拝啓、ステージの神様。
前のめりだけがいいわけではないのですようね。
私は背もたれで舞台のノリ、観客の盛り上がりを感じたり表現したりすることがよくあるのですが、
帝国劇場で上演中の『レディ・ベス』を観た日も、やはり背もたれ感の針が動きました。
ググッと前のめりになる感じが、素敵な舞台というイメージもしますが、
それだけではないのです。
(あ、ちなみに、前のめりは、「になる感じ」が正しいのであって、実際体を前のめりにすると
後ろのお客様が見えにくくなりますのでくれぐれもご注意を!)
若きレディ・ベスが、自身の運命に立ち向かい、女王として生きる決意に至るまでには、
さまざまな大人たちが彼女を取り囲みます。
英国女王メアリー・チューダー(吉沢梨絵/未来優希)は、ベスの前に立ちはだかる大きな壁。
異母姉としてベスの存在を疎ましく思うその感情の乱れは、時に荒々しく、時に悲しみをまといます。
ベスの亡き母親、アン・ブーリン(和音美桜)は、遠くから彼女を見守ります。
絶対的な母性と、女性として愛を最後まで全うできなかった無念を隠しません。
ロジャー・アスカム(石丸幹二/山口祐一郎)は、ベスの未来を拓いて導く人。
そこにあるのは単純な優しさではなく、真実を追求する正しさと厳しさ。
ベスの教育係のキャット・アシュリー(涼風真世)は、深い愛で彼女を包みながら、
ベスの本当の幸せは何かを考えています。正しく生きることと幸せはイコールではないかもしれない、
その矛盾と戦いながら、彼女の傍に居続けます。
自身の信仰するカトリックを守ろうと必死の大司教ガーディナー(石川禅)は、
ベスの存在を誰より恐れ、正しいはずの行いから常軌を逸脱していきます。
このさまざまな大人たちが歌いだすと、私は椅子の背に背中をつけました。
冷めているわけではありません。
疲れているわけではありません。
たぶん安心するのです。もちろん心は前のめりのまま。
前のめりだけれど、その数センチ背中がラクになっていてもなお、歌声が体のあちらこちらに響鳴します。
刺さるように響く声、包むように響く声。
物語のラストで、レディ・ベスの威風堂々とした姿を舞台中央に観たとき、
彼女がなぜ今そこでそうしていられるのかを考えます。
それは彼女を支えるあらゆる力がその時を作っているから。
ベスが座るあの椅子も、私たちが座る客席の椅子も、そういう力に包まれているみたい。
カーテンコールで椅子から立ち上がるほんの少し前に、
そう感じずにはいられませんでした。
星座のマークの位置を確かめる!?