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さて、今日は私が人類意識調査員として調べている日本人の素晴らしさについて書いてみたいと思います。
私たちは日本という土地に行き、日本語を話して生きていますから、普段は自覚しないで当たり前に生きていますが、自分の住んでいるこの国を好きになれなかったら、自分に自信を持つことも難しいですよね。
それくらい私たちは、環境ととも生きているのです。
日本人の素晴らしさは、311のときに世界中から賞賛をうけたように、あの非常時に混乱することなく、暴徒化もせず、お互いを助け合い、思いやった行動がすぐ出れるというところにあると思います。
あの光景は「愛」を超えています。
そう、「愛」を超えているんです。
明治維新前、日本では「愛」というのは、あまり良しとされた言葉ではありませんでした。
なぜなら、仏教では「愛」には愛欲、愛憎、渇愛など、愛は煩悩の一つと捉えられていたからです。
原始仏典には、
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ずる。愛を離れたる人に憂いなく、恐れなし」
と記されています。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ずる。愛を離れたる人に憂いなく、恐れなし」
と記されています。
(思わず、うなずいてしまう方が大勢いるのではないでしょうか)
ですから、仏教では、「愛」という表現は、まだとても個人的で、「小我の私」という捉え方なのです。
強いて言えば、それは私の愛するものだけが幸せであればいいということになります。
だから、あの311のとき、日本人には「愛がある」とはいいませんでした。
皆さん既にご存知のように、あのとき被災された人たちの多くは、自分の愛する家族を亡くしても尚、相手を思いやる気持ちで行動していたからです。
それを仏教では「慈悲」といいます。
慈というのは、サンスクリット語の原語「マイトリー (maitrī)」から訳すと
本来の意味は「友情」「友人」の意味になります。
本来の意味は「友情」「友人」の意味になります。
それは、あらゆる人々に友人のように、欲望のない、執着のない愛をもち、平等に相手の幸福を望む心です。
そして、「悲」とはサンスクリット語の「カルナー (karunā)」からきており、
苦しみからでる「呻き」(うめき)のことをいい、他の人の苦しみを憐れみ、
その苦しみを取り除いてあげたいと思う心のことをいいます。
苦しみからでる「呻き」(うめき)のことをいい、他の人の苦しみを憐れみ、
その苦しみを取り除いてあげたいと思う心のことをいいます。
仏教では、その慈悲心を発起し行動できる人を
「菩薩」と呼びました。
「菩薩」と呼びました。
あの時、多くの報道では、「思いやり」や「絆」という言葉でしか表現していませんでしたが、
あの当時、現地で起こっていたこと譲り合いや助け合いは、菩薩行そのものだったのです。
あの当時、現地で起こっていたこと譲り合いや助け合いは、菩薩行そのものだったのです。
この現象から分かったことは、戦後、日本では、多くの人が無宗教といいますが、本当はそうでないということです。
あの時、多くの人が手を合わせて、大難が小難になるように祈ったはずです。
それもそのはず、いまだにコンビ二の数よりも神社仏閣の数が多いのがこの日本です。
それはどういうことかといえば、至るところで祈りや祭事が脈々と行われているということです。
それくらい、人間のDNAに刻まれた記憶(記録)や伝統というものには、否定できないものがあります。
先の大戦で、いざとなると日本人は滅私して一つになる民族であることに恐れを抱き、日本人のその精神性を骨抜きにするため、政教分離させ、神道や仏教との教えを断ち切ってしまいました。
その上、学校教育では、左翼思想を根付かせ、日本人自身が日本というこの国を否定するような教育をしてきたのです。
しかし、いざというとき、日本人は自然と菩薩行ができてしまう。
本当に素晴らしい。
その上、学校教育では、左翼思想を根付かせ、日本人自身が日本というこの国を否定するような教育をしてきたのです。
しかし、いざというとき、日本人は自然と菩薩行ができてしまう。
本当に素晴らしい。
(※わたしは右翼ではありません、笑)
その続きは長くなるので、また明日。
6月20日(土) に久しぶりにワークショップを開催します。
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