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免許更新と読書

 

 

 

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4月7日 大森風に吹かれてにて。

映画「カンタ!ティモール」の上映会。私は映画の後に唄いました。

映画の舞台となっている東ティモールの歴史を知ったのは、この映画を観たおかげです。

1975年にポルトガルから独立した直後、今度はインドネシア政府軍が治安の安定という名目で軍事介入して支配下に。24年間におよんだインドネシア時代には、東ティモールの人びとがさまざまな苦難を経験したこと。戦争、飢餓、身体的暴力により命を失った人も多く、映画では体験者の話が多数登場します。数年間戦争状態、人口約60万人のうち10万人以上の人が亡くなったといいます。それは日本にも無関係ではなく、当時日本政府は莫大な軍事経済支援をインドネシア政府にしていたと。

そして、南洋の美しい島は、今も、島と周辺海域の豊かな資源のために世界の大国の欲望の的となっていることを知ります。

しかし、この映画のタイトル「カンタ!ティモール」のカンタ!とは「唄う!唄え!」という意味。ただ単に島の苦難の歴史だけではなく、そこから立ち上がり暮らしをはじめて、笑顔を取り戻し、唄う人たち、とくに若い人たちと子供たちの姿をみつめています。

監督の広田奈津子さんが初めて島で耳にした歌、その歌が帰国後も心から離れずにいたところからすべては始まりました。     

       彼らのことばが、うたが、
     いつまでも 心をはなれないのは、
      それがほんとうの 物語だから。

                      映画監督 広田奈津子

 

映画の主要人物であるアレックスという青年。彼は行く先々で子供たちと共に自作の歌をうたいます。残念なことにアレックスは亡くなってしまったのですが、彼から、届いたメッセージが、この映画とこの映画を広めていく人たちに共有されているのだと思います。

 

自分たちの仲間が
10人にしか見えなくて
対するものが大きくて
巨大で1000人にも見えても

あなたのやろうとしていることが
命に沿ったもの
命が喜ぶことであれば
亡くなった人たちも
これから生まれてくる人たちも
ついていってくれるから
それは1000どころじゃないから
絶対に大丈夫だから
恐れずに続けてください
仕事の途中で命を失うかもしれないけれども
それでも大丈夫だから続けてください

心細くなった時は
自分たちのことを思い出してほしい
自分たちは小さかった
「あの巨大な軍を撤退させる
ということができたら奇跡だ」
と笑われた闘いでした
でも最後にはその軍も撤退しました

これは夢でも幻想でもなく
現実に起きたことで
目に見えない力が
僕らを助けてくれたから

どうか信じて
あなたの道を進んでください

       ヘルデール・アレキソ・ロペス/通称アレックス

 

今日の映写会を開いてくれたのは、うたたねPlumさん。
彼女はカンタ!ティモールを一人でも多くの人たちと共有したい,その一念でギターを練習し人前で唄うようになりました。私とも数年前に唄う場所で出会いました。今日映写会という形で、私の友達や、またその友達と共有して、考えるきっかけを作れたことは、東ティーモールの自由のために戦った人々、唄う青年、子供たち、映画をつくった人たち、それを広めている人たちに繋がり、そして拡がって、また私に還ってきます。

 

 

4月12日 大阪集い処はな にて。

店のメニューに、ホタルイカのパスタがあるから、だいたい春に唄っているのです。

面白い出会いが産まれる処です。

アカリトバリの二人と一緒に唄います。

トバリアカリさんとトバリ岳陽くんのデュオとはこの場所で数回一緒にやっていますが、今夜の二人はとても素敵でした。

戦時中は歌詞を変えてうたうようにという弾圧を受けた話から唄いだすアカリさんの故郷福島の歌「相馬盆唄」は魂の自由をはじけるように現していました。それから、岡山の海に浮かぶ国立ハンセン病療養所長島愛生園で出会った人との思いを歌にした曲は、静かな島の浜に打ち寄せるさざ波のようでした。最後は一緒に「平和を生きる権利」を唄いました。ここでなかれば会わない人があり、ここでなければつくれない空気があります。びっくりしたのは、大学時代に朝比奈逸人さんに美術の授業を受けたという人がいたことです。

 

