本当の自分を取り戻せるか?サイエンズメソッド | ジャーニー・ホーム

ジャーニー・ホーム

ハイヤーセルフのユニコーンペガサスと、おじいと、あといろいろとスピリチュアルの旅の記録

サイエンズメソッドについて書いてみるとは言ったものの、自分がどれだけこのメソッドを理解しているのかわからない。実際にやってみたのは二度、計4時間ほど。おそらく基本の部分だけだと思う。
でも逆に言うと、それだけしか経験してなくても素晴らしさがわかるとも言えるかもしれない。
それだけ即効性がある方法だと思う。

僕が体験したことはこんな感じだった。
ほとんど何も説明されない状態で、A4サイズほどのホワイトボードを渡されて、
「今回ここに来た理由を書いてみましょう。5分くらい時間を取りますのでじっくり考えてみて下さい」
と言われ、
「それでどうするんですか?…何処にたどり着けば良いんですか?」
『どういう主旨があるかってこと?』
「そうです主旨!」
『自分の中にどんな想いがあるかを探求して、気づきを得ます』

説明を受けてもいまいち納得がいかなかったが、とりあえずやってみることにした。
ここに来た理由…最初の考えでは「もしこのコミュニティで言われている事が本当ならこんな所で暮らしてみたい」と思っていた。
じゃあなんでそんな所で暮らしたいと思ったのだろう?ただ興味があるから?安心を得たいから?どれも違うような・・・。他の人はもうボードに書き始めているので焦る。
考えた末、僕はボードにこう書いた。


”本当の自分らしくあるため”


自分の中にこんな想いがあったとは気づかなかったので驚いた。が、これがとてもしっくりきた。
さらに驚いたのは、3人とも”その人らしく”とか”私らしく”という似たような言葉を書いていたことだ。共同探索のシェアみたいな気分だった。

自分の書いた事を説明し、それからみんなでそれを探究していく。
”本当の自分とは何か?””何故普段は本当の自分でいられないのか?””どうして言いたいことが言えないのか”
自分の問題をみんなで考える。みんな真剣に考え本音で話すからそこには真実しか残らない。

自分が書いた事に対して質問される事もある。
答えたくないようなことを聞かれることもあり、責められているような気持ちが少しも無いわけではなかった。普段ならそういう時は反論したり、適当にごまかしてしまう。

でもその時は、そういえばどうなんだろうか?と、自分の本当の気持ちに向き合って探る事ができた。

始めは少し不満を持った状態で参加したが、終わってみると何かすっきりしていた。
考えたことについて何か答えが出たわけではない。なのに何故か心は解放感で満たされていた。
”答えを出さなければ”ってことにこだわらなくてもいいんだと理解ったのも大きな収穫だった。



~っていう事なのかなぁ。~ってどういう事なんだろうねぇ。
ここの人たちはみんなこんな言い方をする。

普通だと自分の考えを言ったりすると、馬鹿にされたりそれは違うとかおかしいと言われる事が良くある。否定・批判されると気分が悪くなるものだ。
だがここの人たちと話すとき、否定・批判というものは一切なかった。「こういうことなんじゃないかなぁ。わからないけどね」「もしかしたらこういうことかもね~」という感じである。とにかく真剣に話を聞いてくれる。それが普通になっているようだ。
だから気分を悪くする事なく本音で話をする事ができる。

僕は今まで生きてきて本音で喋る事なんてほとんど無かったように思う。最も仲の良い友人にすら話さない事もあった。周りには何を考えてるか分からないと思われていただろう。
でもこんなに本音で話せたのって生まれて初めてじゃないだろうか?しかも初対面の人に。そして本音で話せるのって何て気持ちが良いのだろう。自分の本音が全て受容されているのってどんなに安心できる事かわかるだろうか?

”話し合いとは何だろう?”をテーマにミーティングをしていたときのこと。
一緒に探訪DAYに参加した韓国の女性はこんな体験をシェアしてくれた。
「私は始めは、話し合いなんて、別に話すことは無いと思った。話すつもりなんてありませんでした。でも、みんなが話しているのを聞いているうちに、自分も話したいって思いました。心のドアが開いた」
「相手にそうじゃないとか否定されると、心が閉じる。相手がちゃんと聞いてくれるとドアが開く」
何か思うところがあったのか、涙を流しながら彼女は語ってくれた。
日本語はまだ勉強中でぎこちない喋り方の彼女だったが、意味は充分すぎる程伝わった。

やっぱり誰でも、自分の気づかない部分で本当の事を言いたいって思っているのかも。本当の自分でいたいと思っているのかもしれない。
みんなこれがしたいのにできなくて自分を抑え込んでいるんだから、病気になる人がいるのは無理もないじゃないか?

