家それぞれで、自分には考えられないようなことがあることも少なくありません


友人も今回の子供の件は大変だけど ある意味


様々なことを考えられるきっかけになったと


そして


とても大切なことを話してくれました



自分の幸せを

『他人から認められること』や
『まわりの人間の理想となる自分になる』
ことに置いてしまうと

自分自身を見失ってしまう




協調性を大切にする日本人には 本当に有りがちな生き方であり


自分自身を押し殺し、ひとのために尽くす生き方を美徳とし、それがそのひとの、本心からの生き方であるのなら、きっと問題はないのだろうけれど


しかし 一歩間違えると自分自身に、嘘を突き通す生き方であり、それが限度を越すと『心の病』を発症しかねない生き方になりえます


長い間『旧家の掟』に縛られて生きてきた友人は、息子さんの出来事があって はじめて自分自身の心とも向き合うことが出来たと 話してくれました

これからまだまだ 一族との問題は山積みだけれど


それでも やっと 私自身も『自分を生きる』ことが出来るようになってこれた


だから一生懸命頑張っていきたいと話してくれました



『幸せの基準』



それは他人からみた自分ではなくて


『自分自身の中にある』



それを改めて考えさせていただいた一日になりました



わたしは友人とその息子さんに




心からのエールを送りたいと思います