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4月13日京都修学院アコシャンにて。

21年前、ステージのやり方もよくわからない、、そんな状態で唄い始めた私を最初に受け入れてくれた店であるアコシャンは健在です。今日も、半数は、最初の私を目撃している人たちです。それから、途中で友達になった人が混ざって小さなアコシャンは満員です。

オジョーと一緒に唄うのも恒例となりました。オジョーやなぎ君の小さな歌をうたい継いでいます。作った人は亡くなっても歌はずっと旅をしています。

客席に山本シンさんがいました。気持ちよさそうに体をゆすって聴いてくれていました。お酒も進んだようですが。。。

それから、渡さんの最晩年のライブをこの店でやった時に聴いていた人たちもあり、それから数えてもう19年です。

店と一緒に年を重ねた人たちと一緒の夜に感謝。

 

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4月20日一橋学園ローリングビーンズにて。

集中して唄える雰囲気はどこから生まれるのか、、、というと、、、聴き手が集中して耳を傾けてくれているからなのですね。

おかげで休憩をせずに一気に。

ヨイシラセをビーンズの仲間と一緒に唄いますが、みなすっかりきちんと練習してくれたから、ものすごい厚みのある音になります。

打ち上げをやるのは4年ぶりです。そこで盛り上がるのは、それぞれの好きな歌い手の話と歌です。沖田浩之という歌手の熱烈ファンが二人もいて、いろいろ教えてくれました。

久しぶりに夜更かしでした。

 

4月24日茅ヶ崎ボチボチにて。

通い続けて少しずつ聴いてくれる人たちが増えた場所です。

新しい歌があると嬉しいものです。

ヨイシラセに杉本さんがベースを入れてくれました。そして、ローリングビーンズの続きのように中村さんのエコーハーモニカとパンデーロも。自分の曲に参加してもらえるのは嬉しいことです。

この店では、いつも終わって残った人たちと、もう一杯飲みながらひととき過ごします。

私の住む町も神奈川県にありますが、ここ茅ヶ崎は神奈川県という響きがよく似合いうなあと思います。

帰り道の国道右側には防風林の黒い影、その向こうは湘南の海。

 

 

 

4月27日亀有kidboxにて。

我が家から約二時間の道のり。楽器が沢山置いてある店なので今日はダルシマーは借りることにしました。翌日青森に行くので旅の支度をして行くからです。

最近、ダルシマーの弦を一本減らして3本で弾いているのですが、今日は4本です。やはり4本の方が華やかな響きです。いつかギターが弾けなくなったなら、ダルシマーだけで弾き語ることになるかもしれないので、レパートリーも増やしていこう。

4畳半ほどのスペースに団子のように重なり合って歌を聴いてもらうkidboxライブ。店主の鷲見君の誕生日ということで美味しい差し入れもあり、、本編が終わってからボーナストラックでニール・ヤングを1曲歌いました。

 

4月28日青森にて。レストランオルケスタの30周年パーティーに友達3人で新幹線に乗り駆けつけました。

オルケスタは夫婦たった二人で切り盛りしてきました。私は14年ほど前から毎年のようにレストランで唄ってきたので、青森に少しずつ友達ができました。

今日は沢山の人たちが集ってのお祝いです。不思議と皆知り合いのように感じます。小さな町のレストランには今日この大きな宴会場に集まった人たちの何倍もの数の笑顔が刻まれているのだと思います。

明るいところには人が集まって、歓びは何倍にも膨らむんだな。。。キラキラした光が手に掴めるような夜でした。

翌朝、青森港のフェリー乗り場に連れて行ってもらいました。こんど、50年ぶりにフェリーに乗って函館に行こうかな。

笛とサックスと麦わら帽子で来てくれた波子さん、勝ちゃんもありがとう。久見ちゃん美味しい朝ごはんありがとう。

 

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もう10年もハンドルを握っていませんが運転免許の更新をしました。

高齢者講習を受けなくてはいけないということで、教習所の予約をしました。どうしよう、、、運転できるかな、、、エンジンかけるの、どうするんだっけ?来月までに予習をしなくてはならないな、、、

 

最近アマゾンの請求にびっくりです。できるだけ古本探しているんだけれど。。。

沢山読んだ私の中から、何がどれだけ産まれてくるのか、

なぞってみたり、切り抜いてみたり、糊付けしてみたり、巻き戻してみたり、、、掘ったり削ったり、、、あたまの中で一生懸命働く私がいます。。。疲れたら散歩。。。

 

