長崎市長へ 私たちの気持ちをワンクリック | misaのブログ

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昨日お伝えしたように、長崎平和祈念式典で、長崎市長 田上富久氏は「被爆国としての原点に返ることを求める」と、核廃絶へ積極的に動かない政府を厳しく批判しました。

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平和宣言は毎年、市長によって行われますが、政府をこれほど厳しく非難するのは異例だそうです。

特に首相の目の前で、痛烈な政府批判を展開したのは、「核兵器の非人道性に関する共同声明」への不賛同やインドとの原子力協定について国への疑念があるからでした。

長崎市長は4月、ジュネーブで「なぜ賛同できないのか。その理由をお聞かせいただきたい。」と国連欧州本部の応接スペースで、天野万利軍縮会議政府代表部大使に詰め寄った事がありました。

署名しなかった理由は、共同声明に「いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない」という一文が入っていたからでした。

日本は核兵器を持たない代わりに、他国が日本を核攻撃したら、米国が核で報復するという「核の傘」に頼っています。

「いかなる-」との表現はそれと矛盾するというのが政府の理屈だったのです。

「それは違う。いかなる状況でも核兵器を使用しないことが人類の利益であることは、被爆地としては当然だ。説明は納得できない」と即座に切り返した田上市長は、その後も30分以上、政府の姿勢を問いただしたそうです。

同席した市幹部は、普段は冷静でにこやかな市長の鬼気迫る表情に驚いていました。

長崎平和宣言の起草委員を長年務め、長崎の平和運動の理論的支柱でもある土山秀夫・元長崎大学長は、7月に市長にこう進言しています。

「せっかく首相が長崎に来る。良い機会ですよ。被爆地の思いを聞き取ってもらいましょう。」

それが「原点に返れ」と何度も訴えた平和宣言になりました。

市長は「被爆地は政府とともに行動したい。核兵器のない世界の模索こそ、被爆国が取るべきリーダーシップ。主体性を持ってほしい」との思いを平和宣言に込めました。

土山氏は「これほど強いトーンで政府に注文を付けた宣言は初めて。被爆者と市長の思いが一致した結果だ。」と話しています。

本当に、私たちの胸に響く宣言でした。市長さん、勇気を下さってありがとうございます。

なお現在、長崎市が今年の平和宣言の賛同者を調査しています。

賛同いただける方は、こちらの長崎市のHPの一番下をワンクリックして下さいね。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

私たちの気持ちを市長さんに届けましょう。

それから、昨日の記事に寄せられたコメントをご紹介いたします。

★★★

『今回の記事を読んで、ふと今から数年前の8月6日にNHKで放送されたある特集番組を思い出しました。

番組の内容は、広島の原爆資料館を外国人の若者が訪れ、その意見を聞くというものでした。

元はそれが、人間だったといわれなければわからない、真っ黒に炭化した、街の中央にうず高く積み上げられたもの凄い数の死体の山や、

被爆によって脱毛し、乳房を含めた半身がケロイド状態の母親が、同じくケロイドの死にかけている赤ん坊に乳を与えようとしている姿、

黒焦げの死体の山から、泣きながら両親の姿を探そうとしている全裸の幼い子供の姿、

ケロイドと火傷で誰の子か見分けがつかない、多くの小さな子供達の死体の写真。

この現実の記録を見て、中国人、韓国人、アメリカ人の若者達は、誰もが、

「それ」を初めて知り、ショックを受け泣いていました。

中国人の女学生がこういいました。

「私達の国では、日本への原爆投下は、善いことだったと教えられていました。」

韓国人の若者はいいました。

「まさか、こんなことだったとは思わなかった…。


じゃあ、いったいどんなことだと思ってたんだよ!!!!』

★★★

『私は、長崎に在住するものです。

両親は、被爆者です。私と主人も、原爆被爆二世です。

私の父も、被爆体験を多くを語ろうとはしませんでした。子供の頃から、尋ねても詳しく話そうとはしませんでした。

ただ、他県からの多くの差別も受けて来たという事は、話していましたが・・・

被爆時の詳しい内容を聞いたのは、私が成人してからでした。

長崎には、『原爆登校日』というのがあります。8月9日は、鎮魂の祈りを捧げ、被爆の恐ろしさを子供達は教えられます。

何故、日本中でそうしないのか?不思議でなりません。

もっと、国中の人が詳しく知るべきです。そうすれば、愚かな行為に進もうなどとはとても、思えなくなるでしょう。

私の息子が大学生の時、海外留学生とのコミュニケーションを兼ね長崎を案内する授業がありました。

息子は、原爆資料館に留学生を連れて行ったそうです。

海外の人にも、知ってほしい。
原爆、水爆がどれほど恐ろしいものかを・・・

そういう、気持ちが働いたんだと思います。

今の子供達や若い人達にもっと詳しく知ってほしい。そして、自分の心で判断してほしい。

この様な事が、二度とあってはならないという事を・・・』

★★★

『唯一の被爆国である日本が、なぜ核不拡散条約に無条件で署名できないのか、納得がいきません。

核の非人道性を世界へ伝え、二度と使用されないよう核廃絶へ向けて世界をリードしていくのが日本の使命のはず。

最悪の原発事故を起こしながら、なお原発を推進する日本政府。

世界で唯一の被爆国でありながら、条約に賛同しない日本政府。

世界は、こんな日本をどう見ているのでしょうか…?』

★★★

『私が小学校の頃は夏休みに登校日が3日間、分散してあって、その内の1日は原爆が落ちた日でよく学校で戦争の事を考えさせられてました。

しかし、私が親になって、現在小学生の息子は学校で戦争の話なんかしないそうです。

なんか、寂しいです。戦争の話は語り継がれた方がいいのではないかと思います。』

★★★

みなさんのコメントを拝見し、核廃絶を訴えるには、被爆地の惨状を撮影した写真を見て頂くのが一番人の心をつかむと感じました。

誰もが目をそむけたくなる写真ですが、直視しなくてはいけない現実なのです。

日本人はもちろんですが、原爆の怖さを知らない外国の人にこそ見て欲しいと思いました。

戦争を語れる体験者の方がどんどん少なくなっていく今後は、もっとこうした活動を広めていく必要があると感じました。

こちらの動画には、山端庸介さんが被爆地を記録した貴重な写真が紹介されています。

長崎原爆-映像の証言-115枚のネガ