どうも。
歴史大好きタレント・晴野未子です。
山内にお仕えする土佐藩士です。(ん?)
さて、今日はこの夏の四国遊学の話の続き。
【宇和島城】です。
宇和島城は…現存天守!!
このブログ初の現存天守の紹介ではないでしょうか??
やはり私は現存天守が好きです。
というのも、
土佐のお城下で育った私は、「高知城」を日本の城だと思って育ってきた訳です。
真っ直ぐに伸びた大手筋から大手門をくぐり、
急な石段を登った先に本丸があります。
「高知城」の素晴らしいところは、本丸の建物全てが木造で保存されている事。
中に入ると、ギシギシと音をたてながら、木の強さ・温もり・優しさを足で感じる事ができます。
ここに大殿様が生きていたんだな。と。
この床、壁、柱、全ては山内容堂も後藤象二郎と吉田東洋も知っているんだと思うと、特別を感じる事ができます。
天守閣の一番天辺からは、山が見ることができます。
きっと山は変わらず、ずっとここにあったことを思うと、
この四国山脈を見ては、容堂は四国山脈の先・日本の未来の為に土佐が出来ることを決断したのではないでしょうか。
さて、
現存天守でない天守閣はどうでしょう。
コンクリートの壁に覆われ、ただグルグルと上に上がっていき、景色を感じる事しかできません。
川や山を見て、この地形に築いた意味を感じることは出来ても、
そこに生きた先人たちを感じることはできません。
悲しいです。
城はある意味、日本の文化であると思います。
悲しいなって。
でも、勿論。
現存天守が12城しか残っていないことが表す様に、天守閣を残すことは大変な事。
災害に負けなかった、もしくは災害がなかった。
空襲を免れた。
廃城令に従わずとも良かった。
そして、城主の子孫の方々、地域の人、行政が尽力してきてくれたこと。
それらの全ての条件があってこそ、現存出来るのだから。
本当に感謝したいし、そこに今なおあるということは素晴らしい。
さて、【宇和島城】の話なのに、高知城を語ってしまったヾ(・ω・`;)ノ
ここからは宇和島城です✩
宇和島城も数少ない現存天守の1つ。
沢山の方の力で、こうやって残っていてくれることに感謝したいです。
1610年の大名配置なので富田氏となっておりますが、
築城は、あのお方✨✨✨
その名も「藤堂高虎」!!!!
築城の名手です。
もう、それはそれは築城の名手です。
この現代、今なお惑わされる、そんな縄張りをされてます。(その話は後ほど)
宇和島城は藤堂高虎が、秀吉から領地を与えられ築城した城です。
その後、藤堂高虎は関ヶ原の功により今治を与えられます。
そして、今治城に移るわけですが、宇和島城が完成するのを見届けてから今治に移ったとか。
その後、富田氏が入ったけれど、改易されちゃったりで、
宇和島は藩主がまぁコロコロ変わります。
そして、入城してきたのが伊達秀宗。
その後は伊達家の所領として、幕末まで続いていきます。
この伊達秀宗という人。
何とあの伊達政宗の長男なんです。
ここで疑問!!
伊達政宗の長男なのに、なんで仙台伊達家継いでんじゃないの??
