3月31日(日)。この週末は暖かくて嬉しい。昨日は目黒でランチした後、嬉しさのあまり池尻大橋までけっこうな距離を歩いてしまった。桜は0.5分咲きといったところだが、春の陽気を感じられるだけで十分。それから書店に立ち寄って『オルタナティヴR&Bディスクガイド』を購入し、書店の近くで昼とも夕方ともつかない時間帯からクラフトビールを1杯→焼売をつまみながら数杯→拙宅近くのバーでワインとパスタ(最近、炭水化物をしっかり摂るようにしている)。ほどよい酔いと長距離歩いた疲労からか、気づくと洗濯機を回しっぱなしで夢の世界に入っていた。

 

キックボクシングのジムで知り合ってから14年の付き合いである髪(仮名)が今はパーソナルトレーナーをやっているので、今日は14:30集合で軽く昼ごはんを食べてから、ベンチプレスや背中の種目を見てもらった。この髪、4月からカンボジアに住み、自分のジムをやるらしい。これまでもキックを辞めた後ボクシングを始め、プロテストに合格したかと思いきやデビューせず、世界中を旅し、自衛官になったかと思いきやヨガのインストラクターや会社員を経てパーソナルトレーナーをやっているような人間なので、これからカンボジアに行くことも特段驚きでもないのだが、「こいつも旅立つのかぁ」としみじみと感じ入りながら別れの握手をした。別れの春。学生時代にタイを旅行した際、カンボジアは評判の良い国の筆頭だったので、髪に会いがてら普通に行こうと思う。

 

別れの春といえば、もう一人。山本義徳 筋トレ大学のタケタコタンが卒業とのこと。今古賀翔さんのチャンネルをよく観ている私は、自然とパワーリフター寄りの考えになったので、山本先生のチャンネルの熱心なファンというわけではないのだが、山本先生とタケタコタンのやりとりはいつもクスリと笑わせてくれて好きだった。そのタケタコタン、数年前からうつ病と不安障害を患っていて、最近ではパニック障害の症状も出ているとのこと。程度の差こそあれ、自分自身もメンタル疾患経験者として他人事には思えない。とにかく今は回復に専念していただきたい。4年間楽しい時間をありがとうございました!

 

 

 
 

ふと、手元のiPhoneのSpotifyに目をやる。今朝、『オルタナティヴR&Bディスクガイド』に載っている作品の曲をいくつか聴き、それから自動再生にしていたのを止めて家を出たのだった。ジェネイ・アイコ(Jhené Aiko)の「W.A.Y.S.」を30秒ほど再生したところで止まっている。もう一度頭から再生してみた。

 

 

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監修の川口真紀さんから『オルタナティヴR&Bディスクガイド』の執筆依頼を頂いたのは昨年10月末のことだった。それからほどなくして編集の小澤俊亮さん(ファレル似らしい)から掲載候補作リストを受領し、執筆希望作品を30に絞った。この作業がじつは大変で、カリード(Khalid)やSZAなどの国内盤ライナーノーツを担当した作品については書かない、各アーティスト極力1作品にするなど自分ルールを設け、泣く泣く削った作品がいくつもある。希望は予想以上に通り22作品のレビューを書いたのだが、蓋を開けてみると執筆陣の皆さん同じくらい書かれていた。皆様お疲れ様でございました。

 

 

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オルタナティヴR&Bというジャンルの捉え方は様々だと思うけれども、自分の中で言えることが2つある(ちなみにこの段落、あえて本書のはしがきやあとがきやコラムを読まずに書いている)。いわゆるオルタナティヴR&BはたしかにR&Bの歴史の中でオルタナティヴだったのだろうけれども、2010年代はもはや“オルタナティヴ”でなかったこと。そして、ジェネイ・アイコがそのジャンルにおいて最も影響力あるアーティストの一人であったこと。前者については私の観測範囲がよほど偏っていなければ、という前提付きではあるが、たぶんそれほど偏っていなかったと思う。また、フランク・オーシャン(Frank Ocean)やザ・ウィークエンド(The Weeknd)を同ジャンルのパイオニアとみる方が多いと思うし、そこに異論は無いのだが、私の観測範囲では彼らと同じくらいジェネイ・アイコの影響力は大きかったように思う。サウンド面でもそうだし、スピリチュアルな要素(トピックも楽器も)の取り入れ方もそう。だから、彼女の作品のレビューを何かしら担当することは、自分にとって必然だった。もちろん、他の21作品についても同じくらい思い入れがあるので、ぜひお手に取っていただきたい。というか、私よりも他の執筆陣の皆様が書かれた文章が素晴らしいと思うので。

