70歳母、小細胞肺がんになる

70歳母、小細胞肺がんになる

2015年1月、大好きな母が肺がんになりました。
『小細胞肺癌(縦隔、肺右肺門リンパ節転移、同側肺内転移)上大静脈症候群、低Na血症、進展型に近い限局型』
抗がん剤、放射線治療のち寛解。
再発、転移に怯えながら何気ない日常を大切に過ごしています。

寛解から8ヶ月で再発、2ndライン1クール目で重症肺炎、ARDSを発症。生死を彷徨い4ヶ月後に主治医を説得しようやく治療再開しましたがもう根治を目指す治療は厳しい
と…でも諦めない!奇跡を信じたい。
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母のために沢山のお悔やみの言葉ありがとうございました。皆さんの温かいお言葉にまた涙が溢れてしまいました。
 
母の闘病記録と最期の様子をまとめてみました。
 
 

2015年1月9日 告知

小細胞肺癌(縦隔、肺右肺門リンパ節転移、同側肺内転移)上大静脈症候群、低Na血症)進展型に近い限局型
 
1月16日 1stライン開始
       ①   シスプラチン+エトポシド
1月21日 放射線開始(1日2回全30回)
2月13日 ② シスプラチン+エトポシド
2月17日 放射線全30回終了
3月10日 輸血
3月11日 ③ シスプラチン+エトポシド
3月31日 輸血
4月  1日 ④ シスプラチン+エトポシド
 
4月16日 寛解 退院
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5月28日〜6月6日 放射線肺炎 (入院)
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8月31日 予防的全脳照射 (入院)
9月11日 全10回終了 退院
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12月22日〜12月28日 肺炎 (入院)
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2016年1月5日 再発 2ndライン開始
1月  6日 ① カルボプラチン+エトポシド
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1月17日 グラム陰性桿菌 緑膿菌による感染症、40度の熱、血圧低下、
1月18日 個室へ。呼吸困難、意識レベル低下
1月19日 GHCUへ。挿管、意識なし
肺炎からショック状態を引き起こし多臓器不全
重症肺炎からARDS(急性呼吸窮迫症候群)を発症
1月25日 抜管 
1月27日 意識レベル低下 再び挿管
2月  1日 二度目の抜管
2月  4日 個室へ移動
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この時点で主治医より「もう抗がん剤は出来ない…残りの時間をご家族と一緒に自宅で過ごされた方が…」とのお話あり。
しかしここからの母の頑張りは凄かった。
ある程度の体力回復を条件にリスクを承知で抗がん剤治療再開したいとお願いする。
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5月25日 抗がん剤 2ndライン再開
     ①カルボプラチン+エトポシド
5月28日から3日間 予防的にノイトロジン
6月6日から3日間 ノイトロジン
6月10日 輸血
6月14日 1月5日以来半年ぶりの退院
6月22日 ②カルボプラチン+エトポシド
6月25日から3日間予防的にノイトロジン
7月2日から3日間 ノイトロジン
7月20日 ③ カルボプラチン+エトポシド
7月23日から3日間予防的にノイトロジン
8月1日から2日間 ノイトロジン
8月3日 輸血
8月24日 ④ カルボプラチン+エトポシド
8月27から3日間予防的にノイトロジン
9月5日から2日間 ノイトロジン
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9月27日 PETCT
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10月11日 抗がん剤 3rdライン開始
     1クール1回目 パクリタキセル
10月18日   1クール2回目 パクリタキセル
10月25日   1クール3回目  パクリタキセル
 
