この恋は滑走路 | アッキーの雑談ブログ
皆様こんにちは

私は天性の鈍感力の持ち主で、ちょっとコンビニ行ってくる、というノリで謎の男の人と行きずりのセックスをしても、次の朝には何事もなかったように、おはようございますといつもどおり仕事のできる人です。でもそうなったのは23才くらいからで、それまでは、つまらない恋愛のいろいろであれこれ悩む乙女でした。

勇気を出して初めてセックスした彼に「好きな人が出来た」とあっさり振られたり、二股かけられたり、結婚しようと言われてその気になったら振られたりしたこともあります。

そういうつらい恋の思い出をたくさん経験しています。そのたびに心が引き裂かれるような思いをして死にたくなったりしました。仮にそれを言葉にして体じゅうに書いたら耳なし芳一みたいになります。

でも私は強くなりました。強くなりたいと願いました。つまらない男のつまらない言動に2度と振り回されたく無いと、そう思いました。


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この恋は滑走路

恋が悲しく傷ついた思い出だけを残してダメになっていったとする。他の恋が今までの恋があなたにとってどれだけの意味があったのだろう。

きっとそれはあなたが本当の恋に旅立つための滑走路だったのだ。滑走路づくりはたいへんだった。けれど本当の恋をするために必要不可欠なものではないか。

「微笑みながら消えてゆく」銀色夏生

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私は失恋のたびにこの詩を思い出して心の支えにしていました。詩の解釈はいろいろあるでしょうけれど、私は、失恋は、本当の運命の相手に会ったときのための練習なんだ、修行なんだ、助走なんだ、と解釈しました。

うまくいかなかった恋を思い出すと、自分の気持ちを相手に押し付けてばかりで、相手の気持ちを無視していたことがあって、

次に恋愛するときはもっと素直になろう、とか、相手の気持ちを考えようとか、思えるようになって、つまりは、次に生かそう、と。

神様は私にもっと良い相手を用意してるはずで、そのために予行練習をさせてくれて、つまらない男と別れさせてくれたんだ、とか、笑、そんなふうに私は無理矢理ポジティブに考えて失恋を乗り越えてきました。この詩を読みながら。

でも不思議とそれは本当で、この人しかいないと思ったのもつかの間、また好きな人が出来るのです。それで私は思います。「神様はちゃんと用意してくれるのだな」と。

それを、繰り返してゆくうちに、失恋がこわくなくなって、失恋しなくなっていきました。たぶん、相手のご機嫌取りをしなくなったからでしょう。失恋してもまた良い出会いがあるからいいや、と開き直って傍若無人に振る舞うようになると失恋しなくなるのです。不思議ですね。

滑走路というのは、免疫と言い換えることもできるかもしれません。いろいろな病気の免疫を身につけて強くなってゆくプロセスは体だけでなく心も同じなのでしょう。

そんなこんなで、私は、
「出会えたことが幸せで別れはただのオマケのようなもの」という哲学を思い付きました。これは私のオリジナルです。

会えなくなるくらいつらい別れ方をしても、短い付き合いであったとしても、だれとも出会えないよりはずっと彩りのある人生だと思いませんか?