外国の思い出は、いつも駅。 | 青空アロマテラピー!

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ココロ、感じるままに空に投げたら、きっと輝く虹になるっ


初めての海外旅行は
北京からシベリア鉄道に乗ってドイツへ行った。


その前は舞台を仕事にしていた。

高校の時からパントマイムを仕事にしていた。
あの頃、日本はとても景気が良くて、生活出来るほどではないけど、テレビやイベントに出演した。
雑誌やテレビに紹介されたりした。


パントマイムスクールの事務もしていた。

生徒や出演者のプロフィールを管理したり、月謝を徴収したり、
イベントの衣装を縫ったり、
先生が使うレッスンの音楽テープを編集したり、
発表会の制作、
他のパントマイマーの舞台の制作、
確定申告、銀行振り込み、
企画会社とのやり取り、
生徒たちに毎日電話連絡をしていた。

内弟子みたいな感覚。

だけど私は、まだ内気なティーンエイジャーで、
人と話すのにも緊張していた。


スクールの事務作業をしながら、
私のソロ公演の制作は、私が全てする。
会場を押さえて、スタッフを依頼して、雑誌に載せてもらうための資料を用意し、発送する。

いくつも雑誌社に電話をし、
アポイントメントを取り、
編集部へ出向き直接話をして
記事に取り上げてもらう。

舞台の内容は、いつ作ればいいんだろう。
いつお稽古が出来るんだろう?

あと残ってるのは睡眠時間くらい。

当然それを削って、
本番の前日は、ほぼ寝ていない状態で迎えた。


これが終わったら、これが終わったら
と思うけど、事務仕事はいつまでも無くならない。

気がつけば、
スクールは大きくなったけど、
私に来た仕事だったのに、生徒たちが出ていて、私は事務仕事をしていた。

それを3年続けたら、私は目眩がして歩けなくなってしまった。

それで、パントマイムを辞めて、先生と離れた。
21歳だった。



一カ月くらい起き上がれなくて、

その後も何もやる気が起きなくて、

街に出るとどこかで先生に会うんじゃないかと、怖くなった。


寝転がって、

このまま死ぬのかな

とぼんやり考えていた。


そんな時、
ドイツで働く友達が、
夏に遊びに来ないかと
誘ってくれた。

国境を見てみたいと思った。

国と国、人と人を隔てるものって
なんだろう?

死ぬ前に国境を見てみたい。

そう思ってお金をかき集めて
(景気が良かったおかげ)
北京からひとりでシベリア鉄道に乗った。


荷物はバックパックがひとつ。
言葉は何もわからない。


列車は私をドイツへ運んだが、
その間はいろんなことがあり、
ひとつの人生のような旅だった。


それで、
突然こんな長い文章を書き始めたのは、
大阪の駅に降りた時、
モスクワの地下鉄を思い出したからだ。


モスクワの古い地下鉄は
どこか懐かしい近未来のよう。

映画「メトロポリス」や、
月旅行のみたいな。


大阪という知らない街。

急に記憶がありありと思い出されて、
一瞬、どこにいるか分からなかった。


そして、

たったひとり、
この世界に立っている自由さを
思い出したんだ。


さあ、行こう。 

どこか知らないけど、どこかへ。

って、あの気持ちを。

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