【競馬 都市伝説】ノストラダムスの大予言は〇〇年『第〇〇回 小倉記念』だった!! | 借金153万が原因で家を追い出され彼女にも捨てられた私が、あるノウハウで借金完済・月収30万円の不労収入を獲得した競馬必勝マニュアル

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んにちは。

 

競馬人@あくつです。

 

ブログ自体が御無沙汰になってしまいました、、、(;´・ω・)

 

2017年元旦 初ブログということで、

 

明けましておめでとうございますm(__)m

皆様のおかげで今年も無事に新しい年を迎えることができました。

 

新しい年が更に良い年になるよう祈念致しまして、

私の新年の挨拶とさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

さて、ブログのタイトルにもありますように、

 

今日はあなたにブログを通じて、

というより初めてSNSを通じて、

 

ノストラダムスの大予言は“競馬予想”だった!

 

この事実を明かすことにします。

 

 

ノストラダムスの大予言とはどういったものであったか?

 

まずは、この予言について説明します。

 

以下のような予言詩でした。

 

 

 

IMG_20170101_140811374.jpg

 

「L’an  mil  neuf  cens nonante neuf  sept  mois,

Du  ciel  viendra un grand  Roy  d’effrayeur :

Resusciter  le  grand  Roy  d’Angolmois,

Avant apres  Mars  regner par  bonheur. 」

 

※スペル違ってたらすみません。

 

この四行詩なのですが、日本語訳で以下になります。

 

 

 

「 1999年  7の月 

空から恐怖の大王が降ってくるだろう

アンゴルモアの大王を復活させるために

その前後  マルスは幸福の名のもとに支配するだろう」

 

五島勉訳 『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)より引用

 

 

 

私が中学生時代に、

 

ノストラダムスの大予言ブームの火付け役

五島勉の『ノストラダムスの大予言』シリーズと出会って、

 

 

それを手にした頃、ブームの煽りをうけて

次々に、新説だとか真説として

 

 

続々とこの予言詩についての解釈本が出てくることになります。

 

 

私は、五島勉さんの著書にハマってからも

書店では数々の便乗して出版された

ノストラダムス本を立ち読みするや、

 

 

気になった本は購入の学生時代を過ごしました。

 

 

ミシェル・ノストラダムス(本名ミシェル・ド・ノートルダム)

このアンゴルモアの詩については、とくに解釈が難しく

 

アンゴルモアに関しても

「モンゴル帝国」のことだと説かれたりして、

 

いまでいうロシアの脅威についての詩だと

解釈されたものが多かった気がします。

 

 

 

それから、「d’effrayeur 」に関しては、

 

デ・クエヤル=de Cuellar

(ハビエル・ペレス=デ=クエヤル Javier Perez de Cuellar)

元・第5代国際連合事務総長(※当時)

 

のことだという解釈も五島勉さんの著書だったか?

記憶は曖昧ではあるが、解釈がなされていたかと記憶している。

 

 

ノストラダムスの予言自体は、それまで当たっていたことがあるのか?

 

これについては、的中はしていたといえる。

大戦についてもだが、広島原爆投下とも思える詩もあるからだ。

 

だが、そのほとんどは終わってから、“これだった”

 

ということが多い。

 

たしかに、第二次世界大戦など大きな事象については、

比較的分かりやすいほうなのだと思うが、

 

この「99年の7の月」の四行詩だけは、

解読の出口がなかったように思う。

 

核の脅威、2000年問題etc.ささやかれていた。

 

当時の私は、五島勉さんの本を捨てるに捨てられず

読み返しては独自に解読を試みるまで

完全にノストラダムスにハマってました。

 

 

イラククウェート侵攻で、湾岸戦争があった時は

中学生だった。

 

実家でその状況をTVで観ていたのを思い出す。

 

ノストラダムスの予言は

湾岸戦争も予言していたとされていた。

 

 

90年代はとにかく、

 

「あと〇年でノストラダムスの年だなぁ・・・」

 

こう毎年、不安と危機感、世界の平和を

“願うというより・・・祈る” 

 

そんな年を送って過ごしていた。

 

勘違いしてる人が多いですが、

ノストラダムス自身は、

起こってほしくないから予言をしていました。

 

平和を願っているからこそ

最悪の事態を避けてほしいからです。

 

 

余談になるが、

五島勉さんの著書でノストラダムスの護符?