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たっぷり三月

 

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3月1日神戸 な也 にて。

まっちゃんライブ328回になります。まっちゃんが、まっちゃんライブを初めて今年で25年だそうです。私はたぶん20年前から。

うどん屋な也の二階、5年ぶりです。店の主の岡ちゃんもスタッフの皆も元気でした。赤ちゃんの頃からお父さんに抱っこされて聴きに来てくれた子がすっかり少女になって、唄う私の絵を描いてくれました。嬉しい。

じゃんぼさんが、新たに手に入れた由緒あるマンドリンを抱えて弾いてくれました。

ひとつだけ寂しい気持ちになるのは、長年欠かさずに聴きに来てくれた友だちRさんが昨年12月に亡くなったこと。まっちゃんライブの常連で、昨年の3月には一緒に皆と過ごしました。

帰り道、「Rさんはね、今夜はお休みしてるだけ、、ずっとそう思ってる。」と言う声が。。。それくらい、なくてはならない人でした。

神戸には私の20年をずっと見守ってくれている人たちがいます。Rさんは、ダルシマーをステージで弾くことを応援してくれました。ある夜ライブ後に、このペンタングルのビデオを一緒に観ながら。

 

 

 

3月3日明治学院大学にて「ビキニ水爆実験被災70年

3.1ビキニ記念のつどい」に参加しました。

主催は第五福竜丸資料館の事務局長市田真理さんが中心になって、講師に霊長学者の山極壽一さん。

最初に山極さんが話したテーマは「人間は本来平和的か暴力的か?」

ジャン・ジャック・ルソーは人間は平和な生き物と。映画「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンでは人類が初めて武器を使って暴力を行う。

講演自体は、それほど掘り下げた内容ではなかったと感じたけれど、休憩をはさんで、若い人たちと山極さんと対話の時間もありました。

 

私は、人間の生命にはもともと両方が備わっていると思う。

それをコントロールする方法を求め続けているのだと思う。

そして信じている。人類が一人一人が自分に内在する暴力性を克服することができると。

 

ビキニ事件から70年。私と同い年の歴史的大事件。

 

人間の臆病なこころが、武器を手放せずにいるのだもの。

人間のこころを強くするしかないと、毎日思っています。

 

3月6日東中野で光玄&北京一を観に聴きに。

光玄さんは神戸から。ツアーで唄いに来る知り合いのライブは空いていたら行きたい、なるべく。

京一さんがおまけで唄った「月の祭り」よかった。

 

3月10日大森風に吹かれてにて。

飛楽人と年に一度この季節に開くライブ。毎年楽しみに来てくださる人もあり誘ってもらって感謝します。

ここは昔馴染みの友のやっている店。顔を合わせれば「どう?体?」お互いにあちらこちら痛いところをさすりながら交わす挨拶。

今夜も飛楽人と風ふか主と約束をしました。「来年もやりましょう!」これが私たちの希望の言葉。

 

 

3月13日東中野ポレポレ座で映画「かずゑ的」を観ました。

瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園。

10歳で入所して80年あまりこの島で生きてきた宮崎かずゑさん。8年に及び寄り添い映画にした熊谷博子監督。

 

映画の初めのあたりで交わされるかずゑさんと熊谷さんの会話。

私はね「ハンセン病」ではなく「らい病」といいます。らい病は旧約聖書にも仏典にも登場する、ずっと昔からある。ハンセン博士がらい菌を発見してからハンセン病という名になったけれど、私はらい病で良いとおもいますよ。

その言葉だけで、この女性がどれだけの精神的肉体的闘いをして、今の境涯に辿りついたのか、勝ち取ったのかを感じました。

 

非人間的な扱い、あらゆる差別、家族地域社会からの断絶、そして後遺症や様々な疾病で困難極まる生活。

この映画には、これらの歴史については描かれていません。ただただ、宮崎かづゑの人生が色鮮やかにありました。

 

らいでよかった。という言葉がかずゑさんから聞こえた。どこのシーンだったか。。。

業病と忌み嫌われたらい

かづゑさんは、そのを、神様から与えられたとして、生き切ってきた。自由自在の魂。その人の魂の眼でしか見えないものを教えてくれます。

 

