「ダイバーシティとやま」な日々にて 取り上げていただきました。

 

もう189人目、これまでも知っている先輩方や、私のお客様も多くの方がインタビューされていました。

前々から、インタビューさせて♡ と言ってくださっていた宮田妙子さん。

 

妙さん、明るく、やさしく引き出してくださりありがとうございます!

 

時折セミナー中や、メソッドの最後のページにも自己紹介代わりに昔のことや育った時の環境などを紹介してきましたが、今回の記事を読まれた方からは、「勇気が出た、私も幸せになると決める。」など多くのメッセージやご感想をいただきました。

 

もしよければ読んでみてください。

そして、関連することで、解決を探している方がいましたら、ぜひお声掛けください。

 

 


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あきさんには弟がいるのですが、弟に髪の毛を引っ張られても怒りもしない温厚な姉でした。しかし、勉強はさっぱりわからず大嫌いでした。わからなくても「わからないから教えて」が言えませんでした。わからないとお母さんに怒られ、怒られるからますます教えてと言えなくなる。そんな繰り返しでした。その頃、お母さんとお父さんは折り合いが悪く、お父さんは2週間に1回くらいしか家に帰ってきませんでした。ですから余計にお母さんのイライラがあきさんに向かってしまったのです。

 やがて、両親は離婚。あきさんと弟さんはお母さんの実家のある富山に戻ってきました。小学校では東京からの転校生というだけで目立ちます。しかも、東京の小学校では大丈夫だったヘアバンドも富山では禁止されていました。ですから、何かと窮屈な思いをしていたのでした。そんなあきさんの救いになったのが、吹奏楽でした。あきさんの小学校のブラスバンドの顧問の先生が、たまたまクラス担任の先生でした。その先生に薦められて、あきさんはブラスバンドに入ったのです。


::中略::

しかし、とにかく勉強が嫌いでした。音読させられる時も、漢字が読めません。覚えたり、応用したりすることが苦手でした。あきさんが高学年になった頃は祖父母は埼玉の伯父さんの所に引っ越しました。それで、夜、家には大人がいないので、宿題をしなくても、誰も叱ったりはしなかったのです。


全文を読むやじるし  http://blog.canpan.info/diversityt/archive/188

 

 

 

「幸せの裏ワザメソッド」は、解決に使った手法が全て入っています。