私たちの世界では普通会話をしていると、「あー確かにそうだね」って表面上は言ってても、「あ、この人本気でそう思ってないな」って感じる事は良くある。上辺だけの会話だ。とりあえず相手に合わせておくとか、波風を立てないように無難な事を言っておくとか、そういう不自然な会話が日常的に行われているので、もう会話をすること自体億劫になってしまう。別にその人が悪い訳じゃなく、そういう風にみんな教育されてきたので、疑いもなくそう反応しているだけに過ぎないのだろうけれど。ネットで言われている「SNS疲れ」もこれと同じ事じゃないだろうか。相手が心からいいねしたりコメントしてくれているって分かればそんな事にはならないんじゃないかなと思う。

今回20人ほどの人に会い、会話を何度もしたわけだが、上辺だけで話している人は1人もいなかったように見えた。だから自分も本音で話せるし、普段は気が進まない"話す"という事にあまり抵抗もストレスもなかった。
それに普段は、これから初対面の人に会うとか、そういうグループの中に長時間いるのはどうも居心地悪く感じてしまっていたのだが、全くそういうことも無く自分の場所のように過ごす事ができた。


本音で話すことについては他にも様々な効果があると思う。
体験者の感想を見ていると、「自分がなくなってしまうのではないか」「今まで当たり前だと思ってきたことが崩れていく恐怖」といったクラッシュのような症状が起こっている人もいるようだ。
僕も軽くそういう状態になったが、他の体験者同様、大したショックを感じなかった。
もしかしたらこの優しい空気に、ショック緩和と回復(統合)の効果があるのかもしれない。

あと思ったのはブロックの解除効果。
一つずつやる必要はあるが、ブロックは解除もしくは緩和の効果はあるようだ。
比較的簡単にできて、ちゃんとすぐに効果を実感できるのはとてもいい。
そうやって一つずつ古いものを剥がしていって、曇りが取れた時、雲間から光が射すように、その人の本来の姿が現れるのかもしれない。



こういう風に書いていると、ここの人たちが特別な人みたいに聞こえるかも知れないが、見ていると普通の人とそんなに変わらなく見える。面倒だと思う事もあるし、腹が立つ事も多くはないがあるようだ。ただ、ほとんどの人がセミナーで学んでいて、ベースにこの考えがあって、それがいい影響を与えているように見える。

もしかしてセミナーで洗脳されているのでは、なんて考える人もいるかも知れない。ネットの検索では予測ワードで”宗教”と出てきたりして、やっぱりこう考える事もいるんだと思った。実は僕も最初は少し疑っていて、正直今でもその可能性を払拭しきれた訳ではないが、実際見てみた感じではそのような印象は受けなかった。セミナーに少し興味が出てきたと言ったときも、パンフレットを渡されてちょっと説明されただけでそこまで勧誘されるということもなかった。「ぜひ時間が取れれば来てください」くらいの感じである。

僕だけなのかも知れないと思い、改めて他の探訪者の感想を読んでみたが、みんな概ね同じようなこと(初対面なのに壁がない、素直に本音が言えてしまう、など)を感じているようだ。ここには何か不思議な雰囲気があるように思える。

日本でも今までいくつか、エコビレッジなどのコミュニティは作られたらしい。でも3年と経たずに消えてしまうそうだ。このコミュニティは17年も続いている。
そんな噂を聞きつけて持続可能なコミュニティを作りたいと、日本だけでなく世界中から人が集まっているのだ。そしてベースになっているこのメソッドが注目されている。
実際にうまくいっているわけだから説得力がある。少なくともこのメソッドには何かがある。




僕は人生が上手くいかなくなってくるとスピリチュアルに助けを求めてきた。
長い間「思考は現実化する」をベースの考え方として生きてきた。いや、今でもこの法則があるのは疑っていないし、これから先も疑うことはないと思う。

自分の考え方が大事なのだから、良い考えを持ち続ければ良くなるはずだと実践しても、一瞬良くなる事があるにしても、またしばらくすると悪くなる。長くは続かない。こんな事を何度も繰り返していい加減うんざりしていた。

