恒例だった伯母夫婦と従姉妹夫婦との旅行
コロナ禍で延び延びになるうち、伯父と伯母は体が悪くなり、母も認知が進んだ
久しぶりに旅行の計画をたててからの最近のコロナ感染
従姉妹と散々悩んだ末に思いきって行くと決めて
先日、福島に行ってきた
(簡単ワカメスープ二袋お買い上げ~ )
東日本大震災後の東北に初めて行った
町は新しくなり、防波堤で守られている
車窓から津波の高さを表した印を時々見かける
ふと、少し前にラジオ番組で聞いた言葉が浮かぶ
「震災からの復興をアピールするオリンピック」
復興アピール
しっくり来なかった
この旅行のメンバーも、近いいつかに逝くことになるだろう
もちろん、私も逝く
この町にある、たくさんの無念と無力の悲しみを思う
悲しんでもいいんだなぁ、と思えた
ここで暮らしている人たちは
生きていけないほど悲しんでも大丈夫なんだと思わせてくれた
私が逝くときも大丈夫なのだとも思えた
その寂しさも、受けとめてくれる身体に感謝しかない
夕べはその従姉妹からのラインで、国際宇宙ステーション『きぼう』を母と二人でみあげた
友人のいる県を調べたら、思いの外時間が違っていて、地球は丸いからなの?と、理科か社会かもっと勉強しとけば良かったと思った
(今からでも学べるけどね)