愛のある人?無愛の人?(人間の4つの段階②) | LIVE TRAVELER 豊かな旅をする人生の方程式

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おはようございます。

asacoです。

 

昨日の人間の4つの段階に対してのご反響ありがとうございます。

あらためてどれだけ今本気の本当のリーダーに大事なことだったのかと痛感しております。



これほどまでにメッセージを頂いたりしたのは久々だったので(そもそもこうしてガッツリ書くのも久々だから当たり前ですが)嬉しさと同時に、ああやっぱり・・・・というため息もつかざるを得なかったのが実情です。







 

4つの段階については前号をご覧になってくださいね♪

そして前号から必ず読んでこの先を勧めてくださいね♪

 

 

>>https://ameblo.jp/angelicdiary/entry-12426664640.html

 

 

 

そして、今日はいよいよ無愛の人について更にほっていく段階ですね。

 

 

無愛の人

 

 

そう書いていますが決してその人が

駄目だとかいい加減な人だとかということではない

のです。

 

 

ある意味では脳の状態が異なるだけなのかもしれませんし、育った環境によるものなのかもしれません。

ただ、その原因はひとりひとり接してみないとわからないというのと、脳のことについては私は専門ではないのでここでは触れられません。

 

 

が、しかし、本当に見ているとよく分かる。そんな無愛の人の行動にについて今日は書きたいと思います。

 

 

愛のある人と無愛の人

 

 

一体何がちがっているのでしょうか??まずはその部分からお話したいと思います。

 

 

愛とは宇宙の唯一の法則にして原理原則そしてその原理原則はビジネスであり、

真心であり、エレガンス、品でもある

 

 

ビジネスも真心も、エレガンスも品も、もとはといえば愛からの行為だからです。

 

 

眼の前に居る人が困らないように何かを用意したい、目の前の人がうまくいくように手助けしたい、目の前の人が心地よくいられるように気配りしたい・・・・そんな想いから始まるすべての行為が愛のある人の基準です。

 

 

ですが一方で無愛の人の行動はというと・・・一見それらしくあたかも正当性の高いことに見えるようにやってきたり表現されていきます。そう、言っていること自体、やろうとしている事自体はとても愛のある人に似せかけてあるからです。

 

 

その根底にある心は無自覚にも

 

 

「自分が褒められたい」

「自分が語っていることがあっていると言われたい」

「自分がしていることを承認されたい」

「自分のことを素晴らしいと思わせたい」

 

 

などの「自己中心」な考え方に基づいています。後先を考えないのでその場をなんとか凌ぐような会話の内容になていったり、自分の身の丈にあっていない言葉を発してしまったり、わかっているふりをしているので言っていることと本人がやっていることや実績が噛み合わない状態になっている

 

 

・・・・それが本人以外の人にはまりわかりで丸見えの状態になってしまう。だから大変です(;・∀・)

 

 

それが無愛の人なのです

 

 

得られるものにも差が大きく出るのが愛の人と無愛の人です。

 

 

愛のある人は愛のある人、志のある人、世界観のある人のどの人からも愛のある行為で包まれます。それが深い旧知の仲でも昨日今日の出会いであったとしても時間の長さにかかわらず受け取ることができるようになっています。

 

 

一方で無愛のひとに対してはどうかというと、

愛のある人はなんとかその状態を変えようとして必死になって動きますがやがて自分が疲弊していってしまうため関係性が長く続きません。

 


志のある人は自分の志に根付いた意見や環境、人材の紹介などを与えることで無愛の人を引き上げようとしますがこれもうまく行かず。

志のある人の大切な言葉を盗まれてしまうので、志のある人は嫌気が差してしまい一人でも達成する道へと進みだしてしまいます。そうなると無愛の人は置き去りです・・・・

 

 

そして最後に世界観のある人はどうするかというと、ある程度の長い期間その人を見守りながらやり方を教え、激励したり、時には厳しく叱りつけることもしながら見守っています。

 

 

でもある一定期間が過ぎても変化が見られない場合、もしくはその期間を過ぎても本人が志のある人、愛のある人から奪おうとする傾向が強い場合にはリーダーとしての決断をせねばならぬ状況に世界観のあるひとは追い込まれていきます。

 

 

どんなに優しく器のあるリーダーであってもこのときの決断はグループやコミュニティ、組織にとっての「損切りをする立場」を選ばざるを得なくなっていくのです。

 

 

無愛の人がいる環境というのはではどういうものでしょうか??

 

 

ある会社の営業マンが無愛のひとだったとしましょう。

 

 

その営業マンはいつも成績トップで数千万、億単位の契約をどんどんとってくる敏腕と呼ばれる営業マンだったとします。

理想が高く、お客様に理想論を厚く語り、言葉巧みに営業活動をし一見その人柄や情熱で物事が売れているように見えます。

 

 

しかし・・・・・

 

 

もしこの営業マンが無愛の人だった場合にはどんなことがおこるのでしょうか???