自分に原因があるのだと知ってはいても、気付いたら周りのせいにしてしまっている。環境のせいにしたくはないけど、いい考えの人たち、人を批判しない人たちに囲まれて暮らせば自分も穏やかでいられるんじゃないか?と考え始めた。

スピリチュアルこそ人生を良くする方法だと思っていたが、「スピリチュアルを実践したって何も変わらねぇじゃねえか!」自分に原因があるって分かってても「考え方変えろっつったってできないもんはできないんだよ!」
って思ってしまって途方に暮れてしまっていた。

短い期間ならできるのだ。だが、継続してやるのが難しい。できる人もいるだろう。でも自分には無理だった。何とか良い方向に考えられるように頑張ろうとしても、長くは持たない。
思考を良い方向に向ければ良いと分かったからって、それができるとは限らない。

引き寄せの事を知ってこの9年くらいは不器用ながらも人生を良くしようと頑張って来たつもりだが、部分的に幸せを感じる期間はあったものの、今現在堂々と自信を持って「良くなった!」と言えないのが現状だ。
「やり方にコツがあるんですよ」「実はこうすると良いんですよ」みたいな本も最近出てきたが、何か違う気がしていた。
どうしても人には思考のクセってもんがあって、ベースに悪いクセのある人(自分のことだが)は良い方向にひっくり返すのが難しいのではないか。

もしそうならば、このクセを治さないことにはいつまで経っても幸せにはなれないって事になる。
この度実際このメソッドを体験してみて、自分のこのベースの一部が少し変化した感じがしている。たった二度で。しかも何日か経った今も継続している。

私の中で何かが変わりそうだという実感がある。
まずはこのメソッドを学んで、自分を作り上げている悪いベースを組み替えて、それからスピリチュアルという順にした方が良いのではないかという気がしてきた。

ハイヤーセルフに会ったり、自己の探求をしても幸せを感じられることはあまりなかった。
それ自体が悪かったことだとは思わないし、後悔もしていないが、自分には何かが欠けていたのだ。それがこれなのではという気がしている。

このメソッドにはスピリチュアル的なものは含まれているように見えず、考える、話すという二つの事が出来ればいい。これは普通の人なら日常的に行っていることなので、何のテクニックも要らないのだ。そして実践している人を見る限り、一定の成果を上げているように見える。

探訪中、人が話しているのを聞いた。

「最近イライラしなくなったんだー。セミナーに参加してから」と。

スピリチュアルに固執するあまりこういうものがあると気づけなかった。

スピリチュアルを否定したいわけじゃない。もちろん素晴らしい面もあるし、だからこそ本をたくさん読んだり学んで実践しようとしてきたのだ。ただ自分の使い方が悪かっただけの話かもしれない。

この旅が終わって、「何でスピリチュアルに興味を持ったんだっけ」と自分自身に問いかけたとき、最終的に出た答えは「幸せに暮らしたいから」だった。
ああ、そうだった。スピリチュアルは好きだけど、スピリチュアルのために生きている訳じゃない。それはいつしか手段ではなく目的にすり替わっていた。
わたしは幸せになるためにスピリチュアルという生き方を選んだんだった。

わかってはいたのだ。
「幸せってのは探したり、なるものじゃなくて、そこにあると気づくこと」
ってずっと思ってきた。でもそう思おうとしても、自分のベースの思考に引っ張られて結局いつもの自分に戻ってしまうのだ。


今のところはもっとこれを探究したいのでセミナーに参加する方向で考えている。自分にとって良いものになるのか?というのは分からないが、少なくとも今までの人生で作ってきた「間違った基盤」(こういう言い方が正しいかは分からないが)を組み直すのには良いのではと思う。

少なくともこっちを基盤にした方が、マシというか自分の人生はより良いものになるのではと思う。だって実際にセミナーを受けた人は良さそうに見えたから。
ただ、まとまった長い休みが必要なので、仕事はどうするかということがまだ決まっていない。いっそ鈴鹿に行ってしまってしっかり学ぶか?とも考える。

もしかして今が転機なのか?でも捨てなきゃいけないものもたくさんある。それでもやるべきなのか?これは本当に自分の為になるのだろうか?
考え出すと萎縮してしまう。常日頃安定の道を歩いている自分にとって、この選択はとても困難だ。
でもこの選択をしないとしたら何も変わらないのは確実だ。また何かを探す旅に出なくてはならなくなる。
悩んでも迷っても間違っても、きっとペガサスの翼は羽ばたくことを望んでいるのだ。

 

 

 

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