 

とはいえ、ヒップホップの定義論とかもそうだけれども、総論的なものがあまり得意でない私は、オルタナティヴR&Bのレンズで各作品を見るというより、ただ書きたいことを書き殴るだけになってしまった感もあり。それでも前述の川口さんからは身に余るお褒めの言葉を頂いたので、ああ、これでよかったのかと安心した。

 

 

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総論的な話が得意でないと言ったそばから何を言っているんだという感じかもしれないが、いわゆるオルタナティヴR&Bには得意な領域とそうでない領域とがあると思う。あくまで一般論ではあるが、繊細な感情の機微を伝えるにはうってつけのフォーマットである一方、力強くストレートな愛の言葉やモチベーショナルなメッセージを乗せるにはオルタナティヴでないR&Bのほうが向いている。繰り返しになるが、あくまで一般論として。

 

そう、あくまで一般論。だから、逆にオルタナティヴR&Bだからこそ優しくも強く背中を押してくれるように感じる曲もある。自分にとって、アイコの「W.A.Y.S.」はまさにそんな曲。

 

 

 

Why aren't you smiling? Why aren't you smiling?

どうして笑ってないの? どうして笑ってないの?


Life can get wild when you're caught in the whirlwind

人生、つむじ風に巻き込まれて苦しいときもある


Lost in the world when you're chasing the win
勝ちを追い求めれば迷子になるもの

 

You gotta understand
これだけは解っておいて

 

There's really no end, there's really no beginning
終わりなんてない、始まりなんてないって

 

There's really no real, there's really no pretending
本物なんてない、偽物なんてないって

 

There's really no fail, there's really no winning
失敗なんてない、成功なんてないって

 

Cause nothing really is and everything really isn't

何もそうじゃないし、全てがそうじゃない

 

 

マインドフルネスやスピリチュアリティの世界で人気の故事成語の一つに「塞翁が馬」がある。辞書を引くと、同語は「人間の禍福は変転し定まりないものだというたとえ」などと定義されているが、マインドフルネスやスピリチュアリティの世界ではノンジャッジメンタルな態度を推奨する文脈でしばしば引き合いに出される。ここでのアイコの歌詞もまさにそういうことを言っているのかな、と思う。勝ち負けとか成功とか失敗とか、一義的に決めてしまうからつらくなるであって、究極的には勝ち負けも成功も失敗もない。あるのは物事に対する自分の態度だけ。だから、どうせなら笑って物事に臨もうよ、って。

 

この曲を聴いて、なぜか髪とタケタコタンのことを思い出した。昔から何度も自分を縛るものを手放してきた髪のことは尊敬している。この春カンボジアに旅立つことについても、幸多からんことを願うばかりだけれども、現地でビジネスが成功するかどうかについて、彼は本質的には気にしていないんじゃないかなという気がする(たぶん、正面切って訊いたらそんなことはないって言われるだろうけど)。また、タケタコタンにとって今はつらい時期だろうけれども、そんな彼の存在や現状を私が知っているのも、彼が一歩踏み出したから。その決断と行動に敬意を表するし、彼が言うように、何年かかろうとも舞い戻ってくることを期待している。

 

昨日感じた春の風と旅立つ二人のことを思い出しながら「W.A.Y.S.」を聴いているうちに、“Why aren’t you smiling?”の4語が自分に宛てられているかのように感じ始めた。正直なところ、ここのところ花粉やら満月やらで体調が思わしくなく、メンタルもそれに引っ張られてか、あるいは逆にもともとメンタルのほうが良くなかったのか、さらに他にも様々な要素が重なって、基本的に無気力な日々を送っていた。そもそも今、笑うことを選択できるはずだし、それが難しいと感じるなら、笑える環境を整えることに注力すればいい。身近なところと画面の向こうに範を示してくれる人、そして理解・応援してくれる人がいるんだから。なんかよくわからないけれども、今このタイミングで聴く「W.A.Y.S.」だからこそ、そう感じさせてくれたように思う。

