タマラさんの「愛情を知る」エネルギーワーク③ |   REIKO.S「自分らしく生きる」Ⅰ

  REIKO.S「自分らしく生きる」Ⅰ

  私:REIKO が日々の中で感じ思い考え行動した記録
 

人からの「愛情不足」よりも
自分からの「持っているのに出さない、出し切らない」ことに
不満だったことに気がついた。

「惜しみなく出してもなくならない」

愛からなる陽のエネルギーでできている魂。
それに重なる体は陰陽のエネルギーにより成り立っている。
ゆえに、人間は愛のみではなく「愛情」の存在となる。

心身を通しての感情・感覚に左右される「愛情」。
魂だけなら、惜しみなくいられるのだろうけれど
感情が伴うがゆえに、それこそ「巾着」の口を開けたり閉めたりする。

あげようかな、やっぱやめよう。
やめようかな、やっぱあげよう。

人間らしいといえば、人間らしい。
そこにドラマが生まれる。
歌もそうだろうし、文学作品も・・・人間だからこそ。
なかなか「ただ」になれないから、「ただ」になれることを望み、目指す。
その姿を歌い、その姿を描く。
そこに喜びや幸福感のあることを、自分を満たすものあることを
・・・知っているから。

魂の愛を知ることはできない。
どうしたって人間である以上、体なしには在り得ないのだから。
ならば、愛情を知り、愛情に細やかになれたら
もっともっと私たちは、自分を愛情で満たすことができる。
愛を持ち愛情を持って生きている「自分自身」を
自分で愛することができる。

だから・・・恐れなくていいとわかる。
そして
生きていける、生きよう!
頑張ろう!
やりたい、やってみよう!
経験してみよう、感じてみよう!

やったことのないことも
たとえ過去に傷ついたとしても
未知なことにも
無知であったとしても

そう思えるということは
自分が、その尽きせぬ愛というものでできている
自分を信じているから。

愛情を知るエネルギーが全身に満ちた時に
自分が「恐れがあったんだ」と知れたのは
「恐れなくていい」という根本を
「私」が、エネルギーによって体感したんだと思う。

私は愛そのものであり
愛情がある
私は、私を信じている。

「胸のキリキリはなくなったの?」

ブログを書いてから、よく訊かれます。
キリキリします。
やっぱりキリキリする時はあります。

その時、その前に何を考えていたかなって思い返すんです。
そうすると、また巾着を絞ろうとしている自分に気づくんです。

「どうするの?」って自分と相談しています。
「無くならないんだよ、どうする?」って。

私の気がすむ選択をしていこう。その都度、そう決めています。
自分が、一番わかるはずだから!