母のために沢山のお悔やみの言葉ありがとうございました。皆さんの温かいお言葉にまた涙が溢れてしまいました。
母の闘病記録と最期の様子をまとめてみました。
2015年1月9日 告知
小細胞肺癌(縦隔、肺右肺門リンパ節転移、同側肺内転移)上大静脈症候群、低Na血症)進展型に近い限局型
1月16日 1stライン開始
① シスプラチン+エトポシド
1月21日 放射線開始(1日2回全30回)
2月13日 ② シスプラチン+エトポシド
2月17日 放射線全30回終了
3月10日 輸血
3月11日 ③ シスプラチン+エトポシド
3月31日 輸血
4月 1日 ④ シスプラチン+エトポシド
4月16日 寛解 退院
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5月28日〜6月6日 放射線肺炎 (入院)
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8月31日 予防的全脳照射 (入院)
9月11日 全10回終了 退院
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12月22日〜12月28日 肺炎 (入院)
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2016年1月5日 再発 2ndライン開始
1月 6日 ① カルボプラチン+エトポシド
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1月17日 グラム陰性桿菌 緑膿菌による感染症、40度の熱、血圧低下、
1月18日 個室へ。呼吸困難、意識レベル低下
1月19日 GHCUへ。挿管、意識なし
肺炎からショック状態を引き起こし多臓器不全
重症肺炎からARDS(急性呼吸窮迫症候群)を発症
1月25日 抜管
1月27日 意識レベル低下 再び挿管
2月 1日 二度目の抜管
2月 4日 個室へ移動
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この時点で主治医より「もう抗がん剤は出来ない…残りの時間をご家族と一緒に自宅で過ごされた方が…」とのお話あり。
しかしここからの母の頑張りは凄かった。
ある程度の体力回復を条件にリスクを承知で抗がん剤治療再開したいとお願いする。
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5月25日 抗がん剤 2ndライン再開
①カルボプラチン+エトポシド
5月28日から3日間 予防的にノイトロジン
6月6日から3日間 ノイトロジン
6月10日 輸血
6月14日 1月5日以来半年ぶりの退院
6月22日 ②カルボプラチン+エトポシド
6月25日から3日間予防的にノイトロジン
7月2日から3日間 ノイトロジン
7月20日 ③ カルボプラチン+エトポシド
7月23日から3日間予防的にノイトロジン
8月1日から2日間 ノイトロジン
8月3日 輸血
8月24日 ④ カルボプラチン+エトポシド
8月27から3日間予防的にノイトロジン
9月5日から2日間 ノイトロジン
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9月27日 PETCT
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10月11日 抗がん剤 3rdライン開始
1クール1回目 パクリタキセル
10月18日 1クール2回目 パクリタキセル
10月25日 1クール3回目 パクリタキセル
11月 8日 2クール1回目 パクリタキセル
11月15日 2クール2回目 パクリタキセル
11月29日 2クール3回目 パクリタキセル
11月30日 輸血
12月 6日 3クール1回目 パクリタキセル
12月13日 3クール2回目 パクリタキセル
12月20日 3クール3回目 パクリタキセル
2017年
1月 4日 4クール1回目 パクリタキセル
1月 5日 ランマーク
1月11日 4クール2回目 パクリタキセル
輸血
1月18日 4クール3回目 パクリタキセル
2月 1日 5クール1回目 パクリタキセル
2月 8日 5クール2回目 パクリタキセル
2月 9日 ランマーク
2月15日 5クール3回目 パクリタキセル
輸血
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3月 1日 抗がん剤 4thライン開始
3月 1日〜3月5日 1クール目 ハイカムチン
3月 6日から3日間 予防的にノイトロジン
3月 9日 ランマーク
3月15日 輸血
3月16日 血小板輸血 下痢 クロストリジウムディフィシル菌感染
4月 3日〜4月7日 2クール目 ハイカムチン
4月 8日から3日間 予防的にノイトロジン
下痢、クロストリジウムディフィシル菌感染
4月11日 ランマーク
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ハイカムチンを投与するたびにクロストリジウムディフィシル菌に感染する為、何らかの関係があると考えハイカムチンは打ち切りに。
次回5月8日からの5thラインはカルセド
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5月 3日 救急外来 熱、下痢 入院
クロストリジウムディフィシル菌感染
5月 9日 大腸カメラ ランマーク
6月16日 ランマーク
6月17日 クロストリジウムデフィシル菌解除
6月23日 退院
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下痢、熱を繰り返し2ヶ月近いクロストリジウムディフィシル菌感染症との闘いでカルセドに残しておいた僅かな体力が一気に落ちもう一人では歩けない程に…
今まで抗がん剤のために頑張ってきた母ですが度重なる感染症に体力はおろか精神的にも限界が…
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6月24日〜 在宅療養 以後2週間おきに外来受診 通所リハビリ週3回。
7月10日 ランマーク
8月 7日 外来受診 レントゲンの結果、右肺は真っ白。この日からお薬が変わり朝夕のMSコンチン、レスキューにオプソ… ランマーク
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8月21日 外来受診 無気肺、肺炎治療のためそのまま入院… 少し前から痰が酷い。
抗生剤開始
8月24日 下痢… クロストリジウムディフィシル菌
9月10日 SpO2が急に下がったり不安定になる。
9月22日 食事が全く取れなくなる。脈拍数が常に100を超える
9月25日 薬が飲めなくなりMSコンチンからフェントステープに、オプソから座薬に。声が出なくなる。
9月27日 朝から何かいつもと様子が違った。
意識はしっかりしているが反応も悪く目をつぶらない。しきりに頭をさわったり腕をさわったり。静かなので寝てるかなと思いそっと覗いて見ると目が開いてる。眠れない?って聞くとうんってうなずく。午後早めに来てくれた父を見た母はやっと来てくれたとばかりにとても嬉しそうにニコっと父に手を伸ばした。この日初めての笑顔だった。
今思えば母は「良かった間に合った」と思っていたのだろう。
ちょうどリハビリの先生も来たので足と腕を動かしてもらい「お母さん足動かして貰えると気持ちいい?」って聞いたら大きくうんとうなずいた。それが私と母の最後の会話…
一度帰った私に主治医からの電話で再び病院に戻った時にはすでに母の意識はなく父が手を握っていた。目を開けたまま下顎呼吸をしている母の目を見てもう見えていないとすぐに分かりました。
私も反対の手を握り何度も何度も呼びかけたけど握り返してくれることはなかった。
いつも自分で常に動かしている足の指も冷たくだらんとしていた。
きっと声は届くと信じてもう頑張らなくていい事、沢山のありがとうとごめんねを言った…
私と息子が到着してから約1時間弱だろうか20時53分、母は静かに息をひきとりました。
素人見解ではありますがランマーク、全脳照射のおかげで骨転移、脳転移はなかったんじゃないかと思います。
母の葬儀でずっと流していた曲です↓↓