令和五年十月十四日(土) はれ
前回、第三十番札所の模様はこちらです。
その次の第三十一番札所は御朱印帳を買うために一番最初に回りました。
灼熱の残暑が終わったら巡礼を再開しようと思っていたらもう10月です。
今日は会津坂下町です。
会津三十三観音も残すは二箇所。佳境に入ってまいりました。
まずは国道49号線沿いのファミリーレストランで燃料を入れていきます。
その名もあかべこ。昔からあるお店ですね。
「べこ」は牛のことね。
なので牛サーロインステーキ。
最後のひと切れはいつも切ない。
旧宮川を渡り町の北部へ。
右岸の土手がサイクリングコースみたいになっています。
若干遠回りにはなりますがコース的に面白いのでこちらから行ってみます。
今回の札所は立地的に川と関係があります。
このあたりは標高が低く会津盆地の各河川の合流地点でもあります。
その昔、河川の改修前は洪水多発地帯でした。
会津の古い呼び方「相津」の発祥がこの一帯だという説もあります。
稲刈りも終盤戦ですね。
ウチもやっと終わりました。
彼方には9月に登った飯豊連峰。
なんだかもう遠い昔のことのような気がします。
ちょうど紅葉の時期でしょうか。
いいなぁ、こんな天気の日に登りたかったな。
ぐるり迂回して集落の西側からアクセスする形になりました。
あの木々に覆われているあたりが目的地のようです。
前札所の立木観音から来るとちょうどこの進路になります。
札所のある青津集落。
看板が出ています。迷うことはありません。
集落の西側にあるのが八幡神社。
村の鎮守さまですね。
ちょっとだけ立ち寄ります。
小さな山の上に祠がポツン。
ここ、実は古墳なんです。
その名も鎮守森古墳。
前方後方墳、つまり四角形を二つくっつけた形です。
田んぼを挟んですぐ隣にあるのが亀ヶ森古墳。
横から見るとわからないですが前方後円墳です。
で、この古墳の上にあるのが第三十二番札所・青津観音。
はい、とうちゃこ。
東北第二の規模の古墳であり会津三十三観音第三十二番札所でもある。
なかなか忙しい場所です。
ここが古墳であることは戦後の発掘調査によって初めて判明したそうな。
石段を上ると正面に現れるのが稲荷神社です。
その右手に青津観音堂。
古墳が作られたのが推定で4世紀後半、もちろん仏教伝来の前です。
その後ずっと忘れられていたということでしょう。
ここが先人のお墓だとわかっていたら観音堂なんて建てないよねぇ。
鰐口やら向拝など。
ご本尊は聖観世音菩薩。
そして御詠歌が納められているのですが…。
「青津」ではなく「青木」とあります。
当初隣村の青木にあった観音堂は慶長十六年(1611年)の会津地震で倒壊。
その後の大水で観音像も流されるなど被害を受けました。
のちにここ青津の亀ヶ森に再建、現在に至ると。
古墳の一番高い場所にもう一つ祠。
もちろんこれも後世のものでしょう。
洪水のときの様子が湖上の亀のようだったので大亀甲と呼ばれたと。
だから亀ヶ森。
青津観音の御朱印は集落内の浄泉寺で頂けます。
観音堂が再建されるまではこちらに観音像が安置されていました。
住職さまに少しお話を伺うことができました。
観音堂が上に建つくらい存在を忘れられていた古墳について。
戦後にやっと発見されたのは社会が豊かになり考古学が進歩したため。
つまり金と暇ができてこんな田舎にも学者が来るようになった。
…ということだそうです。
未開の地と思われていた東北も近年遺跡の発掘で認識が変わりました。
我々地元民の意識も時代に合わせてアップデートしていかねば。
南無観世音菩薩。
会津三十三観音 第三十二番札所
青津観音 聖観世音
曹洞宗 清光山 浄泉寺
河沼郡会津坂下町大字青津字本丁71
御詠歌
春は花夏は青木に繁りつつ
秋は紅葉に染むる露しも
参考文献
会津の霊場めぐり奉賛会「会津霊場めぐり」 88新書
小島一男「会津故事散歩」 歴史春秋社