って事ですね。
まぁ、いろいろと長くなるので短く簡単に説明すると、
徳川に難癖つけられて伊達家の家督相続から外されちゃった訳です。
長男なのに。
長男なのにそれでは可哀想と思った政宗は、
別家を作ることを考えます。
そんな折、大坂の陣が起こります。
千載一遇のチャンスです。
エピソードに事欠かない男、戦国一のパフォーマー・伊達政宗、大暴れ✨✨
武功を挙げ、宇和島を貰い受ける事になり、
宇和島を長男に与えたという訳です。
それが宇和島伊達氏の始まりです。
さて、晴れて当主として入城した伊達秀宗でしたが、
その頃にはもう既に、天守閣が老朽化してきていました。
そこで、天守閣の建て替えを始めます。
この天守閣が現在に残る宇和島城の天守閣です。
因みに、建物以外の縄張り・曲輪は、藤堂高虎のものをそのまま使っています。
縄張りとは、頗る大事なものです。
城から攻めて出ていくにも、守りをかためるにも。
縄張りとは、城のそれぞれの建物の配置のことで、絵図面を思い浮かべて見てください。
堀で囲んで、ここに虎口を置いて、道はこういう感じで曲輪。みたいな感じ。
そんな大事な大事な縄張り・曲輪をやり直さないとは凄い事です。
誰が敵で誰が味方か分からない時代に、人が作った縄張りをそのままとは。
まぁ、どちらも徳川に忠誠を誓った武将なので。
でも、いつ裏切るかなんて分からないのに!!
さて、宇和島城の縄張りは複雑かつ、迷いそうなってか迷う!!笑
晴野は立派に迷いましたとさ。
地図あるのに、降りたら違う所に出ちゃいました。
その頃、そろそろ降りてくるかなとみこママが下で待ってたのですが、待たすこと15分。
グルリと半周しないと大手の方に行けないという悲劇。
炎天下で待たせたから、みこママが激おこでしたが、
私は声を大にして言いたい!!
「文句は藤堂高虎に言ってくれ」と。
さて、宇和島城の縄張りの特徴がいかに複雑かというと…
普通、城というものは四角形を基準とした土地に作られます。(楕円も多い。)
ま、当たり前ですよね。
(五稜郭などはちょっと一旦考えないでね)
この宇和島城というのは、五角形の上に建てられています。
しかも、鈍角と鋭角を使いこなしたいびつな五角形です。
何故その様なことをしたのか。
実は鈍角であることで、パッと見には四角形に見えるのです。
つまり、1辺を死角とする事が出来た訳です。
四方から攻めて来た敵に対して、
1辺が逃げ道にも、補給用にもなった訳です。
その1辺を使い奇襲をかける事も可能となります。
計算され尽くした五角形という訳です。
流石は築城の名手、藤堂高虎です。
因みに、江戸時代の調書によると、
しっかりと宇和島城は四角形と書かれているようです。
ふむふむ、騙せてます✩
さて、高虎の当時の遺構というと、石垣です。
やっぱり野面積みって味があって良いです。
カッコイイ。
戦国って感じがしてしまいます。
宇和海が一望できます。
築城当初は縄張りの1辺まで海がきていて、所謂海城だったそうです。
残念ながら海は遠くなってしまいました。
因みに、後日ご紹介する今治城(築城:藤堂高虎)も海城です。
高虎は海が好きだったのかもしれません。
さて、お待ちかねの天守閣✨✨
小さくて可愛いお城ですね✩
さて、中は撮影禁止です。
撮りたいよ、そりゃ。
だけど、現存天守12城の1つ。
城を守るためにも大事ですね!!
中はというと、やはり現存天守は良い✨✨
これぞ現存天守です✨✨
と、いった感じです。
中がどうなっているのか気になる方は、是非宇和島に行ってみて下さいね!!
忘れず食べて頂きたいのが、宇和島鯛めし
写真を失念してしまいましたが、
ご飯に鯛の刺身をのっけて、海苔、だし醤油と卵黄をぶっかけて食べる漁師飯!!
美味しすぎます!!!
新鮮な宇和海の鯛で食べるので、信じられないほど美味しいです
もし宇和島に行く機会があれば是非✩
あ、最後に。
宇和島城は兄みこと登ったのですが、
(みこママはカフェで優雅に待ってた。)
兄みこ、ヤバイ。
標高90mの山を一瞬で駆け上がりました。
アイツ、忍のものかもしれぬな。
さて、次回の城ブログは【大洲城】✨✨
小京都、大洲です✩
お楽しみに!!