最後の誕生日 三部作ブログ 前回の続き
7月31日 朝7時起床
夢に夫は出ては来なかったが
「使命だから!」
「使命とは」
という話を私はしていた。誰とどういうシチュエーションだったかなどは忘れたけど。
夢って見ている時は「おお!これは」と思うのに、起きてすぐ忘れちゃうものよね
携帯の電波は昨夜から切ったまま。
色々な方々からお誕生日おめでとうメッセージが来ているかもな~などと思いつつ、電波入れたが最後、気になってそれらを見てしまうのは私の性格上目に見えているのでそのままに。
―まだ夫との最後の誕生日は終わってないから―
軽くシャワーを浴び、都知事選の投票へ。
帰って来てようやく少しお腹が空いたので昨晩の続き。
締めのデザートね
夫は本当に甘い物が好きでした。
ショートケーキとモンブランは欠かせません。この2つは食べなければ。
そして、久しぶりに夫にコーヒーを淹れた。
何を隠そう、私は大のコーヒーマニア。
あ。飲む方じゃないです、淹れるの。というか作るの。
私は夫の生前からコーヒーにハマり、自宅で焙煎したり、煎り加減や挽き加減を変えてみたり、数種類の豆を混ぜてオリジナルブレンドを作ってみたりと日々実験のごとくコーヒーと過ごしていたの。
夫はそんな私を見てしょっちゅう
「俺が死んだらコーヒー屋やんなよ。そこまでこだわる人なかなかいないよ」
と言ったもんです。
今となっては焙煎はしないけど(実は熱風焙煎機も持ってたりする。でもガス火で手焙煎の方が俄然美味しいんだよね)、焙煎豆をお気に入りのお店からたまに買ってはハンドドリップで楽しんでいる。
また言いますが、飲む事が好きなんじゃなくて、ハンドドリップで淹れる工程が楽しいんです。新鮮な豆は蒸らしの段階で「ぶわ~」っと膨らんで、それはまるで生きてるみたい!その後、円を描きながらお湯をドリッパーに注ぐのですが、うまくいった暁には見事な豆の壁が最後ペーパーに残るの。その姿はもはや芸術。そうして淹れられたコーヒーの味は格別!!同じ豆でも淹れ方を僅かに失敗ししようものなら雲泥の味の差に出る。この成果に一喜一憂している時が至福なんです。
っと、話が逸れてしまいました。
もとい。
冷凍庫保存してあるコーヒー豆を探した瞬間・・・
ビックリ!\(◎o◎)/!
なんと、賞味期限が夫の誕生日ではないですか!
これは列記とした夫からの❝ここにいるよサイン❞だと感じた。
そして、今日のコーヒーの出来栄えは・・・
お見事\(^o^)/
絶妙な味わいがきちんと出ていて、それはそれは美味しかった。
コーヒーは夫が見つけてくれた姫路にある自家焙煎店の豆。今もそこから購入していて、夫にとっては懐かしの味だったことでしょう。
それにしても、朝からケーキ2つはキツかった。。。
「もうお腹いっぱいだよー」
と言いながら、ショートケーキは完食、モンブランは半分で断念。
ここで、この「最後の誕生日会」は終盤を迎えました。
もう一度、梟に今の思いを語りかけました―
ここまで読んでくださった方はもうお気づきかもしれませんね?
夫が成仏している・していない ではない
私の思いがずっとそこにあった
夫の後ろ髪を私が引っぱっていた
自分でも気付かなかった、いや、蓋をしていた少し少しの後悔や、まだ手離せていない気持ちが心の片隅にあったこと
7月31日 朝7時起床
夢に夫は出ては来なかったが
「使命だから!」
「使命とは」
という話を私はしていた。誰とどういうシチュエーションだったかなどは忘れたけど。
夢って見ている時は「おお!これは」と思うのに、起きてすぐ忘れちゃうものよね
携帯の電波は昨夜から切ったまま。
色々な方々からお誕生日おめでとうメッセージが来ているかもな~などと思いつつ、電波入れたが最後、気になってそれらを見てしまうのは私の性格上目に見えているのでそのままに。
―まだ夫との最後の誕生日は終わってないから―
軽くシャワーを浴び、都知事選の投票へ。
帰って来てようやく少しお腹が空いたので昨晩の続き。
締めのデザートね
夫は本当に甘い物が好きでした。
ショートケーキとモンブランは欠かせません。この2つは食べなければ。
そして、久しぶりに夫にコーヒーを淹れた。
何を隠そう、私は大のコーヒーマニア。
あ。飲む方じゃないです、淹れるの。というか作るの。
私は夫の生前からコーヒーにハマり、自宅で焙煎したり、煎り加減や挽き加減を変えてみたり、数種類の豆を混ぜてオリジナルブレンドを作ってみたりと日々実験のごとくコーヒーと過ごしていたの。
夫はそんな私を見てしょっちゅう
「俺が死んだらコーヒー屋やんなよ。そこまでこだわる人なかなかいないよ」
と言ったもんです。
今となっては焙煎はしないけど(実は熱風焙煎機も持ってたりする。でもガス火で手焙煎の方が俄然美味しいんだよね)、焙煎豆をお気に入りのお店からたまに買ってはハンドドリップで楽しんでいる。
また言いますが、飲む事が好きなんじゃなくて、ハンドドリップで淹れる工程が楽しいんです。新鮮な豆は蒸らしの段階で「ぶわ~」っと膨らんで、それはまるで生きてるみたい!その後、円を描きながらお湯をドリッパーに注ぐのですが、うまくいった暁には見事な豆の壁が最後ペーパーに残るの。その姿はもはや芸術。そうして淹れられたコーヒーの味は格別!!同じ豆でも淹れ方を僅かに失敗ししようものなら雲泥の味の差に出る。この成果に一喜一憂している時が至福なんです。
っと、話が逸れてしまいました。
もとい。
冷凍庫保存してあるコーヒー豆を探した瞬間・・・
ビックリ!\(◎o◎)/!
