問い、そして身体操法。 | 日々の泡。

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OSHOサニヤシン

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シンギングボウルの先生である青野クランティさまのところで
今度は身体操法のハラクラスへ。


(新居に移ったボウルさん)



(先生呼びすると戸惑う青野クランティ先生)


タオイズムというものに興味があったり
また惹かれながらそういったワークをやる時に消化できてない部分があった
単純に身体は今までの癖があるので覚えてくれないのです。

そもそもの身体の能力が引き出される動きがあり
それはとてもシンプルだった

身体というものを本当に熟知してる人のワークでした。

どこかで自分は
自分のやってきたことは徒労だったのではないかって思っていた部分があったのだけど
良いものに出会えると進んできたことは間違ってなかったのだという瞬間があるのでとても嬉しい。

遠い遠い点同士がひっそりと交わる瞬間だ。


そしてクラスが終わって最後にみんなでほのぼのお茶してるときに、一緒に学んだ方が

「わたし、Kさんに『産まれない』という選択肢は人にはないのですか?と聞いたことがあって、、」という話をしてくれた時に静かに感動してた。

ああ、やはりKさんのところに来る方というは(このKさんはクンルン業界の有名なKさん)そういう内側の問いを持って彼のところに来るのかなぁ、と。


人は子供の頃には純粋な問いというものが内側にありながら
それは現実的に必要のないものだと忘れてしまう


私も子供の頃から
「どうして生きてるのだろう」とか
「どうしていま大人じゃないんだろう、こんなにも大人なのに」と思っていた

その内側の問いを体験し解き明かしていくというのが
人生であり生きてくということなのだけど
いつの間にか人はそれを忘れて
自分がどうしたかったかも忘れてしまう。



探求者は別に何か特別な人間ではない
いつまでも子供のような「?」という問いの中に後ろも振り向かず入っていく無邪気な馬鹿者とも言える。

だけど、最初にその無邪気さがあるからこそ、無知さ無鉄砲さはやがて変容し

無知から無垢へと還らせてくれるのだと思う。


青野先生は当然無邪気なお方です。。。