皆さん、こんばんは!
自他ともに認めるスワローズファンの あふろ です。
ここのところにきて、なんだか久しぶりに球場での応援について気になったことがまた出てきたので、レギュラーシーズンも前半戦も終わったことだし、ちょっとその辺をブログに書きたいな…と思った次第です。
とか言っても、そんなに偉そうに言える立場でもないし、私よりも球場での応援歴が長い人もいるだろうし・・・。
そもそもそんなに簡潔にまとめられるかどうかも分からないです。
今から振り返ると、自分が神宮球場でシーズンの試合ほほぼ毎試合観戦した年は2001年くらい。
それまでは年に5~10試合程度の観戦でした。
その頃は今とは違い、スタンドではタバコも吸えたし、応援団の数も今よりも多かった。
ついでに言うと、その頃は東京ドームには外野自由席もありました。
2001年と言えばスワローズがセ・リーグ優勝をハマスタで決めて、それまで応援☂を使えなかったのに使用可能になったり。
応援の話しになれば、あの頃は応援団も3団体あり、トランペットも沢山いました。
応援団もあちこちに散らばっていて、阪神ファンとかがライトスタンドに現れたりしたら排除してくれたり、ある意味今よりも攻撃的というか、秩序は守られていたように思います。
何より、岡田団長という神様もいましたからね
岡田団長は確か、北海道の遠征から帰ってきたあたりで体調を崩されたように記憶しております。
亡くなった時に地上波のニュースで報じられるなど、他の応援団関係では有り得ないと思えることがあり、亡くなって改めて偉大さを感じたものです。
私はその頃から7回には「東京音頭」、8回には「とびだせヤクルトスワローズ」の演奏を応援団が毎試合やっていたのが好きでした。
だから何か言える場面では、ことごとく「とびだせ」をやろうよ!!
って言い続けていたのはその時からのスワローズの応援スタイルを無くさないで欲しいと思っていたからです。
ここ近年では新しいチャンステーマがやたらと増えて、他球団の応援スタイルにも似たような部分もある。
最近の若いファンの方々は「楽しい」とかで歓迎の方向なんだろうとは思います。
若い応援団の方々も新しいものを取り入れようとしている努力は良いコトだと思います。
しかしですね、新しいものを取り入れるのは良いとは言え、古いけど良い伝統を忘れ去っては欲しくないんですよ。
これを読んでくれている方々の中で、先ほど書いた応援団が3団体居たときから1団体に減った時に球場へ来ていた人はいると思います。
逆に言うと、3団体居た頃→1団体に減った時。これを経験していない人も多いでしょう。
私はその頃を知っているから。
あの時は本当に大変だったのは、我々ファンには伝わっていた。
だから私個人としては、『応援団もこの危機を乗り切ろうと必死で頑張っている。ならば俺たちも頑張ろう!!』と思い、応援団のリードには全力で従い、少しでもコールや応援歌を大きな声で揃えようと思ったものです。
そんな中、中にはいろんなファンがいましたよ。
「ヤクルトの応援団は12球団で一番ラッパが下手くそ」とか、
球場にいるのに、応援団に対して「もっとしっかりとやれ!!」って野次ったり。
まあ、少数でしょうけど、確かに居ましたよ。
私はいつもの定位置は現在の応援団とかがいるF~Gブロックあたりにはいないです。
何故か?
それはその頃から決めたんです。応援団の近くにいないで、少し離れたところで、応援歌やコールを大きく言っていれば、他のファンにも応援が浸透するんじゃないか?と。
いやいや、なんだかエライ長文になってきましたね。
今回は“第一部”として、この続きは“第二部”へと続くようにしましょう。
続く。