だったかと思うが、付録であったのを思い出しました。

 

競馬の御守りにして、財布に忍ばせていた時期がありましたね^^

 

コピーだと効果は、何割か半減するとかってものだったのですが、

いつしかボロボロになったので、

本書のものをさらにコンビニでコピーして使用したりしましたね。

 

 

さきほども言いましたが、

この五島勉氏の本以降、ノストラ便乗しての出版が相次ぎました。

 

後に逮捕される「法の華三法行」の代表 福永法源、

「幸福の科学」の大川隆法etc.

 

新興宗教を主宰する者や、スピリチュアル関係の方も

 

「これが正しい、これこそが真実だ」

と言わんばかりにその類いの本があふれかえってました。

 

「法の華三法行」福永法源の本でたしか、

無料配布の本が街頭で配られていたのを

 

高校時代にクラスメートからもらったことがあります。

 

私も正直に言いますが、

本書を読んで騙されそうになりました。

 

おそらくですが、あれを読んで騙された方はいるんじゃないでしょうか?

 

福永法源は、ミスターマリックの超魔術の番組

出演したことがあります。

 

かすかですが覚えているのは、

透視をする対決でマリックがハズレたのに対して、

 

福永法源は当てた、そんな対決だったかと記憶してます。

 

たしか、その無料版の本にも

それを取り上げて写真付きで掲載されていたはずです。

 

ですので、信じた人も多いと思われます。

信者獲得のための無料本だったと思いますが、

 

終末論、終末思想が増すなか、

俺が私がと、救世主(メシア)だと名乗る者が現れる時代でした。

 

そのようにノストラダムスの大予言を利用して

いる方達に怒りを覚えました。

 

それにより、ますます真相がわからなくなりました。

 

 

私が専門学校に進学を決め、

上京の際にも五島勉氏のノストラダムス本を

手放せず持参しました。

 

平成10年(1998年)に専門学校を卒業し、

うどん屋に就職することになります。

 

その8カ月後でしょうか、ブログにも書いてますが退職します。

 

その翌年、

運命の1999年が訪れることとなります。

 

 

正直、私は7の月におびえてました。

 

小惑星の衝突、天使人類(宇宙人)、謎の病原体、

コンピューター2000年問題、核の脅威、

スーパーモスキート(超 蚊)と呼ばれるものなど

 

 

週刊少年マガジン(講談社)で連載されて単行本にも

なっているMMR(マガジンミステリー調査班)

 

あれに書かれている説、それぞれ起こっても不思議ない

なんて思ってたくらい不安でした。

 

 

しかしながら、

 

ノストラダムスは1999年以降も予言していたことが、

希望だったのです。

 

五島勉氏の著書にも『ノストラダムスの大予言 残された希望編』

というのがあるのですが、

 

要は、

「いつ終わるかわからないのだから、

悔いのないようにいまを生きる」

 

そのようなメッセージがあったのかなぁと思っています。

 

まさにそれを肝に銘じて過ごしていこうという気でいました。

 

そんなさなか、

 

1頭の馬が私の前に現れます。

 

 

その馬の存在がノストラダムスの大予言の不安を払拭してくれます。

 

その馬の馬名からも確信を得て追っかけようと思いました。

 

京都の都大路ステークスを3着後、

 

中京のテレビ愛知オープンを逃げ切り勝ちし、

 

福島の吾妻小富士オープンを8着と惨敗し、

 

「7月のレースに使ってきたら、勝負か?」

 

このように思っておりました。

 

 

もう世間では7月半ば

 

ノストラダムスの大予言が頭にあったのは、

全世界の人類どれだけの人がいただろう。

 

「もう7月入ったけど、何も起こらないよ」

「月末まで、なにが起こるかわからない」

「ノストラダムスは嘘だった」

 

もしくは、ノストラダムスの予言すら全く気にしていないとか、

その予言すら知らない。

 

様々だろう。

 

私がその馬がノストラダムスの予言にある馬だと目をつけてから

毎週スポーツ新聞の競馬欄をチェックした。

 

 

99年7月25日 小倉11R

「TV西日本賞 第34回北九州記念【GIII】(当時は芝1800m)」

 

ノストラダムスが指定した7の月の終わりに

 

その馬は出走してきたのだ!

 

 

萩本欽一、前川清共同馬主(萩本企画)

のその馬の名前は、

 

 

アンブラスモア!

