20世紀後半!激動のアジア情勢のもとで夢を追いつづけた歌姫の人生。
♪テレサ・テン 『 鄧麗君 』(デン・リージュン)
ゴクウのブログに於いて!若干、定番化しつつある。NHK【SONGS】からのパクリ記事となってしまいますが、( ゚ ▽ ゚ ;)
あらためて記憶に残しておきたく、ブログに記しておこうと思います。
小さい頃から歌う事が大好きだったテレサは10歳の時に台湾のラジオ局主催のコンテストで優勝!
天才少女として注目を集める。
14さいでレコードデビュー!
16歳で主演映画が制作され台湾のスターになりました。
18歳、香港でもレコードデビュー!アジアのトップスターとなる。
その後シンガポールやマレーシアでも火がつき国境を超えて人気を集めました。
21歳で日本デビュー!
1974年 空港←You Tubeはこちら
香港・台湾・日本を行き来する忙しい日々!
このあと、アジアでの行き来を容易にするために、インドネシアのパスポートで来日しようとし、旅券法違反で79年に国外退去処分を受けてしまい、渡米。。。
その1年後に台湾政府への協力を条件に帰国を許された彼女はしばらく台湾での活動となった。
やがて日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可され、ようやく日本復帰となる。
この1984年からテレサ・テンのミリオンヒット連発の黄金期が始まりました。
1984年 つぐない←You Tube
1985年 愛人←You Tube
1986年 時の流れに身をまかせ
当時の人々は、メロディーも然ることながら、この、、もしも・・・!・・・たら!の歌詞にも共感したのかも知れませんね。
ぐはっ(///∇//)
1987年 別れの予感←You Tube
そしてこちら!↓You Tube
♪何日君再来(ホーリーチュンツァイライ)
♪夜来香(イェイ ライ シャン)
↑これらは、中国で古くから愛されている「1930年~40年代の名曲をテレサがカバー♪
そして、テレサは、両親の故郷である中国で歌う事を夢見ていた。
一時期は、テレサが歌う曲は退廃的な音楽として、中国政府により聴くことも歌うことさえも禁止されてしまっていた。
そんな中、中国の人々の中には、カセットテープをダビングし、また台湾から聞こえてくるラジオをキャッチして隠れて布団の中で聴いていた。という話しは有名な話なのだそうです。
それを知った、テレサは尚更中国で歌いたくなったといいます。
やがて、改革開放路線が進む中国でもテレサの歌が解禁となり、いよいよ夢の実現が近づいてきた。そして90年にいよいよ、コンサートの予定が決まる。
その矢先に天安門事件が起き、予定していたコンサートも中止となってしまう。
この時の心境をテレサはこう残しています。
「夢は殺され、夢を見ることさえ出来なくなってしまった。」
89年、失意の中 パリへ移住!
1995年 休養先のタイにて42歳の若さで 急死。。。
テレサ・テンの曲の中でも最もヒットした曲♪
♪時の流れに身をまかせ
今年5月 中国北京にて、生誕60周年!テレサテンの夢をいま!と題して中国や台湾の人気歌手がテレサの歌をうたい、集うイベントがあったそうです。
「ようやく、彼女を中国へ連れて行けました。(テレサの兄の言葉)」
時代に翻弄されながらも夢を追いつづけ、国境を越えて愛された、テレサ・テン♪
彼女の歌声は今でも人々に愛されていますよね。