友人に、抱えきれないほどの菊をもらった
秋のお彼岸に使えるように菊を栽培するのは、きっとものすごく大変なことだ
我が家の手を加えない菊達は、未だ硬い蕾のままだもの
かつての私は、菊を栽培する人になりたかった
それが出来ない自分がイヤで仕方がなかった
世界は自分をイヤだと思わせることでいっぱいだった
いまの私は
彼女の菊に感心して感謝して飾れる
それは、私に出来ること
もっと言えば、私にしか出来ないこと
世界が違って見える年になったんだろう
その彼女とご飯を食べているとき、店内の空気が変わった瞬間があった
それまで感じなかった油の匂いを感じる
すぐに会計を済ませて外に出てみると、開いていた窓の近くにお客さんが座ったのだとわかった
誰が悪い訳じゃない
ただ、塞がれていない空間と塞がれた空間を体験した私が
自分の感じ方に耳を傾けられるようになっただけ
毎日が山も谷もない退屈で彩り無く無駄に思えて
この先、自分の存在がこの世界の邪魔にしか思えない時がある
拗ねながら
怒りながら
泣きながら
逃げながら
それでもいいからと、とにかく年を重ねてみるのは悪くない
ある時
必ず
何もないからダメだと思っていた自分をそのまま、自分が励ましたりする不思議を味わえるから
でも、自分がダメな人だと思う渦中にいるときは、どんな言葉も耳に届かない
届かないことと言葉が存在しないこととは違う
とにかく年を重ねると、過ぎてからでもある言葉に助けられていたことに気づけて、また日々をやり過ごせるものなのだ
だから、私はブログをやめずに書きたくなる