しきしまの大和の国は
言霊の幸(さき)わう国ぞ
ま幸(さき)くありこそ
万葉集に収められている柿本人麻呂の歌です。
最近読んだ本で見かけて、日本の人はこんな昔から言葉の中に秘められている力を大切にしてきたんだなぁと感慨深かったです。
映画『旅猫リポート』の現場に、ほとんど毎日通い詰めているのですが(微力ながら猫のサポートなど)、毎日差し入れを持っていくわけです。
毎日差し入れが来ていたら、差し入れがあるという状況に慣れてしまいそうなものですが、現場のスタッフさんは毎日律儀に「先生、ありがとう!」「おいしかった、毎日おいしいものがあって嬉しい!」と笑顔で話しかけてくれるのです。
そうすると、「明日も何かおいしいものを探して持っていこう」と思うわけです。
「嬉しい」「ありがとう」短いたった一言で、「また喜んでもらえるように頑張ろう」って思える。
こんな短い言葉の中にも言霊が詰まってる。
素朴な「ありがとう」のたった一言で、厚意の連鎖が止まることなく続く。
「ありがとう」は「有り難う」、毎日のことでも「有り難いことだ」と喜んでくれる。
それが「何かしてあげたい」と思う側にとっては永遠に続く燃料だったりする。
言霊の力ってほんとにすごいなと思います。
ありがとうと言ってほしくてやってるわけじゃないけど、燃料が切れたら、やっぱり疲れちゃうときがあるので。
撮影も終盤になると、ビタミン不足が深刻になってきます。
野菜があると喜んでもらえるんじゃないかと思い立って、今日は即席のピクルスを作って持っていきました。
申し訳ないくらい手抜きの品なんですが、それでも野菜があるというだけでみんなすごく喜んでくれて。
「ありがとう」「嬉しい」あるいは「助かる」
すれ違う一人一人からほんの1ワード、でもたったそれだけで「次」の喜んでもらえるものを考えたくなる。
喜んでくれることが嬉しい。
喜んでくれることがご褒美。
そんで、せっかくちょっと早く終了した日でも、帰りにちょっとスーパーに寄って生鮮食品を調達してしまったりするわけです。
これがね、こちらの「何かしてあげたいな」が当たり前のものとしてスルーされるような現場であったら、寝不足をこらえて深夜にリンゴを1ダースも剥いて塩水に漬けたりしないわけですよ。
『三匹』、『図書館』、『空飛ぶ』etc、みんな言霊のラリーが続くいい現場だったなぁ、と。
『旅猫』もクランクアップが見えてきましたが、微力ながら最後まで支えたいです。
で、自分も「ありがとう」とか「嬉しい」とか、伝えるのを忘れないようにしたいなぁ、と。
そう思います。
ちなみに、これがチーム『旅猫』の心意気。
メイキング撮影さんの爪にナナ、超似てます(^o^)
『旅猫』で人生初ネイルアートをやってもらったそうです。
スタッフさんたちのこういう小さい寿ぎが画面の奥行きを満たしていると思います(^-^)/
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