『ひとりでしにたい』が最後まで読みたい! | 有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

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『ひとりでしにたい』(カレー沢薫/講談社)が打ち切りの危機であるという。

ご本人、カレー沢薫メツアからblogで事情が公開された。

http://rosia29.work/2020/05/17/%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e3%81%a7%e3%81%97%e3%81%ab%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

 

大事なことは一瞬で流れてしまう切り貼り可能なTwitterではなくblogで、という主義の私である。

カレー沢メツアが「blogで」「危機を訴えた」ことに事の重大さをビンビンに受け取った。

大事なことはやはりblogで。というわけで私も一ファンとしてblogをしたためたい。

 

『ひとりでしにたい』は主人公の伯母が汁になって孤独死し、死後に露見した自慰用バイブや自慰用バイブや自慰用バイブで生前の尊厳までも脅かされてしまうという、今ほんのりと孤独死を意識しつつある世代に向けて胃の腑を掴んでゆさぶるがごとき危機感インパクトを与えた名作である。

バイブとまではいかずとも、今すぐ死んだら「困る!」と叫んでしまう物品が皆さん一つや二つはあるのではないだろうか。私は一つや二つどころではなくある。

人間はおキレイお行儀だけでは生きていられない。善良な人々は世間さまに対してお行儀的に問題があろうと思われる各自の闇を自分の部屋から外へ漏らさないように節度を持って生きている。

主人公の伯母さんも生前から自慰用バイブをその辺に転がして生きていたわけではない。

節度とは人間の尊厳を守る箱だ。この箱なしのありのままの私を世間に露呈しても何にも怖くないわというほど自分の聖人度に自信がある人はそういない。

だが、その節度という箱を重機で破壊されてしまう現象が「予期せぬ死」である。

私事になるが、私の親類も異臭で通報され腐りかけの状態で発見されたことがある。性格的にちょっと難のある人だったことと殺しても死にそうにないタフさのため、「まあ元気でやっているだろう」「誰かが様子を見ているだろう」と親類縁者がちょっとずつサボった結果としての不審死となった(自宅での死亡は不審死となり、警察の検死が必ず入る)。まさかあんなにあっさり死ぬとは思わなかった、と今でも親戚一同キツネに摘ままれたようである。

そして、この「予期せぬ死」で節度という人間の砦を破壊されてしまう恐れは誰もが平等に持っている。

結婚していようが独身であろうが子供がいようがいまいが人付き合いがよかろうが悪かろうが、何かのタイミングで誰にも立ち会われずコロッと死ぬということは、誰の身にも起こることなのである。

 

そうなったとき、死後の自分の尊厳を守れるか。生きてきた自分の尊厳を守れるか。

『ひとりでしにたい』はその挑戦を真っ向勝負で描きつつ、エッジの立ったギャグで笑わせてもくれるのでリアリズムに殴り殺されることなく程よい距離感で「終活」を学べるという、今こそ社会に必要な名著である。

描かれるべきことは山ほどある。次巻で幕を引いたら我々が知りたいことのほとんどが日の目を見ずに終わってしまう。

 

本来なら重版がかかったはずの作品だと思うし、ご本人も編集部の感触的にも初速の手応えはあったという。

だが、コロナだ。コロナが描かれるべき人類の叡智を闇に葬り去ろうとしている。

ここで私がざっくり把握している話半分に聞いてほしい数字の話をしよう。

書籍が全国の書店に十分に展開するためには、初版は3万ほどないときつい。私の本が全国の書店で展開してもらえるようになったのも、やはり部数がその辺りに届いてからである。

部数がそこに届かない書籍の場合はどうするか、というと、都会の大規模書店、つまり「大部数を売ることに長けていると思われる」ところに狙いを定めて配本していく。

私は高知というまあまあなイナカで育ったが、オタク的には大反響大人気のちょっとマニアックな版元から出た本が高知では全く手に入らないということがままあった。地方民には心当たりのある現象ではないだろうか。

つまり、これもそれである。たとえ都会で大人気でも、漫画の出版社といったら講談社集英社小学館、ちょっと頑張って白泉社くらいしか知りません、というイナカの更に郡部の本屋には最先端のマニアックな攻めた本は入ってこないのだ(ジャンプコミックスですら新刊で入ってこないタイトルがある。ブレイクを果たした『地獄先生ぬ~べ~』は山と入ってきても、『オートマチック・レディ』の頃は入ってきていなかった、そうした不均衡がままあるのがイナカである)

全国展開するには弾薬の数が厳しい本は、都会を集中して攻め、話題に載せて重版させてから地方に向かう。これがオーソドックスな販売戦略であろう。

だが、コロナである。

オーソドックスな販売戦略の攻略拠点、特に東京の大規模書店が自粛の煽りを食らって軒並み閉まった。

地方書店は頑張って開けているところも多かったし、実際売上げが去年の同月より遙かに上がったという店もある。本当に地方書店の今回の活躍には頭が下がる。

しかし、コロナである。

都会で話題を作り、地方へ向かう前に攻略拠点そのものが閉まってしまった。そして、攻略拠点に出荷されてしまった本は、どんなに地方が踏ん張っても、出荷された場所から動けないのである。

コロナがなければ重版がかかっていた、それは全く負け惜しみではない。多くの本にとってそれは事実だ。販売直後に多くの本は「宙に浮いた」、そして「降りる手段がなかった」。

頑張ってくれていた地方の書店も、また家にいながらにして本を購入できるネット書店も、「宙に浮いた」本を回収して店頭に並べる手段はない。

誰も悪くない。コロナを憎むしかない。

『ひとりでしにたい』もその悲劇に巻き込まれた一冊である。

今、版元が発売予定を順次遅らせているのも、そうした本を救済するための施策の一つであろう(宙に浮いていた本に加えて新刊をどんどん送り出すと店頭が飽和する)。

個人にできることは、悲劇に巻き込まれた本を「買う」、それだけだ。

(できれば版元には、自粛時期の新刊については電子書籍の売上げも勘案して重版を検討してほしい)

私は『ひとりでしにたい』が教えてくれたはずの孤独死対策を知りたいので、紙も電子も予約して買って手元にあるが、懇意の書店に追加で布教用を注文した。そのうちの1冊は注文手続きをしてくれた店長の懐にねじ込んで帰る予定である。

 

そして憎むべきコロナではあるが、奴は大事なことを教えてくれた。

「発売日に本屋が開いているなんて誰が決めた?」

我々は書店がリアルタイムで本を供給してくれるという状態に甘えすぎていた。

私は高知に住んでいたころはマニアックなラインナップに強い書店で必ず欲しい本を予約していたというのに、何故、いつその初心を忘れた? まあまあ都会に近い便利な水に依存していた自分をぶん殴りたい。

欲しい本は予約すべきだ、そうすれば多くの本が「宙に浮く」不幸な事態になったとしても、「この本にはニーズがあるのだ」という意志を版元に示せる。

示した意志は、好きな作家の将来に大きな(そして現実的な)エールになるだろう。

 

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