一人でも多くのかたに

読んでいただきたいと始めた

アナスタシア全章振り返り企画

 

肉体を葬る許可を出す玄孫。

 

*****

 

アナスタシアとメグレさんと

息子のヴォロージャくん。

 

前章の終わりに3人が初めて

一堂に会します。

 

アナスタシアは敵意を集めた草地で

真っ白になって倒れていたところから

杉の木の下に移動してぐったりして

いたようです。

 

そこにメグレさんとヴォロージャくんが

現れて、二人で勇ましく

「敵意よ、俺に向かってこい!」

と叫んだり足を踏み鳴らしたり

し始めたので

 

あら、輝かしい、

向こう見ずで、

勇気のある戦士たち。

誰と戦おうとしているの、

勇者さんたち?

 

と声を掛けています。

 

自分は息も絶え絶えなのに

それを感じさせないこの言い回し。

 

さらに大変、示唆的なことも言います。

 

悪と戦うためには、どこに、

何に悪があるのかを知らなければ、

そして相手を詳細に

思い描かなければならない

 

悪だと信じ込まされている相手や

悪だと吹聴されているところと

戦おうとしても、

 

本当の悪にたどり着いていなければ

意味がない、ということですよね。

 

 

 

この後、アナスタシアは杉の木の助けで

体力を復活させて、三人で走って

湖に飛び込みます。

 

初めて親子が揃って水の中で

おおはしゃぎして遊んだことで

ヴォロージャくんは、何かを

「理解した」らしく

「モーセおじいちゃんの肉体が

死ぬことを許した」と言っています。

 

 

モーセおじいちゃんは

アナスタシアの曽祖父なので

ヴォロージャくんから見ると

高祖父というそうです。

 

モーセおじいちゃんから見た

ヴォロージャくんは玄孫(やしゃご)

 

その彼から

死ぬことを「許され」た

モーセおじいちゃん。

 

 

アナスタシアいわく

以前、モーセおじいちゃんは

肉体が生きていられなくなった時

ヴォロージャくんに生き続けるよう

頼まれて、断れず生き続けたそうです。

 

 

 

そんなことができるのか?

と驚くメグレさんに

 

医者や親しい人が

意識の亡くなった人を

呼んだり揺さぶり起こしたりして

意識を取り戻すことはあるでしょう

 

とアナスタシアは答えます。

 

 

 

今、二人の目の前で

モーセおじいちゃんと

ヴォロージャくんは

手を繋いで幸せそうに歩いていて

 

肉体を葬る場所を見つけた

と話しているのを

メグレさんは何とも落ち着かない

気持ちで聞いています。

 

 

アナスタシアの一族が

死を恐れていないこと

死を悲しまないこと

肉体を墓に葬るのではなく

一族の土地に埋葬することで

そこから生えた草木や花が

彼らの生命の続きとなると

考えていることを知っているので

誰もこの場にいる人は

悲しんでいないのだけれど

 

つい、わたしたちの文化の習慣で

 

アナスタシアの曽祖父は

とても元気そうに見える、

死ぬなんてまだ先のことだと

言いたくなったそうです。

 

 

分かる~

よく耐えましたよね

メグレさん。

 

 

そしてさらに玄孫と高祖父は

何やら言葉を交わして

歓びにあふれるやり取りを

見せてくれたそうです。

 

 

 

後からアナスタシアに聞いたところ

 

曽祖父は魂ですべての力を彼に与え、

彼はその力のすべてを

自身の内に取り込んだ。

 

息子は心から自信を持って

曽祖父に

彼の魂と彼自身を

地上に残しておくことができる

と言ったの。

 

曽祖父はあの子の口から

未来の具現化を、

未来への招待を受け取ったの

 

 

と言っています。

 

 

アナスタシアはそのことを

不安に思うのか、天に向かって

息子に大きな力を与えてくれるよう

お願いをしたそうです。

 

 

曽祖父は何世紀にもわたって

偉業の数々を成し遂げた

神官たちの子孫。

 

その曽祖父のすべての力や

両親それぞれの力といった

たくさんのエネルギーを

自身の内で調和させるのは

まだ幼い息子には難しい

とアナスタシアは考えて

創造主に願ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

この章には死に対する

様々な哲学が語られていますが

なかでもアナスタシアが

死に直面したときの

意識の持ち方を伝えるセリフが

とても印象的でなるほどな、

と思うので

紹介させてくださいね。

 

 

 

 

 

死とは、悲劇ではない。

 

それはつかの間の、

またはもう少し

長いかもしれないけれど

眠りの夢に過ぎない。

 

 

どんな眠りであっても

人は美しいことを思って

眠りにつかなければならない。

 

そうすれば魂は

苦しむことがない。

 

人間は、自分自身の意識によって

自分の魂のために楽園でも

それ以外のどんなものであっても

つくりあげることができる

 

 

 

 

 

死の瞬間に思う

美しいこととは

 

人生を振り返って

一番素晴らしかった

瞬間でしょうか。

 

 

それとも今から会える

先に亡くなった愛する人の

姿でしょうか。

 

 

のこしていく愛する人たちの

幸せな未来でしょうか。

 

 

それとも自分が地上につくった

美しい園のことでしょうか。

 

 

 

死の瞬間に後悔しながら

眠りにつくのではなく

 

恐怖や痛みにおののきながら

眠りにつくのでもなく

 

美しいことを思う

というのは

そう決めておかないと

難しそうです。

 

 

 

今、戦後生まれのかたが

70代後半を迎えておられ

 

死に対して

「考えても仕方のないこと」

「死は死、受け入れるしかない」

「でも正面から考えるのは怖い」

という声を

手相鑑定の場で聞くことが

あります。

 

 

 

子世代のわたしたちは

自分なりの死への哲学に

触れる機会が多かったのでは

ないでしょうか。

 

 

 

死んだら終わり

すべて無になる

という「超哲学」を持っている

多くの親世代の人たちが

 

 

どこかでこのような話に

触れる機会があるように、

と強く願っています。

 

 

 

 

 

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前の章はこちら

 

 

 

1巻1章

 

2巻1章

 

3巻1章

 

4巻1章

 

 5巻1章

 

 

 

 

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