皆さん、ごきげんよう。
今日は気になった映画について書いてみようと思います。
原発事故の問題とか、沖縄基地の問題とか、
私たちは自分にとって幸せな生き方を見つけるのに精一杯で、日常生活で考える機会がなかなかないと思うのです。
私たちは自分にとって幸せな生き方を見つけるのに精一杯で、日常生活で考える機会がなかなかないと思うのです。
そんな中で、この映画の主人公ナオトさんは、私たちに
「幸せな在り方」
を見せてくれています。
それは、物質的な豊かさではなく、心の豊かさです。
そして何より周りがなんと言おうが、「幸せの在り方」を自分で決めたことではないでしょうか。
それは、物質的な豊かさではなく、心の豊かさです。
そして何より周りがなんと言おうが、「幸せの在り方」を自分で決めたことではないでしょうか。
そんな人の生き方は、人に勇気を与えてくれるものです。
この映画を撮った中村真監督は、
「あそこにいる放射能汚染されたとしても、命は穢れないものだ。
脈々と続いていく命の循環は、人間のその勝手な線引きで決められることではない。
原発で事故があったからって、ここには死の街だとは生き物はいませんと勝手に言えることではないという気持ちがずっとあって・・・」
と制作発表でお話されてました。
しかし、彼の存在は最初日本のメディアは、誰も取り上げませんでした。原発問題はすでにメディアではタブーとされているみたいです。
ひっそりと暮らしていた彼を注目し取り上げていたのは海外メディアであり、そこから徐々に日本で知られていったようです。
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原発事故直後、全町避難となった富岡町。
そんな町に一人残った松村直登(55歳)は、動物たちに必死にエサを与え続けた。
その後、犬猫は動物愛護団体に救出されたが、ほとんどの牛や家畜は殺処分された。
しかし彼は畜産家でも、動物愛護家でもなかった。
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震災前、富岡町で建設業の仕事をしていた。
30年ほど前までは出稼ぎで、関東近辺の建設現場で働いていた。
バブル時代には信じられないほど儲かったが、バブル崩壊後、仕事が一切なくなった。
そして埼玉で出会ったフィリピン人の妻と二人の息子と地元に戻ってきた。
15年ほど前、妻は二人の息子を連れて出て行った。
その後、ナオトは年老いた両親と実家で暮らし、建設業の会社を営んでいた。
原発事故直後、親戚の家に両親と避難しようとしたが、放射能の影響を恐れられ受け入れてもらえず、避難所もいっぱいだったので自宅に戻ってきた。
数日後、兄弟が両親を避難させに来たが、ナオトは一人町に留まることにした。
50を過ぎていて、ひとり者だし、失うものもなかった。
なにより国の命令で自分の家を追われることに納得がいかなかった。
ー無人地帯に一人で残った孤独は経験したことのないものだった。
そして近所の犬がエサを求めて吠えているのを聞いて、町にはたくさんのお腹をすかせた動物たちが残されているのを知った。
ナオトは必死にエサを与えて歩いた。
しかし牛の世話は容易ではなかった。牛たちはデリケートで、下痢をしてすぐ死んでしまう。
またエサ代は一年に何千万とかかり、放射能汚染された牧草を譲り受けたり、寄付でまかなったりしているが、いつもギリギリの状態だ。
一方、子牛は生まれ続けている。
生きること、生かしつづけること、
その毎日の闘いがナオトの新たな生きる道となった。
その毎日の闘いがナオトの新たな生きる道となった。
震災でナオトの人生は大きく変わった。
ナオトの活動は世界中のメディアから注目され、彼の元には世界中から多くの人たちが訪れるようになった。
この町で起こっていることを世界の人に伝えないといけないと、取材を受け続けた。
また震災を通して、東京で暮す女性と出会い、2013年秋には子どもも生まれた。
しかし、いつ一緒に住める日が来るかはまだ分らない‥。
原発事故から3年以上が過ぎたが、事故の収束は見えていない。
町の多くの人たちが帰還を諦めようとしている一方、ナオトの父や年寄りたちは自宅に戻って住みたいと言い始めている。
そんな中、放射能汚染された町で、子牛は生まれ、子猫たちも生まれ、ナオトはいきものたちと生き続けている‥。
「ナオトひとりっきり Alone in Fukushima」
予告編
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「ナオトひとりっきり Alone in Fukushima」
予告編
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トークショーの動画
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別の取材班が撮った動画もあったので、ぜひ、ご覧ください。
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