11月  8日    2クール1回目   パクリタキセル
11月15日   2クール2回目 パクリタキセル
11月29日   2クール3回目    パクリタキセル
11月30日 輸血
12月  6日   3クール1回目 パクリタキセル
12月13日   3クール2回目 パクリタキセル
12月20日   3クール3回目    パクリタキセル
2017年
1月  4日  4クール1回目 パクリタキセル
1月  5日     ランマーク
1月11日    4クール2回目 パクリタキセル
     輸血
1月18日    4クール3回目    パクリタキセル
2月  1日    5クール1回目 パクリタキセル
2月  8日    5クール2回目 パクリタキセル
2月  9日 ランマーク
2月15日 5クール3回目 パクリタキセル
     輸血
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3月 1日 抗がん剤 4thライン開始
3月 1日〜3月5日 1クール目 ハイカムチン
3月 6日から3日間 予防的にノイトロジン
3月 9日 ランマーク
3月15日 輸血
3月16日 血小板輸血 下痢 クロストリジウムディフィシル菌感染
4月 3日〜4月7日 2クール目 ハイカムチン
4月 8日から3日間 予防的にノイトロジン
下痢、クロストリジウムディフィシル菌感染
4月11日 ランマーク
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ハイカムチンを投与するたびにクロストリジウムディフィシル菌に感染する為、何らかの関係があると考えハイカムチンは打ち切りに。
次回5月8日からの5thラインカルセド
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5月  3日 救急外来 熱、下痢 入院 
クロストリジウムディフィシル菌感染
5月  9日 大腸カメラ ランマーク
6月16日 ランマーク
6月17日 クロストリジウムデフィシル菌解除
6月23日 退院
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下痢、熱を繰り返し2ヶ月近いクロストリジウムディフィシル菌感染症との闘いでカルセドに残しておいた僅かな体力が一気に落ちもう一人では歩けない程に…
今まで抗がん剤のために頑張ってきた母ですが度重なる感染症に体力はおろか精神的にも限界が…
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6月24日〜  在宅療養 以後2週間おきに外来受診 通所リハビリ週3回。
7月10日 ランマーク
8月 7日 外来受診 レントゲンの結果、右肺は真っ白。この日からお薬が変わり朝夕のMSコンチン、レスキューにオプソ… ランマーク
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8月21日 外来受診 無気肺、肺炎治療のためそのまま入院… 少し前から痰が酷い。
抗生剤開始
8月24日  下痢… クロストリジウムディフィシル菌
9月10日 SpO2が急に下がったり不安定になる。
9月22日 食事が全く取れなくなる。脈拍数が常に100を超える
9月25日 薬が飲めなくなりMSコンチンからフェントステープに、オプソから座薬に。声が出なくなる。
9月27日 朝から何かいつもと様子が違った。
意識はしっかりしているが反応も悪く目をつぶらない。しきりに頭をさわったり腕をさわったり。静かなので寝てるかなと思いそっと覗いて見ると目が開いてる。眠れない?って聞くとうんってうなずく。午後早めに来てくれた父を見た母はやっと来てくれたとばかりにとても嬉しそうにニコっと父に手を伸ばした。この日初めての笑顔だった。
今思えば母は「良かった間に合った」と思っていたのだろう。
ちょうどリハビリの先生も来たので足と腕を動かしてもらい「お母さん足動かして貰えると気持ちいい?」って聞いたら大きくうんとうなずいた。それが私と母の最後の会話…
 
一度帰った私に主治医からの電話で再び病院に戻った時にはすでに母の意識はなく父が手を握っていた。目を開けたまま下顎呼吸をしている母の目を見てもう見えていないとすぐに分かりました。
私も反対の手を握り何度も何度も呼びかけたけど握り返してくれることはなかった。
いつも自分で常に動かしている足の指も冷たくだらんとしていた。
きっと声は届くと信じてもう頑張らなくていい事、沢山のありがとうとごめんねを言った…
私と息子が到着してから約1時間弱だろうか20時53分、母は静かに息をひきとりました。
告別式も終わりやっと自宅に戻ってきました。
皆様今まで励ましていただき本当にありがとうございました。
 
 
素人見解ではありますがランマーク、全脳照射のおかげで骨転移、脳転移はなかったんじゃないかと思います。
母の葬儀でずっと流していた曲です↓↓
 
 


 
2017年9月27日 21時12分(20時53分)
母、永眠しました。
父と孫、私の3人で看取る事が出来ました。
意識もなく静かな最期でした…
長い間母を応援し祈って下さった皆様、ありがとうございました。


悲しみもない、別れもない、苦しみもない世界…天国…
母は今、天国の階段をのぼっているのでしょうか…

母は以前韓流ドラマが大好きでした。
癌になってからは一切観る事はなくなったのですが韓流ドラマにハマる原点となったのが
『天国の階段』でした…
何度も何度も観ては一人で号泣してました(笑)
一度は寛解したものの感染症や肺炎に何度も治療を邪魔されながら小細胞肺癌と闘ってきた母。闘病生活は2年8ヶ月でした。
弱音を吐く事もあったけど最後まで生きる事を諦めなかった。
今まで本当によく頑張ったと思います。
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お母さん、もう頑張らなくていいからね…
痛みもない苦しみもない天国でゆっくり休んでね。
お母さんに生きてて欲しくて以前は厳しい事言ったり時には怒ったりしてごめんね…
厳しい事言うたびにお母さん言ってたもんね、「あんた、私が死んだら後悔するよ」って(笑)
言うとおりになったね…
喧嘩も多かったけど元気な頃は2人で買い物行ったり喫茶店行ったり毎日楽しかったよね。
同じような髪型して似たような服を着てよく姉妹ですか?なんて言われた時のお母さんの嬉しそうな顔ったら。私はいつも複雑な気持ちだったけど…

