あれから、15年。(53) | 泣き虫デザイナーのニューヨーク奮闘記、 のその後、それからの ご あきうえ

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ファッションデザイナー「GO AKIUE(ごあきうえ)」のブログです。
I am a fashion designer.
Creating clothes is my passion. I've designed clothes and accessories for actors, singers, and other media personalities.



「あれから、15年。(53)」


生真面目過ぎたんだろうか?
大人のビジネスをわからな過ぎたんだろうか?
心配性過ぎたんだろうか?


もし今のオレなら少しは、
もう少し上手く立ち回れたのかも知れない。
今のオレの方がずるくて強い。


でもあの時はもう、色んな気持ちが、
いろんな不安が渦巻いて、いっぱいいっぱいになっちゃってた。


痩せたおじさんとは、何度も何度も話し合った、
と言うよりもバトルを展開した。


バトルの甲斐あって、日本で販売するものの、
商品を事前確認して、オレがデザインの修正をかなり加え、
そしてオレのブランドの商品として出すのは自分の中で、絶対に無理と言うものを削いで行く事になった。

それは絶対に譲らなかった。
それだけは絶対…


痩せたおじさんが、実際に日本での準備に取り掛かってる時も
絶対にまるっきり信用はせず、何回も何回も、
それはストーカーの様に確認の国際電話を掛けた。

(後々、この時期の電話料金が凄い事になっててね。
部屋のオーナーであるケイトさんに言われて
二人で番組にどう報告しようか???
と、頭を悩ませたよ☆   (≧∇≦))

そして、絶対に譲らなかった数々の条件と引き替え、と言うわけでは決してないけど、
「This Way」に対して、カメラの前でオレが発言する事にした。
そう、決心するしかなかった。

当時、NYで活動している間に、
ショップスタッフのHannaやMitsu、
番組スタッフさん達と、無我夢中でSHOP「AKIUE-GO」を盛り上げて運営しようとしている間に、
日本でのAKIUE-GOを取り巻くビジネスの規模が、
いきなりの大階段を駆け上がろうとしていた…

オレがこの部分を飲まなければ、いろんな方々に迷惑を掛ける事になる。
オレに手を差し伸べて下さった、阪急百貨店さんしかり。
たくさんの方々に。

それをオレは理解してしまったから…


カメラを回す準備が出来て、コメントを撮る時、いつもなら
ふざけてぐずぐずしていたら、ちょこっと叱られたりする時もあったけど、
この時はスタッフさん達、ずっと待ってくれたよ。

自分の口から発するまで、結構な時間が掛かったけど、
ずっとずっと待ってくれたよ…


やっとその言葉を発した時、発した後、
心がね、悲鳴をあげる様に痛かった。


………………


15年経った今、「This Way」と言うブランド名、
あれだけの、びっくりする様な莫大な売り上げをあげたその名を
応援して下さった皆さんの記憶でも、その名を思い出す方々は少ないと思う。

自分の中の記憶でも、
このブログを書くまで、日常の中では忘れてるし、思い出す事もなかった。
思い出そうとしなかった。


その名よりも、ASAYANから、
あの時、世に飛び出した「ご あきうえ」がデザインした「AKIUE-GO」として記憶して下さってる方々の方がたぶん、多いと思う。

番組が
その名よりも、それ以上に「AKIUE-GO」と言う名を、一層取り上げて下さったから。

この部分は確信がある。
これはオレを守る為に、番組が意図的にしてくれた事だって…
凄くあっぱれで、凄くありがたい…

そして、番組を観て下さって商品を購入して下さった方々も
「AKIUE-GO」の商品として購入して下さったからだと思う。

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15年経った今、
オレ自身が「AKIUE-GO」だと思ってるもん。

………………


けどね、この時期はもう心がね、
すでに折れ掛かってたんだ。

そして、ついに
ほんの小さなある事が切っ掛けで、堰を切ったように
オレは「あの事件」を起こす事になる。




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