15年ぶりに泣きました(T . T) | smile工房

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日常の出来事も視点を変えると素敵なことがらになることも(⌒▽⌒)

趣味や美、健康、ダイエット、学び、潜在意識などその日の出来事を視点を変えて書いてます。
家庭菜園始めました。


こんばんは

台風が近づいているようです。


雨量が多いようです。

お気をつけくださいね。


先日、母が亡くなりました…

施設に10年


その前は病院に

約3年…


今回は施設で誤飲性肺炎

お年寄りがよくなるヤツです。


胃瘻か経口のような

処置を勧められました。


このコロナ騒動中

3年間面会出来ず


一気に痴呆になり、

体調も悪化しました。


骨折により車椅子になり

自宅で生活できなくなり


施設生活を余儀なくされました。


そこに至るまでに、病気だった為

一旦同居したにも関わらず


後ろ足で砂をかけるように

出て行きました。


同居をする為に建てた家です。

返済は本当に大変でした。


そもそも、私が幼い頃に

再婚し、


その再婚相手も勝手な人で

何年間も家を出てしまい


それが元で母はうつ病のような

心療内科に通うようになりました。


病気だから仕方がないと思いますが

暴言などかなり傷つけられてきました。


いよいよ、家にひとりでは置いておけない

と思い同居した訳です。


相変わらずの自分勝手に腹が立って

義父、共々縁を切るつもりでした。


でも同居してせっかく良くなっていた

病状がすぐに悪化したようです。


特に私に知らせはありませんでしたが

ついに入院した事を人づてに聞きました。


悲しいから畑に行ってました。


その後大腿骨骨折で車椅子になり

施設に入りました…


義父は母を私の家から連れ出し

すぐに病院に入れ、さらに施設に


そう思うとついて行った母も

手引きした妹も何だか許せない


本当に心の葛藤が強かったです。

入院も施設も勝手に、特に話はないです。


それでも病院の時はこっそり

外出届けを出し


母と2人で食事に行ったり

買い物に行ったりしていました。


施設では好きな食べ物を持って行き

部屋で一緒に食べたりしました。


コロナになってからは

面会が出来ず、


外から電話で本人と話すのですが

もはや私を分かるのか⁉️


高齢者にとってこの3年間は

本当に残酷な歳月でした( ;  ; )


今年になってやっと面会が15分だけ

しかも部屋ではなくレクレーションルーム


その時は、かなりしんどそうでしたね( ゚д゚)

薬の副作用でパーキンソン病も


発症していたので更に薬で動きを止めたり

身体も手も曲がって使えず、


呼吸もゆっくりとしたしんどそうな

これではもはや何かを食べたら


それこそ誤飲性肺炎になるなと

直感的に感じました。


念のため固形物のない

ゼリーを差し入れましたが


食べれるのかなと思ったくらいで

本当に辛そうでした。



栽培中のししとう


親子の残された時間は

そんなに長くない事を感じました…


ずっと許せなかった母ですが

私は数年前からある事に気がつきました。


こんなにしてまで生きているのは

私の為ではないか?


色々な辛い許せない思いを

ずっと抱いていては幸せになれない


だから私がその思いから解放されるように

頑張って居てくれるのではないか?


そう思うようになり、子供の頃から

母は母なりの精一杯の


愛情を私に注いでいてくれた事に

気づく事になりました。


誰でも完璧な人間はおらず、

まして自分が大変な時


または大変と感じやすい心の場合

中々周りに配慮ができない事もありますね。


そう思うと、精一杯の愛情が

思い出されて感謝の気持ちが湧きます。


そんな思いでコロナの時を過ごして、

ようやく対面で会えたので


心からの感謝とお礼と、今自分が

幸せである事を伝える事ができました。


分かったかどうかはわかりませんが

耳を澄ませて聞いていました。


他にだわいない会話をすると

受け答えをしましたw


「ずっとうちに居れば

良かったね」


っと私が言うと


「うん」


っと返事をしました(T . T)


たまたまかも知れないけど

心に刺さりましたね。


落花生って土の中にできるんですね。


もう時は戻れないけど…


その後、義父から珍しく電話があり

ずっとあっていなかったし、


話してもいなかったですね。

義父の娘、私の妹が2人いて


そちらから連絡は来ていたので

危ないなと思いました。


病院に入院したが、転院を迫られ

紹介された先の病院では


胃瘻などの治療をしないと

置いてもらえないとの事


私はもうこれ以上の延命は

母が可哀想だと伝えると


義父は

「なんだか

見捨てるみたいでな」

っと言いました。


私は心の中であんたは

2度母を見捨てたんだよ


って思いましたが

延命は本人が死ぬより辛い


最後苦しみ抜いて死を迎える事を伝えて

電話を借りました。


妹の必死の行動のおかげで

10年お世話になった施設で


看取りをしていただける事に

なりました🙏


普通は無理だと思います。

施設には戻れないです。


断られた必死で探しても

母の行き先は無く


再び施設にお願いしたら

奇跡的に戻れました。


理事長さんも重い病で

母に同情してくれたのでしょうか?


ずっと妹が施設関係の事を

やってくれていたそうで


そのおかげかも知れません😭

とにかくありがたいですね。


本当に最高の施設で皆さん親切

交代で声をかけに来て下さり、


エピソードを聞かせていただき

母に話しかけ優しく接して


ケアも万全、

この状態で入浴までしていただける


実は妹とも絶縁状態で

13年ぶりです。


お互いに誤解もあり、

それぞれ頑張って来た月日でした。


母をひとりで逝かせたくないと言う

妹の立っての希望の為


家族、孫も全員会えて

私と妹達が全力で見守りました。


妹が

「お姉ちゃん

もうすぐくるからね」

っと言うと頷いたそうです。


覗き込むと目が動いて

反応があり、奇跡ですね


大好きだった歌を聴かせると

涙を流したり🥲


耳は最後まで聞こえるそうです。

孫も全員前日迄に会えました。


私が看取りを妹と交代する時

目を見ると、それは近い事を感じました…


もしかしたらと後ろ髪引かれて

また明日ね」

って


それから3時間後くらいでした。

呆気ない、本当に息を引き取ったのです。


最後は何も飲まずと言うか

喉を通らないので口を湿らせたら


綺麗にしたり、痰を取ってもらったり

そんな感じで


全身が徐々に弱まって行くのを

ただひたすら見守る時間


私の娘が、

「最後姉妹を仲直りさせて

罪滅ぼし、

使命を全うして行ったね。」

っと言っていました。


ずっと交流なかった姉妹、いとこ達が

ひとつになったハッピーエンドです。


やはり…

寂しいですね😭


昨日、今日とずっと畑に行って

黙々と作業して、


自然からエネルギーを

チャージです。


火葬場が噂通り混んでいて

市営は無理でした。


それでもやっと来週告別式ができます。

母は預かっていただいているので


葬儀の前にもう一度

会いに行ってくるかも知れません。


看取りを通して、

最後の親孝行できたかなぁ…


後悔も罪悪感も全くない

胸を張って送り出せます♡



  • 黒マルチを張り

育苗した白菜を🥬植えました。

虫に狙われるので防虫ネット必須です。