想い出の中のバラナシ | 詩人 黒田誉喜  Blog from globe

想い出の中のバラナシ


ムスリムとヒンドゥーが聖地をシェアする街、バラナシに到着したのは、新しい朝が始まる数時間前だったと記憶している。

薄暗く蒸し暑いバス停にポカラから辿り着き、黄色と黒のオートリクシャーに乗り込んで、
埃と排ガスが入り混じるゴードリヤーの交差点付近で降りた。

夜明け前にもかかわらず、屋台や路地の店などは、煌々と裸電球の光を灯していて、

チャイが沸き立つ湯気や、
チャパティを焼く芳ばしい匂いの他に、
何か熱気のようなものが路地全体、いや、
街全体に立ち込めているように感じた。

宿探しが、新天地到着後の恒例だった。
昂揚感が冷静さをいささか失わせて、
悪戯に迷路のような路地を歩き回る。

大体いつも、宿を決める際、綺麗さとか、
利便性とかではなく、肩に食い込むバックパックの重さに耐えられず、僕の肩が音を上げるかどうかが決め手だった。

カルカッタのサルベーションアーミーも、
ダージリンのタワービューホテルも、
御多分に洩れず、「もうここでいいや。」という退廃的な決め方だったが、
結果、その投槍加減がその後の出会いを大きく左右することになった。

ジョンさんとの出会い、きんちゃんとの再会。
諦めが時に幸運を齎すこともあるのだ。

ヒマラヤの街ポカラからバラナシに到着したこの時も自分の肩にお伺いを立て、もう耐えきれないという予定調和な返事だったので、適当に目の前のホテルを選んだ。

取り敢えず荷物の置き賃の30ルピーを支払い、再び路地に出た。どこかのアシュラムから安っぽいテープレコーダーの祈りが聞こえてくる。

人がすれ違えるほどの路地は、
まるで混沌の洞窟みたいだった。

すれ違うインド人独特の褐色肌と皺が裸電球に照らされ、より一層陰翳を強めていた。

もしメキシカンクベンシスを摂取した20分くらい後だったら、さぞかしスペクタクルな光景だったに違いない。

無機質に折れた路地を進み、
幾何学な交差点を曲がる。

どこまでも続く迷路のような路地のゴールはガンジスだった。

僕はこの時の光景を一生忘れない。

薄い靄の向こうに骨白な対岸が辛うじて見える。深い黒色だった空が地平から徐々にグラデーションを浮かべ始める。
僕はその光の中心から目が離せなかった。

太陽が昇ってくる。

いや、太陽が湧いてくるといった方が、
あの時の光景に近い表現かもしれない。

僕はガンジスの向こう側にクツクツと湧き上がるバイブレィションに動きを失った。

これは僕の人生において、
とても特別な瞬間なんだと自覚していた。

この日を選んでバラナシに到着したのも、
自分の肩の都合でホテルに入ったのも、
好奇心に任せて路地を歩き回ったのも、

すべては、この瞬間に立ち会うために必要なタイムロスだったのだと今でも思っている。

バラナシ。

生と死のすれ違う、現実と幻影が行き交う街。

飽和した自由の果てに、

この後、僕はさらにインドの深みへと沈んでいくことになる。