月曜日、母と一番の仲良しだった叔母(母の従姉妹)のお墓参りに行ってきた


叔母は自死を選んだ

平成24年、2012年の早春のこと


この頃の母は、まだしっかりしていた

でもこの年の夏、認知症の診断を受けた

アルツハイマー型と診断が出た時、叔母がおいでよと言って手を振っていると言って、病院の前に座り込んだ


2012年の春
私は、ひどい鬱状態に陥っていて
食事がほとんど喉を通らず、眠れず
仕事を休職し、引きこもっていた

叔母が亡くなった日も心療内科の受診日で、叔母の家に両親を送り、その足で受診、また叔母の家に行った
父や親戚や近所の人が集まる部屋に母の姿がなかった

家の中を探し回ると、泣きながらトイレ掃除をしている母を見つける

その姿に涙が吹き出した

居ても立ってもいられなかっただろう
叔母以外は男ばかりの叔母の家を綺麗にしてあげたかったんだろう


叔母は、本当に静かに眠っていた

この静けさが、生きることを諦めていた私を救った

人の死はこんなにも静かなのか
ショックだった

そしてその晩
飲み込むと決めないと喉を通らなかったご飯、温かいうどんが久しぶりにつるりと喉から落ちた


そして叔父(母の従兄弟で亡くなった叔母の弟)は
葬儀や供養以外では、一切、叔母の話をしなくなった

私は母と時々お墓参りに行っていて、その帰りにはきまって叔父を訪ねていたのだけれど、頷くこともなく黙って空中を見ていた


それが月曜日のお墓参りのあと
いつものように叔父を訪ねて「あれは平成24年だったんだね」と話すと
「そうだったか、もうそんなになるのか。」と言って、亡くなってから初めて叔母の話をした


叔父の時間は、止まって見えるくらい優しく優しく流れていた


不謹慎かもしれないが、今回の叔母のお墓参りのきっかけは三浦春馬さん
叔母と三浦春馬さんがあちらの世界で縁があったらいいなぁ、と思いながら手を合わせた

こちらの世界では、三浦春馬さんが、叔父の固く閉じた気持ちは、いつの間にか緩んでいたと気づかせてくれた


重ねて不謹慎かもしれないが
人はどんな状況であっても、誰かに何かの影響を与えているし与えられている

重い孤独感を抱えているときも
誰かに伝わるものはあるし
誰かから何かを伝えられている

伝わったものをどう受け取っているかが、そのときの自分を写している


触れられる距離に人がいなくても
人は生まれたら絶対に一人にはなれないのだ


それは、お風呂に入って見つけた青い打ちみ痕に、心当たりがありそうでないのと同じように手応えがないけれど


最近はまっているバナナジュース🍌
この後に寄ったセブンイレブンのバナナジュースも復活してた\(^^)/