 

 

逃げ馬で、

欽ちゃんの馬ということもあり、

 

ファンの間では

「欽ちゃん走り」とささやかれてネタにされましたね^_^;

 

 

 

ここで今一度、

ノストラダムスの大予言の四行詩をみていただきたい。

 

「アンゴルモア」=「アンブラスモア」

 

名前が似ているなぁ~なんて思っていた。

 

レースは武豊のキクノスカーレットが1.9倍で1人気だった。

 

私はもちろんアンブラスモアからの馬連を決めていた。

 

※当時は馬連時代

 

 

 

正直相手はわからなかった。

 

7の月予言だったこともあり、

7枠に入り、圧倒的1人気の武豊騎乗のキクノスカーレットに

張ったのは覚えている。

 

自分なりに競馬の予言だと踏み、

一通りノストラダムスの予言詩を調べて訳したりして

 

答えを見出そうとあがいたのだが、

当するような馬がまったく見えてこなかったからだ。

 

「アンゴルモアの大王」=「アンブラスモア」

 

だとして、

 

「恐怖の大王」=?

 

 

こんな状態だった。

 

「アンゴルモアの大王の復活」

 

とあるので、

 

前走8着と大敗してるアンブラスモア

は、しっくりくる

 

のだが、

 

もう一方の大王が見えずにいたままだった。

 

 

結局、キクノスカーレットや

3人気に支持されていたツルマルツヨシに張りつつも、

 

 

各500円 馬連流しを敢行。

 

レースはアンブラスモアが11秒台を6回刻み果敢に逃げた。

 

が、エイシンビンセンスという8人気伏兵馬が捕らえた。

アンブラスモアは2着には残ってくれた。

 

馬連6400円ついたので、一応プラスで終えれたのだが、

 

これがノストラダムスの大予言だったとしたら、

 

と思うと、恐怖の正体の真相が謎のままだ。

 

そんな思いでいたので、

競馬に勝ててもスッキリしなかった。

 

 

 

8月に入った。

 

世間はノストラダムスの嘘つき呼ばわりだった。

 

私自身も、ガキの頃からオカルトは全般的に好きではあったが、

それを無しにしても、ノストラダムスの大予言を信じてきて、

 

これほどまでに独自で研究して、

約10年越しで この99年まで、長年ハマってきたものはなかった。

 

そうしたことからも、“これで終わり”は腑に落ちないわけである。

 

 

 

7の月は過ぎたが、執着してきたことでもあるので

諦めが悪かった。

 

このレース後も、アンブラスモアという馬を追おうと思った。

 

長年闘い続けてきた

ノストラダムスの大予言との決着は

すぐに訪れることとなる。

 

アンブラスモアの次走が小倉記念と決まった。

 

その週中、スポーツ紙で出走馬の情報を得て、

恐怖の大王の正体が

 

もしや・・・・。

 

と、ばかりに、この時にすでに悟っていた。

 

 

レース前日から、私は緊張していた。

大勝負するのは間違いなかった。

 

問題は、いくら張るか?

 

ここが問題だったのである。

 

生活費もある。命金に手を出そうとしていた。

 

正直、確信というか、自信はあった。

それはノストラダムスの大予言通りなら・・・

 

ただそれだけのもので、

確実にそうなると証明できるものではなかったので、

 

周りの友人などから、お金を借りようとお願いも

じつは試みてみた。

 

が、しかし、そんなことを信じる者は誰一人おらず、

もちろん借りれなかった。

 

1999年8月15日㈰

運命の一日がついに訪れた。

 

※当時八王子に住んでいた。

 

所持金3万円を握りしめて

中央線に乗り、ウインズ立川へ向かった。

 

IMG_20170106_081314677.jpg

【大モニターがある ウインズ立川A館】

 

全財産が3万円だった。

 

メインレースだけに張ればいいものを

午前中のレースに手を出してしまい、2万失った。

 

ぶっちゃけると、

給料日まで残りの1万円と、

帰りの電車賃しかありませんでした。

 

最悪、歩いて八王子に帰ったこともあるので、

それも考えていた。

 

午前で軍資金の3分の2を失って

 

長年の抱えてきたノストラダムスの大予言の

自分なりの答え合わせという決着を前に命金にも

手をかけようとしている状況であった。

 

 

 

その後は小倉記念をどう買うかだけ考えていた。

単複など押さえるかなんてのはなく、

 

何度、自分と自問自答しても、馬連1点勝負

 

それが答えだった。

 

 

私は馬連4-5に1万円1点勝負!

