2023年9月26日(火) はれ のち あめ






1日目のお話のつづきです。






山梨のおじさんの家は山間の傾斜地の集落にあります。

四方八方、見渡すかぎりの葡萄畑。

まあ私の家の周りも見渡すかぎりの水田ですけどね。

本日はおじさん夫妻に誘われるままお昼までゆっくりすることにします。






おじさんの案内でのんびり近隣を観光します。

地元の英雄、ジャンボ鶴田のお墓へ。

ジャンボ鶴田の親族の方が経営する果樹園・鶴田農園が近くにあります。






エリア随一の名所、恵林寺へ。武田信玄の菩提寺です。

「この辺は他に見る場所が無くてねぇ〜」

いえ、十分だと思います。

正面の黒門から参道へ。






黒門の次は赤門(四脚門)。鮮やかな朱色が目を引きます。

建てられたのは1606年、国の重要文化財です。






その次、三つめの門が三門。

天正十年(1582年)、武田氏を滅ぼした織田信長軍は恵林寺を焼き討ちに。

「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」

燃える三門の上で住職の快川国師が唱えたと言われる辞世の言葉です。

有名な「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」です。






開山堂は閉まっていました。

開山した夢窓国師、快川国師、末宗和尚の三像が安置されています。






本堂を見学します。堂内は撮影禁止と。

臨済宗妙心寺派・乾徳山恵林寺、1330年開創で開山は夢窓国師。


アテンドしてくれたおじさんから信玄公への尊崇の思いが伝わります。

甲斐の国の人にとって武田信玄はほとんど神のような存在なのでしょう。

会津なら保科正之公ですかね。






明王殿に生前の信玄公を写したとされる武田不動尊が祀られています。

信玄公の墓所はその裏にあります。

元亀四年(1573年)に陣中で没した武田信玄。

遺言によりその死は3年間秘密にされました。

カリスマを失った武田軍はその後織田軍により滅亡。

その信長も2ヶ月後に本能寺で没す。

のちに恵林寺を再興したのが徳川家康。







続いて甲州市のシャトー勝沼にやってきました。

1877年創業のワイナリーです。







周辺は一面の葡萄畑。

ランチ、ワイン付きの収穫体験などもできるようです。






売店では工場限定ワインも売っていますが…。

おじさん夫妻にお土産を色々頂いているのでもう荷物が積めないのです。

試飲もできますがもちろんこの後運転なのでお預け。

昨日来たかったな。






2階のレストラン鳥居平でランチをご馳走になることに。

もちろんこの後運転なのでワインは(以下略)。






おじさんといっても私の曽祖父の弟の息子なので6親等の遠縁です。

父のひとつ歳下で幼少期を当家で過ごし、会津を離れたのが11歳のとき。

ひとりっ子だった父とは兄弟のような間柄だったのでしょう。

父が他界し上の世代の親戚も年々少なくなってきた昨今。

家族のこと、家系のこと、実は知らないことの方が多いくらいです。

そんな折今回は貴重な思い出話を聞かせて頂きありがとうございました。

世代ごとの歴史の積み重ねの上に生かされていることを実感しました。

またお会いできるその日まで、お二人とも健やかにお過ごしください。






さあ復路スタートです。

富士山はとりあえず見納め。来年はあの頂に立ちたいな。






予定通り復路の国道140号・秩父往還は旧道を選択します。

道幅がグッと狭くなりました。

崖下を荒川の源流が流れています。






往路で通った新道の大滝道路沿いにあったのが滝沢ダム。

これから向かうのが二瀬ダム。

荒川は滝沢ダム側の中津川と合流し東京湾を目指します。






二瀬ダムの優美な曲線が現れました。

やっぱりアーチダムはいいなぁ。






完成は1961年となかなかのベテランです。

中央下部に見える2門のコンジットゲートで流量の調節をします。

この設備を設計したのが戦艦大和を建造した造船所なんだそうで。

天端は公道になっていて対岸に渡れます。

その先に山岳信仰の霊場である三峰山と三峯神社があります。

興味ありますが時間が無くなるのでまたの機会に。






道路沿いに彼岸花が群生していたので思わずマシンを止めてしまった。

この辺は紅葉の名所でもあるようですがさすがにまだ早いですね。






小鹿神社に寄ってみました。

オートバイで町おこしな小鹿野町らしくライダー大歓迎な雰囲気です。






すっかり有名になってツーリングの目的地にもなっていますね。

ただ個人的にはおあつらえ向きな雰囲気が逆に冷めてしまう部分もあり。

ウェルカムライダースな場所にオートバイで行っても予定調和というか。

…そんなこと言ったらバチ当たるかしら。






とりあえず御朱印は頂きました。

書き置きも少し残念…というより集団に対応し切れないのかも。






往路とは若干ルートを変え長瀞の中心部を通過してみました。

長瀞駅前、寳登山神社の鳥居があります。

荒川上流の渓谷美などが有名な観光地ですね。

ただ通過してみただけですが。






深谷あたりまで来ると遠く奥日光の山々が見えます。






ルート沿いに見つけた旧渋沢栄一邸。

このあたりが血洗島と呼ばれるところなんですね。

近くに渋沢栄一記念館もあります。

さすがに時間が無いので外観だけ。






深谷といえば深谷ネギ。

見事な農場が広がります。






群馬を抜けるあたりで日没を迎えました。

山梨を出発したのが午後1時だからなぁ。

自宅まであと170km。まあゆっくり行きましょ。






日光の郊外で晩メシにしようとコンビニに立ち寄ったところ…。

道路の反対側に偶然インド料理店を発見。

暗闇に明かりがぼんやりとついていて全く目立たない。

怪しい雰囲気ですがどうやら営業中のようです。

夜間に通りすがりで入店するのは私くらいなものだろうな。






しかも料理はちゃんとしている。他に客がいないのがもったいない。

いや、こういう筋書きのない展開こそ旅の醍醐味でしょう。

そして晩メシをキメて店を出たところで雨。

う〜ん、のんびりし過ぎたか。






道の駅で雨宿りしていたところ、同じくずぶ濡れのカブ1台登場。

あの荷物はもしや…。

カブ主の青年と話すとやはり日本一周中だそうで。

翌日の昼に新潟からフェリーで小樽に向かうと。

今日はここで野宿ですか。

もう北海道は寒いから気をつけてね。

旅を終える者と旅に出る者、心のバトンはつながっただろうか。






2日目のルート、走行距離315km。

2日合計645km。

おわり。