今年のお盆は
いつもと違う、を選んだ

母のデイサービスから県外の方と三密を避けられずに過ごした場合は2週間の自粛を求められ
職員の方も同じように自粛して下さっていて
加えてこの暑さで
親戚の新盆さまには行かないことにした


いつもと違うお盆

慣習を変えると少しの後ろめたさがある
田舎だしそれなりの年齢だし


少し前に父と大喧嘩になったとき
父は、生い立ちのツラさ故の言葉を放った
『母親にも祖先にも感謝などしない』

そんな言葉を言わなければならないほどの被害者でいたい意識

そんな父は、盆と彼岸のお墓参りを欠かしたことはこれまでない
それは今年の夏も


少し前まで私も
神様や仏様やご先祖様は、不公平だと恨みごとを言う対象でしかなかった


この夏の後ろめたさに思う

母とおじさんとの縁
おじさんへの思い

新盆と言う慣習で、思いを行動にして繋いでくれた人がいる

だから
行動に移せるときは思いきり動く
今は、思いきり心を込める

そんな風に思っている


私は父に似ている
とても似ているところから出発した、まったくの別の人間だ

当たり前のことを改めて書いてみる

たぶん父も、私とは違うところで違う感謝を感じているのだろう



お昼は、和菓子屋さんのおはぎを食べた


夕方の雲が「ハウルの動く城」みたいだった

今夜は流星が見られるかなぁ流れ星



このタイミングで『僕らは奇跡でできている』を一気見した

私は、柏ノ木先生で沼袋先生にはなれない
きっと、それでいいんだろう



読んで下さって、ありがとう

つくし野ひろみ