 

恐怖の大王の正体についてだが、

出走馬で

 

ニシノダイオー(西の大王)

 

という馬がいた。

 

 

週中からこれだ!と踏んでいた。

 

 

 

《レース前の自分なりの解釈はこうだった》

 

 

1999年

 

そのまんま1999年

 

7の月

 

7月が過ぎてることから、7月ではなく

旧暦の7月にあたるのではないか?と考えた

 

恐怖の大王

 

ノストラダムス自身がフランスで西

 

ここでニシノ(西の)大王

 

アンゴルモアの大王の復活

 

前走北九州記念で負けているアンブラスモアが勝つ

 

マルス

軍神とか火星とかの意味だったかと思うが、

8月15日は終戦記念日だったことから、これも同レースを

意味していると思った。

 

その前後 福の名のもとに支配する

 

これは、騎手のグランスクセーが

アンブラスモアの前後にいるレース展開?

 

もしくは、「支配する」⇒カネトシ「ガバナー」

※ガバナーは、支配者などの意味合いもある。

 

意味合いから

カネトシガバナーはちょっと気になったが、

 

前者の展開とみたのである。

 

 

投票した時点でのオッズは、60倍ほどだったのを記憶している。

 

 

いつもながらに、立川ウインズA館の大画面で観戦した。

 

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もちろん、

あの五島勉氏の著書「ノストラダムスの大予言」の

付録にあったノストラダムスの護符と馬券を

手の中で合わせて祈りながら、レースを迎えた。

 

まずはアンブラスモアが楽に逃げてくれる

ことを願い画面に釘付けだった。

 

 

たった1万だが、全財産を賭けた崖っぷちの勝負!

 

 

レース展開が、

予想した範囲内の騎手騎乗のグランスクセーが

アンブラスの後ろを形成していた。

 

このレースは、前走の北九州記念で

アンブラスモアを差し切っていたエイシンビンセンスが

1人気に支持されており、やはり個人的にも怖い存在だった。

 

 

アンブラスモアは4人気、ニシノダイオーは8人気

この組み合わせに張ることなど、

 

12頭立てとはいえ、通常の予想からは

出来ぬことなので、まさに大勝負なのである。

 

 

ちなみに、

3人気は前年に天皇賞(秋)で

3着だったサンライズフラッグ・・・

 

 

絶対的に可能性の低い1点勝負という状況だ!

 

 

ニシノダイオーの買い材料は、

村本善之(元騎手)が主戦ジョッキーだったのが、

この1戦は河内洋(元騎手)が初騎乗ということと

 

追い切りでは

このレース(予言)に合わせたとも思えるくらい

動きがよかったこともある。

 

とはいえ、8歳馬だ。

夏は比較的高齢馬は走るほうだとは言われるが、

明らかに格下、成績からも買える材料は見当たらない。

 

 

河内でなく村本だったら、

もっと単勝人気はなかったかもしれない。

 

 

 

レースは、最後の直線に入った。

 

レース中は、声を発さず、見守っていた私も、

 

「アンブラス!アンブラス!」

 

を連呼して

 

4角から直線の場面で、

河内ニシノが内を狙うのが見えていた。

 

レース中は1点張りなのもあり、

この2頭の位置取りしかみれてなかったように思う。

 

実況が

「内からニシノダイオー!」

 

直線半ばから、夢が、予言が、

現実のものになろうとしていた瞬間だった!

 

迫りくる1人気エイシンビンセンスが脅威だったが、

無我夢中で立川ウインズ大モニターで叫んだ!

 

半ば過ぎたあたりに差し掛かり

「そのまま!!そのままー!!」

 

と叫びながら、

 

内からニシノダイオーがアンブラスを差し切るくらいの激走だったが、

馬連時代なので、差されてもこの時点ではもはや関係なかった。

 

 

そのままで決まった。

 

ゴールした瞬間、

 

「よっしゃー!60万だ!」

 

こう叫んで払い戻しに並びに行った。

ゴールの瞬間は、周囲は静まりかえって

「荒れた~」という声が多少聞こえるくらいだったので、

 

叫びを爆発させた私は、完全に浮いた感じになった。

 

配当がモニターに映し出されると、

さらに喜びが倍増した。

 

投票した時点よりオッズが跳ね上がっていたからだ。

 

71.2倍×1万=71万2千円

 

を手にした。

 

 

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【写真上:当時の馬券コピー。写真下:当時の日刊スポーツの翌日の結果欄】

 

 

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命金にも手を付け、負けたらほぼ一文無し、

この状況を救ったのがノストラダムスの予言

 

これがいままで明かしてなかった全容です。

 

タラレバになっちゃいますが、


馬単時代に突入していたらとさえ思ってしまいます。

 

アンゴルモアの大王の復活=勝つのはアンブラスモア

 

この予言解釈から

馬単に1万勝負したかもしれません。

 

馬単ならどれだけの配当だったのか・・・?