映画を見終わって、近くでやっている湯川トーベンライブに顔を出して。

帰宅して、かずゑさんの著書「長い道」を読み始めています。78歳でパソコンを覚えて80歳を超えてから書き上げた本。

 

3月16日 素晴らしく晴れた暖かい土曜日の午前中、地域の集まりでギタリストの小松原さんと2曲演奏。近所の人たちの前はいつもちょっぴり照れくさい。

You've gota a friendと平和に生きる権利を唄いました。

 

夜は国立はっぽんにて。

Julanさんが呼んでくれた。日本フォーク同好会というなかなか達者なグループ。Jyulanのオリジナル曲「ぼくの夏」という曲がとても胸に響きました。

いつも声をかけてくれてありがとうございます。お花までいただきました。

 

3月17日曙橋コタンにて。

いなのとひら・のとこばの3人と一緒。広瀬波子さんも顔を出してくれて、この夜でしかできない曲もやります。

Forever Youngを稲野君、こばちゃん、平野さんの達者な演奏と唄うと、一緒に私の歌も持ち上げてもらえます。バンドが好きです。波ちゃんにもたっぷり笛とサックスを吹いてもらいました。

毎月の定例ライブを続けていくのは大変な時もあるでしょう。でもこんなに楽しいのですから、これからも続くと良いです。

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3月19日名古屋 はな咲にて。

雨、それも冷たく風も強い。それでも足を運んでくださった皆さん本当にありがとうございました。

最近つくった歌、うたい始めた歌、ふるい歌、聴いてもらいました。

翌朝、女将のSakiさんの車で大曾根のぱんとまいむへ。

毎年唄いに行っている喫茶店だけれど、モーニングに行くのは初めて。Sakiさんとの出会いもこの店だった。

モーニングセットには小さなカップにお茶漬けまで。寒い朝、二人で迷わず最初に口をつけたのは、このお茶漬け。

マスターの真野さんから、連れ合いの直美ちゃんのことを聴きました。少しお休みしてるらしい、、ゆっくり養生してね。

 

3月20日大阪服部天神 ねいろかふぇ にて。

小さな場所に花が咲いたように良い笑顔が溢れました。

足を運んでくださりありがとうございました。

久永洋子さんとの初めての共演です。いままで、私のライブには何度も来てくれているのに、演奏を共にするチャンスがありませんでした。たぶん約二か月前、メールのやり取りで演目の打ち合わせ。。。微妙にすれちがう選曲。。。

何度かのやり取りで気持ちが近づいていきました。

それで、きっと当日は楽しくなるなぁと予感しました。

そのとおり、二人で並んで、、ハモったときにはほんと嬉しかった。またね、次回の選曲、またやり取りしましょう。最後は飛び入り、クニさん、じゃんぼさん、いつもありがとう!

 

3月21日大阪初芝おかわり にて。

小さな立ち飲み屋ですが、その細いカウンターの奥には小さな部屋があり、マイクとスピーカー。

マスターは奄美徳之島の人という。寒い夜でしたから、着くとすぐに温かい賄の煮込みラーメンを出してくれました。

長田TACOと久しぶり。とっても良いアンサンブルでやれました。呼んでくれたのは若い人たち。お客さんも若い人と、私ら世代。よこへくん、呼んでくれてありがとう。よいうたをつくって唄ってください。すべては歌の中に込めて。

 

3月22日大阪旭橋 新樂山 にて。

三日間、同じホテルに泊まっています。これはとても楽です。三日もいると自分の家です。洗濯も軽くしました。

キャリーケースひとつ。一週間分の荷物にしてはコンパクトです。人間これくらいのもので暮らしていけるのにね、家にあるあれやこれやは、いったい何のためにため込んでいるのか。。。

新樂山でソロで唄うのは初めてです。客席は嬉しい顔ぶれです。

女将のNAOMIさんの持ち物であるマウンテンダルシマーを弾きました。

最後はMOJOくんにハーモニカを吹いてもらいForever Young.

