日航機墜落事故で衝撃を受けた日 | misaのブログ

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28年前のことなのに、忘れられない事故がありました。

8月12日は家族で熱海のホテルに泊まっていて、食事中にテレビから日航機が消息を絶ったと速報が流れてきたのでした。

そして、13日になってから事故の生々しい映像が次々と目に飛び込んで来ました。

その時に受けた衝撃もさることながら、近年ネットを見るようになって、事故には裏がある事を知り、さらに衝撃を受けました。

その時の記事です。
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-10371910589.html

http://ameblo.jp/aries-misa/entry-10373247659.html

墜落事故は、圧力隔壁の破損だと未だに信じている方は、是非「日航機墜落事故の真相」を調べて下さい。

日航機123便の墜落事故は、戦後の日本最大の捏造事件であり、全ては闇の中に葬り去られてしまいました。

マスコミは決して報道しませんが、123便は、ミサイルにより垂直尾翼を失いダッチロールに陥ったのです。

座席最後部から5番目に座っていた小川哲氏はオレンジ色の飛行物体が接近して来るのを撮影していました。

photo:01


このミサイルはどこから飛んで来たのか、試運航中であった新型護衛艦「まつゆき」からでしょうか?

知らないうちに、123便を狙うように設定されていたのでしょうか。

30分にも及ぶダッチロールの中、乗客は恐怖と戦い、ついには死を覚悟して遺書を書きました。

河口博次さん(52)の遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に書かれていた遺書

『マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している』

遺書とメモ書き

また、事故で亡くなった坂本九さんの身元判明の手掛かりとなったのは、結婚式を挙げた笠間稲荷神社のペンダントが、胸に刺さっていたからでした。

事故機にたまたま乗り合わせてしまって亡くなられた520名の方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

日航機が墜落したのは、群馬県多野郡上野村にある、高天原山(たかまがはらやま)山系に属する無名の尾根の標高1,565m付近でしたが、なぜか「御巣鷹山」に墜落したと伝えられ、混乱を招きました。

結局、あれから無名の尾根は御巣鷹山という名前になりました。

本当は墜落場所は早期に分かっていたにもかかわらず、発見が遅れた事にして現場では隠ぺい工作と共に、生存者の口封じが行われていたようなのです。

現場に民間人として1番最初に踏み込んだM氏の証言があります。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a

乗客は、墜落時にはまだ生きていたのです。

奇跡的に助かった落合由美さんと川上慶子さんの証言からもそれが分かります。

☆☆☆

<落合由美さんの証言>

『墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。

そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。

次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。

すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。

左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、ベルトをはずしました。

動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。

右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあったので、どかそうと思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。

パーマをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。

どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。

あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。

寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。

突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。

学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。

私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。

もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。

これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。

帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。

私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。

母は私がスチュワーデスになったとき、「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。

それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。

そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました・・・』

<川上慶子さんの証言>

『墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。

あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。

しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。』

☆☆☆

この証言の後、お二人は多くを語らなくなりました。

また、M氏も命を狙われたようで、2010年5月16日の講演の2週間前、車の後輪がバーストするという事故に遭っています。

あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避し、後に損傷部分を検証してもらうと、軍関係者しか持たない熱戦銃によるものと判明したそうです。

事故の徹底的な隠ぺいの裏には、一体何が潜んでいるのでしょうか。

一番の理由は、アメリカがプラザ合意をさせるために仕組んだものだとみる事ができます。

さらに、123便を選んだのは、プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名と、松下トロンOSの技術者17人、また、当時の日本を代表する脳神経学者の一人である塚原仲晃氏の命を狙ったとの憶測もされています。

プラザ合意の目的は日本経済の解体にありました。

日本をバブルで巨大化させた後に大爆発させる計画でした。

しかし、日本がなかなかプラザ合意に同意しなかったため、脅しの為に123便は撃墜されたとみられているのです。

しかし、事故調査にあたっていた前橋地検の山口悠介検事正が「事故原因をぎりぎりまで追究すれば、戦争になる。」と言っているように、真実は決して表には出せないようです。

無念です。犠牲になった方々がこれでは浮かばれません。

これが私たちの生きる世の中の真実なのです。

知らなければ知らないで幸せに暮らしていけるのかもしれません。

でも、裏の世界を知って、それでもなお、地球にとって人類にとっての本来進むべき道をめざすという方々が今、急激に増えているのを感じます。

世界を牛耳る勢力にとっては、小さな抵抗かもしれませんが、ハチドリのひとしずくでも、たくさんのひとしずくが集まれば、山火事をも消せると信じています。