せっかちだけど几帳面で…
怒りんぼだったけど涙もろくて…
強情張りだけどチャーミングで…

金持ちの家に生まれたかったとか芸能人の子供に生まれたかったとかさんざん言ってきたけど本当はお母さんの子供で幸せでした。
お母さんが大好きだった…

寂しがり屋のお母さん…
一緒に行ってあげられなくてごめんね…
お母さんの事好き過ぎてお母さんのいないこの世界を生きて行けるのか不安だょ…
でも"お母さん命"のお父さんの事も心配だし
まだまだ反抗期の海翔もいるから頑張ってみるょ…
いつか逢えるその時が来たら階段の途中まで迎えに来てね。。。
お母さん、私やお父さんの為にずっと頑張ってくれてありがとう。。
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ブログを通じて応援して下さった皆様、今まで本当にありがとうございました。
皆様のいいね!や温かいお言葉、アドバイスや励ましのコメントに支えられ今日まで頑張れたと言っても過言ではありません。
とても感謝しています。

このブログは母の闘病生活だけを綴ってきました。
今後小細胞肺癌と告知されたご本人、ご家族の参考になればと母の闘病の記録だけ後に投稿する予定でいます。
それを最後にこのブログは終わりにしたいと思っています。
皆様のブログには今後もお邪魔させて下さい。

最後に
病と闘う全ての人に光が刺し
沢山の奇跡が起き、そして皆なが笑顔になる事をいつも願っています。
生きられなかった母の分まで生きて下さい。


もうすぐ入院して1ヶ月になるんですね…
ずっと更新しないでごめんなさい。

母は抗生剤を続けながら16日土曜日の朝まで主治医も驚くくらいしっかり食事も摂っていましたが少し厳しい状態になってきました

入院当初から痰の吸引は頻繁で今では1日に10回近くでしょうか涙を流しながら頑張って耐えています。鼻から管を通すのですが管が気管になかなか入らなくて時間がかかった時は苦しさのあまり放心状態になってしまいます。

抗生剤を開始した事でまたクロストリジウムディフィシル菌(感染症)を発症し下痢がずっと続いています。かと言って今抗生剤をやめるわけにもいかず治療薬のバンコマイシンを飲みながら様子を見ていますがもう下痢をしている感覚もないようです。

オプソの回数も増えています。
栄養状態も悪くアルブミン数値が極端に低いせいか手や腕がかなり浮腫んできました。
気持ち良さそうに寝てるかなと思っていると急に「苦しい…苦しい…」と…
そうなるとSpO2もみるみる下がっていきます。
どこか苦しい?って聞くと「全体が…」って…
酸素を上げてナースコールをしてオプソを持って来て貰うんだけど看護師さんが「苦しい?痛い?」って聞くと「大丈夫です…」って^^;

歩けなくなると困ると言う思いがあるのか足を動かしたいようで常に足の指を動かしているので主治医に頼んで寝たままで無理なく気持ちいい程度に足や腕を動かして貰えるようにまたリハビリをお願いしました。
まだちゃんと動くんだ、まだちゃんと生きているんだと言う実感が持て少し安心するんじゃないかなと…

話しかければしっかり会話出来ますが意味不明な事を言う時も多々あります。
自分から喋りかけることはほとんどありませんが時折目を開けて私や父がいるか確認しています。
寂しがり屋なので帰る時が1番後ろ髪を引かれます。「帰るね、明日また朝早く来るからね」って言うと「もう帰るぅ?嫌、嫌…寂しい…不安だからいて…」って…
9月12日、お粥130g完食後の母です↓↓
10月18日は母の誕生日。
何が欲しい?って聞いたら「お金」って即答(笑)
16日の昼からピタリと食事が摂れなくなりました。今まで食べれていたのが不思議なくらいではありましたが…
もう苦しい思いはさせたくないけど
1日でも長く生きていて欲しい…母のパンパンになった手を擦りながら奇跡を願うばかりです。