応援について考える“第二部” | あふろの気まぐれブログ

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東京ヤクルトスワローズの大ファンです!!
頻繁に神宮球場のライトスタンドに出没しております。

ブログも、野球ネタが多いと思われます。

皆さん、こんばんは。

全開のブログ『応援について考える“第一部”』に引き続き、“第二部”を書こうと思います。

“第一部”を読んでもらってから、こちらを読んで頂ければ、話の繋がりがつかめると思いますので、良かったら“第一部”も読んでみたください!!


私は自他ともに認めるスワローズファンです。

神宮球場へは2001年くらいから以降は、ほぼ毎試合応援に行っています。

それ以前は年に5~10試合程度の観戦でした。


そんな私が思う「応援について」の感想というか、これまでの神宮球場などで思った・感じたことを書こうと思います。


神宮球場は以前、トランペットなどは演奏可能でしたが、ちょっと前までは太鼓の演奏は禁止でした。

しかし近年になって、各団体等の働きが実を結び、最初はデーゲームだけ太鼓演奏が可能になり、今ではナイターでも太鼓使用が許されて、現在に至ります。


太鼓使用が禁止されていた頃は、トランペットの演奏とファンのコールなどがずれてきたり、しかもチャンスなのではファンが熱くなっているので、どんどん走ってしまい、「夏祭り」などのチャンステーマなどではまるで輪唱のようになっていたりしました。


その頃は、一部にしかいなかったいわゆる「デカメガホン」のファンも応援がずれないように、合いの手を入れていたりして工夫をしていました。

私も夏祭りなどの時は掛け声の「オイオイ!そーれ!」とかデカメガホンで言って、ズレを防ごうとしたりしていました。


その流れでしょうかね?その頃のイメージでしょうか?

今でも太鼓が使える状況でも、デカメガホンで沢山合いの手を入れている人が多いように見受けられます。


仙台の試合などではトランペット演奏が禁止されているので、独特の「口ラッパ」とかが存在します。

さらに応援歌に入る前に「応援歌!」と合いの手を入れたりしていますね。


それが楽しいのか、それともそれが通だと思っているのか、やたらと「応援歌!」と言ったり、合いの手の掛け声連発だったり。

私はどうもそれは違うように感じるんですよね。




最近で特に思うのは合いの手で「大きな声で!」って言っている人たち。多いですよね。

あれはですね、さっき言ったように太鼓が使用できなかった時に、夏祭りなどの時に応援がずれないように一部の人がやっていたんですよ。

その頃は非常に意味のある行為でした。


しかし、今になっては意味がないどころか、「大きな声で!」ってデカメガホンとかで言っているくせに、肝心のみんなでコールする部分はその人たち黙っちゃっているんですよね。


これってオカシクないですか?

本来はみんなで声を合わせてコールする部分を言わずに、合いの手をいう事に全力を注いでいるなんて本末転倒なんですよね。


第一部でも触れましたが、最初は応援団の窮地を救おうとみんないわゆる常連ファンはそれぞれが頑張ったんですよ。

それを見て・感じて、それがそのまま残って・・・。

で、いつの間にかそれが「楽しそう」とか「常連っぽい」とかになってしまったのだろうか?

ここ数年では挙句に指笛までしている人がいる。


一部の人たちが「俺たちで新しい流れをつくろう!!」みたいな行動になってはいないか?

それがどんなに周りのファンに影響を及ぼすかは、その人たち次第ではありますが、応援団のリードにファンみんなが合わせてコールしたほうが、より一層のまとまった声になって良いとは思わないんですかね?


とか言っているうちに、またしても長文になってしまいました。

このテーマは結構長く続いてしまいそうですね。


この続きは“第三部”へと続くことにします。


続く。