あけぼの商店会の小さな床屋さん
理容タカノの三代目、高野義則です。

小学3年から32歳まで真面目に野球に取り組んでいました。
今回はそんな事を踏まえてブログを読んでもらえれば有難いです!


ええ。
イチロー選手が引退しましたね。
ボクが高校2年生の時、彗星の如く突如現れた選手。その名も『イチロー』
最初は…誰やねん?でしたね。当時パ・リーグの、しかもオリックスの報道なんてほとんどありませんでしたからね。
それが、オールスター直前になっても4割近い打率の奴がいると…。それがイチロー選手でした。てか、生意気な事を思っていたなぁ(^_^;)
今になって反省ですね。
それからはとにかく注目していましたね!
右投げ左打ち外野手。自分と全く同じだと…。
実力は桁違いに違いましたけど。。。

その後の活躍は世界最高レベルのバッティング技術と守備力を身に纏い、メジャーリーグでも最大級のリスペクトを受ける選手になりましたよね。

ボクも常にイチロー選手をイメージしてリスペクトして、そしてオマージュして…身体は小さいけれど、しっかりトレーニングをして大きな選手に負けないようにと努力を積み重ねてきました。

しかし、なかなかイチローレベルの選手に到達する事は凄く難しく、高校を卒業してしまいました。(当たり前やろ!)そして草野球の世界に飛び込みました。仕事をしながらたまの休日に野球をする。普段はそんなに出来ないけれど、毎日のように風呂上がりに柔軟体操をして、少しですが筋肉トレーニングをして草野球界のイチローを目指しやっていたのを覚えています。

大人になっても憧れを持ち続けられたのは間違いなくイチロー選手が常に自分と向き合い更なる高みを目指していた姿勢があるからです。

ある時、草野球のチームメートである先輩が小学生のお子さんを連れて来ている時がありました。
草野球界のイチローを自負していたボクは、子供に夢と希望を与えてあげたいと張り切ってプレーしていました。ボールが飛んできて思い切りダイビングキャッチをして…。少年に夢を!希望を!と超ファインプレーをしたその時その少年は…………
















お父さん!見て見て!
あそこに






赤星みたいな
選手がいる!
(当時阪神タイガースのスター選手で右投げ左打ち外野手)






(; ゚ ロ゚)………
やっぱり……









選手にはそれぞれタイプというものがあります。誰しも憧れの選手のようなプレーができるとは限りません。しかし、諦めずに努力を積み重ねると誰かが必ず評価してくれる。






約20年前にイチロー選手の応援に東京ドームへ行った時、観客はガラガラの東京ドームでした。それから20年…イチロー選手が積み重ねてきた事の大きさ、偉大さ、尊さ。満員のドームをTVで見て、やっぱりボクは間違っていなかったと密かに思っています。。。



それでもボクはイチローになりたかった!