令和五年十月十四日(土) はれ
第三十二番札所からのつづきです。
第三十二番札所のある青津集落…から道路を挟んですぐ隣に青木集落。
青津の観音堂は元々はこちらの青木にありました。
その青木を抜けて次の札所へ向かいます。
神明神社、村の鎮守さまですね。
ちょっとだけ寄り道を。
天然記念物イトヨの生息地ですと。
きれいな排水路です。
環境の変化によりイトヨの住める場所は年々少なくなってきています。
神社の奥にお寺がありました。
浄土宗示現山正徳寺。
慶長大地震で失われる前に青津(青木)観音堂があったお寺でしょうか。
そのへんは資料がなくてわかりません。
住職さまが「こちら側」の方なのは確かなようです。
元々あった青木観音堂が地震後の洪水で流され隣村の青津に移転。
その間に会津三十三箇所が定められ「青津観音」が第三十二番札所に。
この札所の帰属問題が隣村同士の軋轢を生んだのか、どうなのか。
隣近所だからこそ仲が良くないのはよくある…いえ、一般論です。
統合されて閉校になった小学校の校舎。
旧広瀬小学校、昔の広瀬村の中心地がこの青木だったのですね。
今は埋蔵文化財センターとして遺跡の出土品などが展示されています。
土日は休館ですか。ちょっと興味があったのですがまたの機会に。
校歌の作曲は古関裕而先生。
時代はうつろい、歴史はつづく。
田んぼ道をまっすぐ南下すると第三十三番札所のある御池田集落です。
いよいよ最後の札所。
当初の予定から伸びに伸びて足かけ二年の巡礼になりました。
実際2日もあればクルマでブィーンと全部回れるんですよね。
6条刈りの高級コンバインがあっという間に稲を刈っていきます。
スペックが正義の世界です。
そもそもなんで巡礼を始めようと思ったんだっけ。
何十年と住みながら私は地元のことをよく知らない。
そんな自らの無知を自覚することが成果になれば。
そう、ロングツーリングだけが旅ではない。
見えてきました。
田んぼの中にポツンと。
変に仰々しくなくて、いかにもな佇まいが逆にらしくていいね。
会津三十三観音第三十三番札所。
最終コーナーを回りました。
曹洞宗羽黒山西光寺。
とうちゃこ。
うーん…読めない。
山号が羽黒山という通り出羽三山の羽黒山と関係があるそうです。
西光寺は東山の東光寺とともに羽黒派修験の会津の神宮寺でした。
羽黒山東光寺は明治の神仏分離令で羽黒神社となり現在に至ります。
元は小池という村だったらしい。
小池が御池になり御池田と呼ばれるようになった…のでしょうか。
新編会津風土記より。
観音像が最初に発見されたのはこんなきれいな池だったそうな。
なんというか、持ってるなぁ。
火事で一時紛失していた観音像を発見したのも長芋掘り中の住職。
やはり、持ってる。
さあ御池の観音様です。
日本の観音札所のはじまりが西国三十三所。
江戸時代初期、その会津版を定めたのが会津藩初代藩主・保科正之公。
龍と獅子が睨みをきかす。
ご本尊は聖観世音菩薩。
観世音菩薩は三十三の姿に変身し我々衆生をお救いくださいます。
御詠歌が納められています。
昔は農村の女性が農閑期に講仲間と御詠歌を唱えながら巡礼したそうな。
それは信仰であり娯楽であり学びであったことでしょう。
第五番札所熱塩観音へお参りの際はぜひ山形屋へ。
社務所にて御朱印をいただきました。これにて結願。
特別何か願掛けをしていたわけでもないのですが。
きっとそのうち良いことがあるでしょう。
南無観世音菩薩。
会津三十三観音 第三十三番札所
御池観音 聖観世音
曹洞宗 羽黒山 西光寺
河沼郡会津坂下町大字御池田字寺ノ前152
御詠歌
まいるより恵も深き御池の
池の蓮は我を待つらん
空にそびゆるばんだいの
けだかきすがたあおぎつつ
ポチッとな。
ちゃんと時計回りに巡礼できるようナンバリングされていますね。
地域ごとのバランスも考えられています。
さすがは正之公。
おわり…ません。
番外札所があと二箇所残っています。
最終回じゃないぞよ。もうちっとだけ続くんじゃ。
参考文献
会津の霊場めぐり奉賛会「会津霊場めぐり」 88新書
小島一男「会津故事散歩」 歴史春秋社