 

 

・その営業マンがとってきた仕事を実際にこなす現場の担当者にしわ寄せがいく

・その営業マンを支える事務員、内勤担当者に大きなしわ寄せがいく

・いざというときにはこの営業マンは「それは営業の仕事ではない」といって逃げるので現場や内勤はいつも火の中を渡るような仕事のしかたになって苦痛が増えている

・現場の作業や管理がハード過ぎるため現場を支える係員が精神的な病気にかかり通勤してこなくなる

・その結果女性社員や内勤者からのクレームがひそかに大きくなったり、女性社員が相次いで退職を願い出るので会社経営がどんどん困難になる

・補充補充の要員での運営になっていくため、段々と仕事のクオリティが下がりやがて会社全体の信用を失いかねないところへと発展していく

 

 

これはある大手起業にわたしが属していたときに実際に何度もなんども見た現場のでの話です。

 

 

優秀で努力家の現場の担当者たちはどんどんうつ病になって通勤することが困難になっていきました。



それを補うのは安く補充される現場経験の少ない派遣スタッフです。現場作業はどんどん遅延し、暗礁に乗り上げ始めています。



そのときに営業マンへヘルプを求めたとき彼は



「じゃあいいや、もう仕事とってきてやらないからな」

「誰がお前らの給料を稼いでいると思ってるんだ」

「それは俺ら営業の仕事ではない」



とそっぽを向いて現場には立ち寄らなくなってしまいました。

 

 

当然、現場は火の車でした。

 

 

このことからもわかるように、無愛の人が自分の都合、自分勝手な口八丁手八丁な言葉をあやつり物件をとってきた場合になどは顕著な無愛の人らしい結果が出ます。

 

 

ですが、売上を立ててくれる営業マンを時代は支持していたため、どんどんと内勤の女性や現場の優秀なスタッフたちがやめていく始末になってしまったのです。

 

 

 

無愛の人は本当に正当性が高いかのように言葉を紡ぎます。実体験のない言葉でもその言葉を自分の言葉であるかのように話してしまいます。そしてそのことに気がついていません。

 

 

 

一方で、愛のある営業マンだった場合はどうなったでしょうか。

 

 

見積もりを上げるとき、客先に提案をするときによくリサーチをします。リサーチをして自分と所属する会社がクライアントのために何ができるかをしっかりと考えることができます。真心があるのです。

 

愛のある営業マンは余計なことは言いません。不確実である物事はその場で言及に至らず持ち帰り、誠実に調べ上げた結果をクライアントに後に伝える方法を必ずとっています。誠実に調べるときには現場の経験豊富なスタッフや作業員、内勤担当に相談しながらスケジュールを組んだり適正な価格を提案できるようにしていくでしょう。一人で勝手に思い込みでは決めていないのです。

 

 

 

 

なぜこのように愛のある人と無愛の人はちがいがでてしまうのでしょうか??

 

 

なぜ無愛の人は確認もせずにその場の勢いで綺麗事の言葉や、借りてきた言葉をあやつれてしまうのでしょうか??

 

 

 

そこには

 

・認められたい

・私をわかってほしい

・私を置き去りにしないでほしい

 

 

という承認欲求、依存体質、恐れを持ったこころの傷の3つが必ず介在しているからなのです。

 

 

これらはその職場環境で形成されたものというよりも、生まれ育った環境がその人の心に大きく影響を与えてしまっている代表的な形式なのでしょう。実は無愛の人には、もちろん例外はなににでもありますが長男長女が多くかつ兄弟姉妹があり、優等生か優等生として認められたかったけれど自分でどうしていいか分からなかった人が多く見受けられます。

 

 

小さい頃から「確認」ができず、そのやり方も教わっていないために「自分が思ったとおりにやった」結果、相手は喜ぶはずだったのに全く喜んでくれなかった、褒めてほしかったのに全く褒めてもらえないどころかむしろ失望されたり、叱られた経験を多く持ち合わせています。

 

 

そしてその多くの元をたどっていくと「お姉ちゃんなんだから」「お兄ちゃんでしょう」という言葉のもとに本人の心をないがしろにされ押さえつけられてきた人がとても多いように分析した結果見えてきたのです。

 

 

今このような無愛のひとに振り回されかけているリーダーが多く居ます。

そして、人知れず無愛のリーダーがその体験を振りかざして愛のある人を潰してしまっている場合もあるのです。

 

 

あなたの周りの無愛の人がこのストーリーを読んでいて思い浮かんだのなら、そのひととの年数や経緯などを少しまとめてみるのが良いとも居ます。

 


 

・どんなときにどんなトラブルがあったか

・そのとき何をアドバイスしたか

・そのアドバイスはどのくらいの間改善されていてか

・または、どのくらいの間改善されずに放置されていたか

・または、改善の兆しがみえたものの喉元をすぎれば熱さ忘れるような振り戻しがどのくらいの回数繰り返されていたか

 


 

などを書き出してみてください。

 


 

もしかしたら、もうそろそろ、

その人はあなたの手元から切り離されるべきときなのかもしれません。

 

 

次号では、無愛の人にどう対処したらよいかの具体的な例と、無愛の人自身がどのようにしていけばいいのかについてかいてみたいとおもいます。

 

 

ぜひ次号もお見逃しなく

 

 

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