なんと、賞味期限が夫の誕生日ではないですか!
これは列記とした夫からの❝ここにいるよサイン❞だと感じた。
そして、今日のコーヒーの出来栄えは・・・
お見事\(^o^)/
絶妙な味わいがきちんと出ていて、それはそれは美味しかった。
コーヒーは夫が見つけてくれた姫路にある自家焙煎店の豆。今もそこから購入していて、夫にとっては懐かしの味だったことでしょう。
それにしても、朝からケーキ2つはキツかった。。。
「もうお腹いっぱいだよー」
と言いながら、ショートケーキは完食、モンブランは半分で断念。
ここで、この「最後の誕生日会」は終盤を迎えました。
もう一度、梟に今の思いを語りかけました―
ここまで読んでくださった方はもうお気づきかもしれませんね?
夫が成仏している・していない ではない
私の思いがずっとそこにあった
夫の後ろ髪を私が引っぱっていた
自分でも気付かなかった、いや、蓋をしていた少し少しの後悔や、まだ手離せていない気持ちが心の片隅にあったこと
まだ守られていたいという気持ちがあったこと
それを今回、こういった形で夫ときちんと向き合うことで私は気付けた。
夫との最後の晩餐。今回の私の誕生日で夫と過ごすことを最後とした意図は。
彼の魂を私から解放する覚悟を、私がきちんと自覚したから、これからの夫との関わりは変わるということ。
亡くなった人と共にいるということは2通りあると思う。
何かの節に呼びかけて、充実の気持ちで思い出して故人を忍ぶことと、
故人への未練・執着があってその思いを手放さず心に置いておくことと。
私はまだ今世での使命がある。
夫との経験を、世に役に立てるため、今後もそれを形にしていく事を誓っているけど、それは私のする事であって、決して夫と二人で叶えることではない。
夫は自分の今世での生は精一杯果たした。その生き様を周囲の人達に見せ、それぞれに与えた影響が彼の使命。私が一番それを多く見受けさせてもらった。今度はそこから学んだことを世の中に役立てる事が私の使命。これは私が叶えること。
これに本当の意味で気付くのに10年か。こっちの10年はまぁまぁな月日と時間だったよ。
時間かかってごめん。今まで足枷してごめんね。
私達はそれぞれ別の場所で自分の生命をまっとうしよう。
これからはどうぞご自由に。
今後の記念日は、今までとは違った気持ちで望めそうだよ。じゃあまたね!
-----
そして、こうして記録にとどめています。
これは、私の今日の軌跡を形に残すためと、文章にすることで夫にも見せるためでもあります。
ここまで書いて、急に涙。
でも、泣いている外側と、内側に冷静な別の私がいた。
泣いた外側は今日までの夫と私
内側の冷静なのは明日からの私
バイバイ
もう、次の生に向けて専念して大丈夫だよ
今までごめんね。ありがとう
では、携帯の電波を入れます
現世は情報過多な時代だから、また明日からせわしない日々になるなぁ!
※
このエピソードはあくまでも私個人の解釈です
生死に関しては様々な思想や見解があり、どの考え方にも断言はできません
この話は、故人の魂の成仏祈願などをオススメする目的ではありません
「何事も、自分次第。すべては自分の中にある」
という私の気付きを記したものです
それを今回、こういった形で夫ときちんと向き合うことで私は気付けた。
夫との最後の晩餐。今回の私の誕生日で夫と過ごすことを最後とした意図は。
彼の魂を私から解放する覚悟を、私がきちんと自覚したから、これからの夫との関わりは変わるということ。
亡くなった人と共にいるということは2通りあると思う。
何かの節に呼びかけて、充実の気持ちで思い出して故人を忍ぶことと、
故人への未練・執着があってその思いを手放さず心に置いておくことと。
私はまだ今世での使命がある。
夫との経験を、世に役に立てるため、今後もそれを形にしていく事を誓っているけど、それは私のする事であって、決して夫と二人で叶えることではない。
夫は自分の今世での生は精一杯果たした。その生き様を周囲の人達に見せ、それぞれに与えた影響が彼の使命。私が一番それを多く見受けさせてもらった。今度はそこから学んだことを世の中に役立てる事が私の使命。これは私が叶えること。
これに本当の意味で気付くのに10年か。こっちの10年はまぁまぁな月日と時間だったよ。
時間かかってごめん。今まで足枷してごめんね。
私達はそれぞれ別の場所で自分の生命をまっとうしよう。
これからはどうぞご自由に。
今後の記念日は、今までとは違った気持ちで望めそうだよ。じゃあまたね!
-----
そして、こうして記録にとどめています。
これは、私の今日の軌跡を形に残すためと、文章にすることで夫にも見せるためでもあります。
ここまで書いて、急に涙。
でも、泣いている外側と、内側に冷静な別の私がいた。
泣いた外側は今日までの夫と私
内側の冷静なのは明日からの私
バイバイ
もう、次の生に向けて専念して大丈夫だよ
今までごめんね。ありがとう
では、携帯の電波を入れます
現世は情報過多な時代だから、また明日からせわしない日々になるなぁ!
※
このエピソードはあくまでも私個人の解釈です
生死に関しては様々な思想や見解があり、どの考え方にも断言はできません
この話は、故人の魂の成仏祈願などをオススメする目的ではありません
「何事も、自分次第。すべては自分の中にある」
という私の気付きを記したものです