 

昨日の風のようなThe Fisticuffsのビートに乗って、“I gotta keep going”と繰り返すアイコの歌声が耳に届いてきた。

 

 
 
 
〜以下リリース〜
 
 
フランク・オーシャンやザ・ウィークエンドといった先駆者から、
独創的な作品で新風を吹かせたジェネイ・アイコ、ケレラ、ティナーシェ、ソランジュらに加え、
ルネッサンス・ワールドツアーの成功も記憶に新しいビヨンセ、
2024年のグラミー賞で栄えある最優秀R&Bアルバム賞を受賞したヴィクトリア・モネまで、
R&Bの“いま”を見渡す待望の一冊。

小袋成彬、三浦大知、SIRUP、iriほか日本作品、およびペク・イェリンやRed Velvet、V(BTS)等々の韓国の重要作も掲載。

「ラップするシンガーと歌うラッパー」「ノア“40”シェビブ」「Y2Kリヴァイヴァル」など関連コラムも大充実。

さらにフランク・オーシャン、SZAの厳選インタヴューを採録。
録り下ろしインタヴュー「We♡R&B!」では、R&Bイベントを主催するなど国内シーンの活性化にも尽力するシンガー・aimiが実作者の視点から〈オルタナティヴR&B〉を語る。

執筆陣:
アボかど/天野龍太郎/井草七海/奧田翔/押野素子(翻訳)/高久大輝/高橋芳朗/辰巳JUNK/長谷川町蔵/林剛/パンス/Yacheemi/矢野利裕/渡辺志保


〈目次〉
Intro オルタナティヴ、インディ、エクスペリメンタル?──R&Bの新しい波をつかまえんとして

■Chapter 1:萌芽期(2009-15)

Column マイケルとクインシーのように──最重要プロデューサー、ノア“40”シェビブの仕事 文:高橋芳朗
Column 溶けゆく境界線──ラップするシンガーと歌うラッパー 文:アボかど

Interview 音楽シーンで最も話題の男、フランク・オーシャン
文:レベッカ・ニコルソン 訳:押野素子(初出:ガーディアン)

■Chapter 2:成熟期(2016-18)

Column R&Bと非R&Bの狭間で──フランク・オーシャンの『Blonde』はいかにしてジャンル間の壁を曖昧にし、音楽的な革命を起こしたか 文:天野龍太郎

Interview 音楽を辞めかけながらも、いまやグラミー候補となったSZA
文:レジー・ウグウ 訳:押野素子(初出:ニューヨーク・タイムズ)

■Chapter 3:百花繚乱(2019-23)

Column ビヨンセが塗り替える「ディーヴァ」の定義──ルネッサンス・ワールドツアー鑑賞記 文:渡辺志保
Column Y2K&R&B──音楽に還流する2000年代の空気 文:つやちゃん

■Chapter 4:韓国

Column 韓国のメロウでチルなムード──K-R&Bの歩みをたどる 文:パンス

■Chapter 5:日本

Column 多才/多彩な音楽家・小袋成彬入門 文:川口真紀
Column 日本におけるオルタナティヴR&Bの水脈──内省的でアーティスティックな音楽として 文:矢野利裕

Interview We♡R&B!──シンガー・aimiインタヴュー 聞き手:川口真紀&つやちゃん

Column オルタナティヴは王道になる 文:林剛

Outro オルタナティヴの時代があらためて教えてくれたこと


装画:hitch
デザイン:小沼宏之(Gibbon)


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〈お詫びと訂正〉
本書2024年3月29日発行の初版に誤りがございました。
ここに謹んでお詫び申し上げますと共に訂正いたします。

・P. 153 25-26行目
誤:レヴィン・カリの存在は大きいといわざるを得ないし、それこそ、長らくアリーヤの影響を作品に投影しながらも(後略)
正:レヴィン・カリの存在は大きいといわざるを得ないし、それはテディ・ライリーやクロード・ケリーも然り。それこそ、長らくアリーヤの影響を作品に投影しながらも(後略)

・同上 最終行
誤:チャーをミックスさせた世界観はオリジナリティに溢れており、最
正:同一文を削除