 

昨日も今日も、昼ご飯は平田ママとともに。一食はしっかりと米を食べなあかんと。これは、ママが村上律さんのツアーで得た旅の心得です。特に旅に出るとライブや打ち上げで、ご飯を食べずに飲んでつまむだけだったりするからね。

 


3月23日奈良富雄 kunkun にて。

店に行く前に案内してもらった場所。

生駒にある「まほうのだがしやチロル堂」

土曜日の午後、チロル堂自体は閉まっていましたが、その奥に建っているその名も「キッチン突き当り」にて、途中で買ってきたパンを食べて、ライブのために用意した曲の練習を、池谷りえさんと二人でゆっくりやりました。

チロル堂の話はチラッと聞いたことがあったけれど、、

駄菓子屋だけれど、学童のような、子ども食堂でもあり、、とにかく地域の子供たちが使える魔法のスペースで、これを支えているのは地域の大人たちの寄付。楽しそうです。それに建物がワクワク感があります。

富雄のkunkunは、友人が5年前に夫婦で始めたカフェ。コロナ時代を丸々受け止めて、頑張ってきた店。

近所の人たちが集まって、りえさんの提案で用意した唱歌をダルシマーで合唱すると、何とも美しい歌声で溢れました。

つぎのときにも、良い歌を用意して来たいなあとおもいました。

 

 

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枚方で5歳少年が描いてくれたのは、虹の下で唄う私

 

3月24日大阪枚方 モガジョガダイニング にて

6日間続いたライブ最終日です。

毎日フルに使うと手が痛くなります。疲労が回復しないのですね。それでも、集まる人たちの顔で、セットリストも決まりました。おもえば、6日間、曲目も様々でした。何より無事に動くことができました。感謝です!

ワークショップ虹の利用者さんと家族の人たちも沢山来てくれたので、最後は、砂の唄と虹の王国の大合唱です。

アンコールは、昨日の富雄で歌詞がすっぽり飛んでしまった月の庭を唄いました。

1週間の旅から戻り、一息ついてみそ汁をつくりました。冷蔵庫にかぼちゃが半分。ラッキー!

 

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3月28日東中野じみへん にて。

リクエストもあり、ニールヤングとエリックカズもうたいました。53年前に紀伊国屋ホールで唄ったニールヤングのCow girl in the sand を覚えている人が客席にいることに驚愕です。お互いに生きてきましたね。

 

自分のつくった歌も、自分の変化とともにあります。

最近、どの歌もとても愛おしく思う。幸せに思います。

13年前につくったSHAKE!という歌、久しぶりにきれいに磨いて店頭に並べています。

この場所ならではのセッションあり、気がつけば2時間をすっかり回っていました。みなさん、ありがとう!

 

3月31日下北沢 Lady Jane にて。

1975年からの店は重厚な気配。旧いのに空気は淀んではおらず、日々がうかがわれました。

初めての場所なのに、ずっと昔から通っているような、記憶にあるような勘違いをしそうです。

チェロの四家卯大さんが声をかけてくれて、近藤達郎さんと3人で。

昨年、東京、岡山、京都と三か所で行ったライブの再演ですが、場所が変われば気持ちも変わり、私は、初めての場所での新鮮と、バンドを楽しみたい気分と、唄いながらいろいろです。

バーですから、普通に途中で入ってくるひとも。

ちょうど高野君の焼き鳥屋を唄っているときに入ってきた男女カップルの女性が「なぁにぃ?高野君だって、、誰?」みたいな話声。目の前でこのやり取りを聴きながらうたうのに集中しましたが、一か所歌詞が飛びました。

しかし、終わってみると歌詞もちゃんと聞いてくれていて、

最後の曲では一番大きく手拍子まで、嬉しかった。

久々のBarライブ、それも下北沢の喧騒から、少し離れた店で。みなさんありがとう!

 

友達のパートナーが脳出血で意識不明のままで、ひと月過ぎているという。とてもショックな知らせを受けました。

こういうとき、倒れたご本人を思う気持ちとともに、その傍らの人のことを思う。

なにとて、なにもできることはなく、いつだって朝な夕なに、そしてふとした時に、祈るばかりです。祈っているといろいろなことを考えます。その人と初めて会った時のこと、交わした言葉、一緒に食べた料理、、、出会った意味、、、

祈るって、なんだろうか、、、

その人のことを忘れないということかもしれない、、、

 

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3月8日の淡雪

2月にしていたこと

 

 

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         2月の三日月

 

 

 

2月3日節分

ゆっくりと寒中見舞いを書いていこうと思っていたのですが、もう明日は立春!そんな書き出しのハガキを書いています。節分は大晦日よりもずっと良い節目を感じます。

 