 

そして3連単時代に突入だったらと思うと、

強敵1人気エイシンビンセンス3着付けで

 

1点で行けたかはなんとも言えませんが、

間違いなくそれ以上の払い戻しが可能だったでしょう。

 

いまとなっては、時代が悪かったとしかいえませんが、

 

このノストラダムスとの出会いがあったからこそ、

オカルトの馬券術にも着眼できた

のだと思いますし、

 

いまのカバラ3連出目メソッドに

たどり着くきっかけになったことはいうまでもありません。

 

そしておもしろいことに、

 

予言詩の1999年 7の月

 

この数字を足してみれば

 

1+9+9+9+7=35

 

35回小倉記念

 

となりますし、4-5の馬連も

足せばになるところも、

 

またなにか数字に隠されたシークレットナンバーが

あったのかもしれないなと、いまになっては思います。

 

ちなみに、これをきっかけに

アンブラスモア、ニシノダイオーの追っかけに

なったのはいうまでもありません^^

 

その後、この馬達で稼がせてもらったことは、

残念ながらありませんでした・・・笑

 

ですので、これを機に、

人情馬券は冷静な予想を狂わせてしまうなと

この馬達で学びましたね。

 

 

残念なことに、

その後のアンブラスモアは、地方に転厩し、

 

消息不明の記事を見かけたこともありましたが、

どうやら、亡くなっていたようです。

 

一説によれば、馬肉になったとかいう噂も。。。。。

 

これほど助けられ、そして学ばせてもらった

競走馬はこれ以後現れてません。

 

アンブラスモアは、いつまでも私の中で生き続けていきます。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

この予言詩以外にもノストラダムスは、

競馬の予言?にマッチした詩を残してます。

 

記憶が曖昧で断片的にになってしまいましたが、

「真夜中に秘密の部屋に入り~(中略)

で飛び出す~(略)」

 

このような詩だったのですが、

 

2000年12月2日中山11R

第34回ステイヤーズS(GII)

 

ホットシークレットという馬が出走。

 

その予言詩を当てはめ、馬連と単勝を購入。

 


ナリタトップロードが1.3倍という圧倒的な1人気

 

馬連はそうしたこともあり、

この馬との馬番連勝を5千円購入、

 

単勝は7人気 柴田善臣騎乗のホットシークレットに

1000円購入しました。

 

ナリタトップロードは菊花賞勝ちのあるGI馬、

1.3倍は頷けるというもの。

 

そのなかで投票時に7番人気とはいえ、

約70倍ものオッズを示している馬に

単勝1000円買うというのも勇気がいることです。

 

 

小倉記念を獲らせてもらったことからも、

信じて買うのみでした。

 

 

まさか本当に当たるとは思いませんでした。

 

 

結果はと言いますと、

斤量59キロ背負っていたこともあるでしょうが、

ナリタトップロードは4着と敗れ馬連はハズレたものの、

 

 

なんと!ホットシークレットが優勝!

 

単勝7,240円で1000円買っていたのですから、

7万2400円になりました。

 

 

ウインズ立川横に、寿司屋があったのですが、

一緒に打っていた仲間K田君に奢ったのを覚えてます^^;

 

 

その他にも的中はしてませんが、

第34回関屋記念(1999年8月8日)リワードニンファ、ブラックホーク、

第35回新潟記念(1999年8月29日)ブリリアントロード、ホッカイルソー、

第24回新潟記念(2002年5月12日)キングフィデリア、ビッグゴールドetc.

 

 

予言詩に当てはまる競馬結果もありました。

 

 

その他予言詩については、

強引に当てはめればでしょうが

 

当てれた2件に関しては、私自身そうでなければ

的中に至れなかったので信じてます

 

少なくとも、1999年7の月予言は、

小倉記念だと確信してます^^

 

 

本日も、

最後までお読み下さりありがとうございました。

 

 

 

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