2月4日丹沢大山七沢温泉にて、旧友と。

最近なんだか温泉づいています。創業明治10年の宿、建物の一部もそのまま、隙間風が寒いのですが、部屋の目の前は露天風呂で、少し寒くなるたびにドアからドアで何度も入りに行きました。七沢温泉にはいくつかの宿がありますが、隣の旅館は、昭和の初めには小説「オルグ」執筆中の小林多喜二をかくまったという歴史がある宿だそうです。こんなに近い場所ですが、すっかり下界との境界線を感じました。

私と友達は50年来の知り合いですが、あまり昔話をしないで、まだまだ先のことをとりとめなく話したりしました。

 

 

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2月7日江東区夢の島にある「第五福竜丸展示館」へ事務局長のいちだまりさんを尋ねました。

第五福竜丸展示館には昨年9月に開催された平和の集いに参加をするのではじめて行った場所です。その時に私を圧倒した第五福竜丸。どうしてもっと早く来なかったのだろうとも思いました。

物言わぬ、古くて、もう海には帰らないマグロ船、乗っていた人間は全員が水爆実験で生まれてしまった死の灰の犠牲になって亡くなって、この船だけがこうして展示館に収まっています。

今年は、ビキニ事件から70年という節目で、展示館も様々な催しがあるようです。そんな忙しい中、私の一本の電話に快く時間をつくってくれたまりさん。私よりひと世代若い、北海道生まれの健やかな笑顔の女性でした。小一時間、市田さんの日ごろの仕事のこと、未来への想いを雑談的に話してくれました。

いちだまりさんの本「ポケットの中の平和」をその場で買って、読んでいます。

まりさんの生き方に貫かれているのは、いじめも、戦争も、核兵器も、すべてが「わたしにも関係のあること」という考えです。

そして、そのことに対して自分は何ができるのか?それは大袈裟なことでなくてよい、ポケットの中にある普通の、食べることや友達関係やほんの少しのお金や、、使えるものは沢山ある、ポケットの中に、、というメッセージ溢れる一冊です。

第五福竜丸の乗組員で最後まで生きながらえて語りべとして活動した大石又七さん。その遺志を精神を継ぎ、こうして

若い人たちが語りべを語り継ごうとしています。彼女は「語りつぎ部」と言っていました。

本を買って展示館を後にしようとしたとき、一人の高校生が

ビデオカメラを持って忙しく動いていました。ここでのいちださんたちの活動を映画にしようと頑張っているのだそうです。

第五福竜丸はこうして世界へ、未来へ、今も航海中ですね。

 

 

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2月8日母親のお墓があると連絡があってひと月経ち、その墓所に母の連れ合いのお骨を埋葬しに行きました。

母が亡くなって3か月後に彼は亡くなり、身寄りもなく、暮していた家に骨壺にはいったまま置き去りにされていたのでした。

書類が見当たらなかったので時間がかかると思いましたが、予想していたよりスムーズに。穏やかな日差しの午後に墓地に行けたのも良かったです。

これで、昨年からのあれこれは、だいたい終わり。

住んでいた家からもらってきた笑顔の母の写真、今の私くらいの頃の顔でしょうか、、この顔に向かって「お母さん」と話しかけてみますが、あんまりしっくりこない。私のお母さんは、ずっと昔から、顔や姿がないのです。。

小さい頃は絵本に出てくるお母さんは全部私のお母さんでしたし、メリーポピンズには憧れました。いつか私のところにもふわりと傘で降りてきてくれる。

あんまり想像しすぎてきたから、本当の顔を教えてもらっても困ってしまいます。ねえ、私のお母さん。これからも一緒だよ。

 

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2月10日ひばりが丘のこじんまりとしたサロンで、坪田直子&岡崎倫典のギター、うた、朗読の時間。

倫典さんのギターを至近で見ながら聴けることも嬉しかったですし、直子がキッドブラザース時代以来に唄うという小椋佳さんの曲も聴けました。そして何より、直子の選んだ言葉たちがどれも素敵で、それをあの声で語ってくれるのです。

特に忘れられないのが「自由を探す」という本。ベトナムのボートピープルの少女が逃避行の末にたどり着いた日本で1年間必死で日本語を勉強して書いた本。拙い日本語ですが、だから一層逃避行の様子に手に汗握ります。木の葉のようにもまれる海原で遠くに見える船に叫びます

        「たすけてー!!!」

直子のその叫び声で、小さなサロンの部屋が大海原になったくらいに膨らみました。家の方はご近所に聞こえて警察が来たりして、、、なんて心配したようです。

私は実際の直子とはずっと大事なともだちでいたいと思い続け、そして直子の声にはずっと恋をしています。

 

2月15日渋谷公園通りクラシックスにて、近藤達郎&山崎阿弥のなかなか体験できないライブでした。

ピアノと様々な音を近藤達郎だいちゃんが弾いて、

山崎阿弥さんは、独自の声で表現をします。言葉は使わずに、体、主に喉から発する様々な音だけです。

最初は少し、戸惑いましたが、聴きながらすぐに懐かしさが溢れてきました。それは私も幼いころによくやっていた口やのどを使う遊びとちょっと似ていたからです。

私の場合、そういう音を出すと静かにしろと叱られたり、人前ではやらないように言われたり、そのうち自分自身が恥ずかしいという意識が産まれてから、忘れてしまった。

阿弥さんは、それをほんとうに嬉しそうに自由にやります。

「ああ、こういう風にやっている人が、まだいたんだ。。。小さい時に会いたかった。」と、思わずにいられませんでした。

一緒に行った直子と夜の渋谷をしゃべりながら歩いて駅までの帰り道、そういえば渋谷は直子の小さい時からの遊び場で、私はクラシックスがジャンジャンという名前であった頃ふらふらとした遊び場で、50年経て、阿弥さんの声を聴きながら、スキップしたくなりました。

 

 

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2月の桜

 

 

2月23日大岡山で松田幸一&シバのライブへ。

アリさんのハーモニカはもちろんですが、私は歌声も好きです。それは、ハーモニカの音色のような艶々したものではなくて、素朴なのですが響きが心地良いのです。

シバさんは、最近いろいろなところで唄っているのでしたが、なかなか落ち着いて聴くことができずにいたのですごく嬉しかったです。

そして、二人がそこにいて、ゆったりと唄って吹いてしゃべってくれているだけで満足してしまう。そういう豊かな人のステージに居合わせることが、幸せだと思います。

早めに始まり終わるライブは、帰ってから家でゆっくり晩御飯を食べることができて、それも豊かな気分です。

 

2月25日大岡山グッドストックトーキョーにて。

今月はなんと一回だけのライブです。

例年だと、雪の北海道、昨年は沖縄、遠くに行くことの多い2月ですが、今年はちょっと用事も立て込んでいたので思い切りました。

1部は女性の詩人の詩に曲をつけてきたものだけ。

50年前の曲、完売CDにしか入っていない曲、詩人との想い出や、この詩が好きになったわけ、背景、、などたくさん話してたくさん唄いました。

2部は、春に作った歌、それから今週つくった歌、ダルシマーではじめ唄う歌、、、

言葉が吸い込まれていく感覚です。

冷たい冷たい雨の日曜日に足を運んでくださった方、配信を見てくださった方、本当にありがとうございます。

初めて聴いてくださった方から感想をいただきました。

結びに「初めて聴かせてもらったのに、何か知っていた、わかっていたような安心感でした」とあり、嬉しい。

 

2月28日友人のシンガーよねやまたかこさんに誘ってもらい、彼女の縁で知り合った女性まめ吉のやっているイチニチキッチンのランチを食べに行きました。まめ吉というのは彼女のニックネームですが、本名が出てきません。とにかくまめ吉はアイリッシュホイッスルの名手で、そして最近、週に一回知り合いのスペースでランチの提供を始めたそうです。

外食はツアーやライブ以外にはほとんどしないので贅沢な気分です。贅沢な気分を裏切ることのない美味しく美しいご飯でした。とくにつみれ汁と、なんとロータスの実の飾られた白和えも!

よねやまさんとは時々ライブですれ違いますが、二人でゆっくり話すのは数年前に一緒に行った静岡ツアー以来です。

ギターのこと、声のこと、信頼しているから話せることがあって、嬉しいものです。

 

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今月は私にしては沢山の本を読みました。

ひとつショックだったのは、同じ本を新たに買ってしまって、読み始めてしばらくたって気が付いたことです。なんてことだ!

もったいないので、ちょうど、能登への小さな支援をしている友人に送る物資のなかに滑り込ませました。

 

 

 

 

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